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16.対峙-3
しおりを挟む(やったか――?)
茂みの中から様子を伺う。砂塵が辺りを包み、中の様子はよく見えない。首筋を汗が伝う。しばしの緊張の末、土色のもやが徐々に晴れ行き、地に倒れたオルトロスの姿が露わになった。
「やったか!?」
クォーツの声が響く。どうやら向かいの茂みに隠れたらしく、ジミルと共に顔を覗かせてオルトロスの様子を伺っていた。オルトロスは時折ぴくぴくと痙攣するものの、倒れたまま起き上がる気配はない。テオドアはその場から立ち上がると、後ろから慎重に魔犬の身体に詰め寄った。
後ろ足、前足の順に足で軽く蹴ってみたが、だらんとしたまま反応はない。おそるおそる頭の方に回ってみれば、ぐったりとした二つの頭が地面に転がっていた。左には頭全体に霜を被り、半ば凍りつつある犬の頭が涎を垂らしながら、右には目を潰された頭が苦しむように舌を出しながら、目の前のテオドアに反応することもなくただただ横たわっている。
「気絶しているようだな」
遅れて出てきたクォーツとジミルもしげしげとオルトロスの様子を伺う。左頭を足でつついて反応がないのを確認すると、ほっとため息をついた。
「クォーツさん、魔力の消耗激しいでしょ。はい、魔力回復薬」
ジミルが労うように道具を渡す。クォーツは鮮やかな黄緑色をした液体の小瓶を受け取ると、一気にそれを飲み干した。テオドアもポーチから真っ青なポーションを取り出す。喉に流し込めば苦味が強く、お世辞にも美味しいとは言えない味だったが、消耗した体力はいくらか回復した。
「クォーツ、落ち着いたらこっちに来てくれ。気絶してるうちにとどめを刺すぞ」
テオドアが右頭の左目に刺さったままだった剣を勢いよく引き抜く。血を拭い、頸部目掛けて大きく振り上げた時
(――!?)
視界の端で、潰れていない二つの赤眼がかっ開いた。
「ジミル、クォーツ、そいつから離れろ!!」
すかさず後方に下がり、同時に叫ぶ。しかしテオドアが警告するより、オルトロスが動き出す方が先だった。ぎゃおう、と耳障りな叫びをあげながら、左前足が宙を切る。一見やみくもに見えたそれは、しかし的確にクォーツ達に狙いを定めていた。二人が勢いよく吹き飛ばされる。
「クォーツ!!ジミル!!」
気づいたら走り出していた。テオドアは未だ空振りしている前足をうまく避けると、二人が飛ばされた方へ疾駆する。
「おい、二人とも大丈……っ!!」
幸いすぐに見つかった二人だが、その姿を見て思わず絶句した。
「俺は大したことない……が、ジミルの方が……」
クォーツが眼鏡をずり上げながら、よろよろと立ち上がる。彼の言う通り、クォーツ自身はこれといった外傷はない。しかしジミルの方は違った。
彼は木の幹にぐったりと身体を預けたまま倒れていた。呼んでも全く反応がない。身につけた軍服は右半身からじわじわと朱殷が広がっていた。右脇腹の部分は生地が破け、裂けた皮膚と生々しい血肉が見え隠れしている。おそらくオルトロスの爪で切り裂かれたのであろう。また項垂れた頭からも一筋の血が滴っている。吹き飛ばされた時の打ちどころが悪かったのか。
「ジミル!!おいジミル大丈夫か!?」
見るからに大丈夫ではない、頭では分かっているのに叫ばずにはいられなかった。肩を抱いて揺らしても反応はなく、脇腹から余計な血が溢れるばかりだ。慌てて腰のポーチの中を探るも、包帯や傷薬などは馬の背にくくりつけた荷物の中で、あるのはなけなしのポーションなどだ。テオドアは仕方なしにそれらを取り出すと、一番いいものからジミルの口の中に注ぎ込む。
「……っがっ!!ゲホッ……かはっ!!」
「ああ苦しいよな。でも頼むから飲んでくれ」
むせて吐き出すばかりの後輩に懸命に声をかける。おそらく聞こえていないだろうが、それでも何か言わずにはいられなかった。
「テオドア!!残念だがオルトロスが目を覚ましつつある!!」
切羽詰まったクォーツの報告に舌打ちが漏れる。残念だが部下を介抱する時間は残されてないらしい。
「クォーツ、動けるか?」
「ああ、俺は大丈夫だ」
「……そうか、なら頼みがある」
ポーチの奥から取り出した球体を、クォーツの方へ放り投げる。
「うおっ!?なんだ………テオドア、お前これ強制転移装置か?どこでこんなもの……」
「モールの爺さまがくれたよ。すっげー高えのに太っ腹だ。……クォーツ、お前これでジミルと帰れ」
「……テオドア!!」
「一人用みたいだけど、まあなんとかなるだろ。てかなんとかしてくれ」
「そんなことどうでもいい!!お前はこの俺に貴様一人置いて逃げろとでもと言うのか!?そんなこと……っ」
「じゃあどうすればいいんだよ!?俺の為にこいつに死んでくださいってか!?」
「……っだが……」
珍しく激しい剣幕を見せたテオドアにクォーツが口籠る。この窮地を覆すような名案を、彼は持っていない。拳をぎゅっと握り締め、その場で俯くことしかできなかった。
「……可愛い弟妹のために毎月仕送り頑張ってるおにーちゃんをさ、こんなとこで犬死にさせたくねえだろ?」
ここぞとばかりに畳み掛ける。ジミルの方を顎でしゃくると、テオドアは意味ありげにクォーツに目配せした。情に弱い銀縁眼鏡のことだ。きっと簡単に籠絡する。
テオドアの読み通り、この殺し文句はてきめんだった。
「……くそっ!!」
クォーツは顔をぐしゃりと歪め悪態をつくと、ジミルを肩に担いで手の中の装置を起動する。フォンッという音と共に、男の周り一体を球状の魔法陣が包み込む。
「……必ず帰ってこいよ」
真面目な男が気の利かない別れの挨拶を告げる。敢えて答えず、代わりににっと笑えば、男はますます顔を歪めた。だがその顔もすぐに見えなくなる。
転移装置が完全に作動し終えたのを見送ると、テオドアは背後へ向き直った。
双頭の化け物は、いつしか立ち上がっていた。よろよろと頼りない足取りで、しかし二つの真っ赤な目は確実にテオドアを捉えている。
テオドアはごくりと唾を飲み込むと、腰に吊るした鞘からもう一度剣を引き抜いた。
「さあタイマンと行こうか、大きなわんこちゃん」
テオドアが駆け出したのと、オルトロスが一声大きく咆哮したのはちょうど同時であった。
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