はじまりはガシャポンで!

米と麦

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58.臆病者-1

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 どんよりとした空だった。ここ数日立ちこめている雲は、今にも泣き出しそうな陰を地上に落としていながら、そのくせ一滴たりとも雫を垂らさない。目前の雨季をもったいぶっているようなその様は、まるで嘘泣きを覚えたこどものようだ。

「グラン、型が乱れてるぞ!体幹を意識しろ!ネイトは踏み込みが甘い!怯むな!その図体は飾りか!?ジミル、お前は正面突破に囚われすぎだ!体躯を活かせ!脇を意識しろ!」

 ぐずる曇天を叱咤するように、訓練場に怒声が響く。晴れて療養の身から解かれたテオドアは、第八部隊の稽古に励んでいた。三人がかりで仕掛けられた攻撃を易々と躱していく。それぞれの穴を的確に見極めては、強烈な一髪をお見舞いしてやっていた。

「さっすがノイマンさん、えげつねえ強さだ」
「グランは鳩尾キメられたな……手加減されてんだろうけど、あれきっついんだよなあ……」
「ブナンダーはまだ噛み付いてらあ。しぶといねえ」

「無駄口叩いてんな!!次!!来い!!」

「「「ふぁいっ!!」」」

 普段のふやけた態度はどこへやら、稽古に打ち込むテオドアはまるで別人のように真剣だ。圧倒的な技術と強さ、そして部下への的確な指摘と叱咤が、皆の士気を奮わせる。まさに第八部隊復活の時を示していた。




「冷たい男っすね」

 正午を告げる鐘が鳴り響く。高揚冷めやらぬままにみなが散り散りに離散する中、冷や水のようなひと言が背後から浴びせられた。いつもの生意気な後輩だ。
 テオドアは身体の火照りを覚まそうと頭からバケツの水を被る。濡れそぼった前髪の隙間から、気だるそうな顔をしたジミルの姿が見えた。気の利く後輩はレモン水のボトルをこちらに差し出している。

「……言い方はともかく、けっこう親身に教えたつもりだけど?」
「稽古の話じゃないですよ。……ビアさん、なにも最後にあんな他人行儀に突き放さなくても良かったんじゃないですか?」

 ジミルの言葉がちくりと胸に刺さる。きまりの悪さを誤魔化すように、タオルで頭を乱雑に拭った。

「…………仕方ねえだろ。まさか救国の乙女だとは思ってなかったんだから。国賓級のお方に俺みたいな下級騎士がどうしろっていうんだよ。………あれが最善だっただろう」

 続けざまに今度は顔を拭う。ひとしきりさっぱりしたところで、受け取ったレモン水を一気に煽った。酷使した身体にほのかな酸味が染み渡る。

「あーやだやだ。ワケアリだって知ってたくせに。それを見て見ぬフリして構ってたくせに。いざ正体知って手に余ると思ったら手のひら返しですか、さいですか」
「別にそういうつもりは………」
「ビアさん、寂しそうな顔してたなあ。また孤独の身に逆戻りしちゃったな。いつぞやのあの日ビアさんは手を握り返してくれたのに、こないだの副隊長は差し伸べもしないんだもんなあ~~」
「ちょ、それは大袈裟だろう…って、え、“手を握り返した”って、……え、何、お前…………見てたの?」
「…………………」
「ちょ、はぁ!?………この覗き魔!!すけべ!!」
「はあ?何言ってんすか、きもっ!!てか今そこじゃねえ!!」

「ノイマンさーん、ブナンダーさーん!のんびりしてるとお昼ご飯抜きですよー!!」

 料理当番のメイドに大声で注意され、渋々、しかし可及的速やかに寄宿舎に戻る。食堂につけば汗臭いの理由に、テラス席とは名ばかりの外の丸太テーブルに座らされた。解せない。

「で、どうするんですか?ずっとこのままでいいんですか?」

 先ほどの話題をまた蒸し返される。もうお開きになったと思っていたのに。

「……だから俺がどうこうできることでもねーだろ。もともと雲の上の天上人が、たまたまの手違いで出会えたようなもんなんだし……今や不確定とはいえ乙女の能力開花の兆しがあるんだ。本来いるべきところに戻されるだろうよ。きっと城での監視もますます厳しくなる。お情けメイドももうお役御免だ」

 そしたら、あの人形みたいな顔はますますひどくなるのだろうか。ガラス玉の瞳が頭によぎる。一抹の不安が腹に巣食う。

「……確かに、もうメイドさんじゃなくなるんすね。てか、ビアさんの正装ってあんな感じなんすね。なんていうか、ディアンドル?みたいな……最初誰か全然分かんなかったですよ」

 ジミルにしては珍しく、他意なく余計なことを言った。テオドアの心臓がどくりと跳ねる。あえて考えないようにしていたディアンドル姿がテオドアの頭に浮かぶ。

 ――あの惜しみなく晒し出されたデコルテ。コルセットで絞り上げられたくびれに、それによってたわわさがより強調された豊満な……


 ――ゴツッ!!!!

「ちょっ、なんなんですかいきなり!?」
「なんでもない。心頭滅却してるだけ」

 重量感のあるはずの丸太机が盛大に跳ねる。突如テーブルに頭を叩きつけた先輩に、ジミルは驚きを隠せなかった。テオドアが頭を打ちつけたままぼそぼそと答える。


 三日前、西陽の差す客間に呼ばれたあの日、突如目の前に現れた女がビアであることを認知した時。努めて態度に出さなかったものの、テオドアは内心ひどく動揺していた。

 日頃懇意にしていたメイドは、救国の乙女という国政を覆すほどの重要人物であった。その事実は、テオドアにとってまさに青天の霹靂だった。何かしらの事情持ちであると想定していたとはいえ、百年に一度の奇跡を体現した人物とは、一体誰が想像できよう。
 彼女の身を案じ、また己の今後の立ち回りを思案しながら、静々と目の前に座る女を眺める。見慣れたはずの女のいつもと違う姿は妙に神秘的で、それでいてほんの少しだけ妖艶だった。

 そう、その場に似つかわしくないはずなのに、なぜか艶やかに見えてしまったのだ。

 ――弁解させてもらうなら、見慣れたメイド姿が、露出の極めて少ないかっちりしたものだったことだろう。

 首筋から肩周り、胸元までざっくりあいたその服装は、彼女の華奢なデコルテをあらわにしていた。加えて胸を強調するようなコルセットベストと、その上に乗っかるなかなかな豊かな双丘。否が応でも目に入ってくる、くっきりとした胸の谷間。その横に広がる柔らかな山脈――


(――――ビアって意外とおっぱいでかいんだな)


 脳裏にその言葉がよぎった時、テオドアは生まれてから二十数年のうちでもっとも深刻な自己嫌悪に陥った。オルトロスとの戦いで生き残ってしまったことを悔いたほどだ。ああ、己はなんと愚かで卑しい人間なのだろうか。身体だけでは生ぬるい。脳も骨も臓物も、あの地獄の業火に燃やし尽くしてもらうべきだったのではなかろうか。


「……でもあれはちょっと、けしからんよなあ……」

 無意識に漏れた心の声に、なぜかその場がしんと静まる。なんとなく嫌な予感がして、顔を上げることができなかった。

「え……ちょっと副隊長あんたまさか、あの日そんな目でビアさんのこと見てたんですか……?」
「…………」

 駄目だ、本格的に顔を上げることができなくなってしまった。身体から変な汗が噴き出す。その一部が首筋からあご先に伝った時、

「いっそその煩悩ごとオルトロスに燃やされた方が良かったんじゃないですか?」

 常々手厳しい後輩から、過去一番辛辣な一言が返ってきた。
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