麗しの殺し屋御殿

妃月未符

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第3幕 ~栄光の蜜~

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 十月に入ったある日、華がリビングでスケジュールを整理していると、ボルドーの薄手のセーター姿の澄春がふらりとやってきた。
 頭痛がするのか、頭に手をあてている。

「お疲れですか、澄春さん」
「おや、華ちゃん」

 キッチンの冷蔵庫を漁っていた彼は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「これは、ちょうどいいところに出会ってしまったね」
「え?」

 ふふんと上機嫌な声とともに澄春が取り出したのは、今朝路空が夕飯のデザート用に作っていたマロンクリームケーキのひとかけらである。

「仕事で頭を使うと糖分がほしくなってね。共犯者になってはくれないかな?」
「い、いやぁ……」

 気の早い秋色のリースのように輪になって連なるモンブラン生地。
 その中心に君臨する生クリーム。

 さすが路空作だけあって、なんとも誘惑的な外見をしているが。

「だめですって。後で怒られますよ」
「ふふふ。華ちゃんは真面目だね。残念だけど、代わりのマロンクリームティーで我慢するとしよう」
「澄春さん。そんなものも作れるんですか?」
「仕事の傍ら甘みを補給できる飲み物を研究していたことがあってね」

 そう言うだけあって、あっという間にそれは華の前に差し出された。
 クリームを浮かべたマロン風味のミルクティーの湯気とほのかな甘みがほっと心を解きほぐしていく。

「すごくおいしい。リラックスできますね」
「華ちゃんも、お疲れ、なんじゃない?」

 漂う湯気とともに自然と会話が流れていく。

「最近の健康状態はいかがかな」
「悪くはないです。でもどうして?」
「私は殺し屋の前は医者をしていたからね。みんなの保険係みたいなものなんだ」

 ぱちぱちと、華は目をしばたたいた。

「なるほど、そうだったんですね」

 たしかに澄春の柔らかな雰囲気。
 安定感も、最年長というだけでは片付かない風格がある。
 納得だ。

「それで。華ちゃん――差し支えなければ、病歴を訊いても?」
「!」

 急にふられて、華は舌の先を火傷しそうになり、ぱたぱたと手であおいだ。
 病気があるなんて、言ったことはないのに。
 驚いて見つめていると、澄春は苦笑する。

「ごめんね。みんな――とくに碧くんや湊くんなんかの、きみと外で食事したことがある子は気にしているみたいなんだ」
「あ……」

 そうか、とようやく思い至る。

 毎食後服用している持病の薬。
 余計な気を遣わせてもと食後の薬は部屋に戻って飲んでいたが、外食だとそうもいかなくて。

「そうだったんですか……そんなことまで」

 胃薬か健康サプリのような顔をしてささっと服用したのだが、やはり気づかれていたらしい。

「ともに暮らす仲間として、配慮すべきことは知っておきたいからね」

「――わかりました」

 華は話し出した。

 大学入学と同時に発症した病のことを。
 いわゆる心の病だ。
 現在は症状は落ち着いており、薬さえ飲めば日常生活も問題ないことも、しっかりと伝える。

「なるほどね。話してくれてありがとう。——薄々、そうじゃないかとは思っていたんだ」
「ええっ?」

 驚いて今度こそマロンティーを零しそうになってしまう。
 元お医者さんとはいえ、もう症状もほとんどない緩解状態で、わかるものなのだろうか。

「うーん、勘みたいなものかな。華ちゃん、脳がとても疲れやすそうな体質してるなー、といつも思っていて」

 無論、そんなふうに言われたことは初めてで、ころころとクリームを口の中で転がしながら華は黙考する。
 うーん、それってどんな体質なんだろう?

「自分のことは後回しにして人のことを考えがちだし。何事も深く思考するからね。悪いと言っているんじゃないけれど、脳への負担は大きいと思う」
「なるほどです……」

 そう言われると、案外思考量は多い気がする。

「確認だけど、薬は適量なんだよね?」

「はい。今は」
 発症当時は色々大変だったが。

「というと?」

 ついつい口に出していたようで、華は苦笑する。

「精神科で、被害に陥りかけたことがあって」

 澄春から笑みが消える。

「それは……」

「ある医院で、大量に薬を処方されたことがあって。症状も落ち着くどころじゃなくふらふらになって。家族にも罵倒される、厄介者だ、出ていけって言われるで、一時はどん底で。
 あとになって知ったんですけど、あの時の処方は、医者の営利目的だったらしいです」

「その医院の名は?」
「はい、覚えています」
 というか、忘れられない。

『A医院』である。

「でもあるとき――ふしぎなことが起きたんです」

 A医院の溝口医師始め、複数の医者たちが同時に謎の死を遂げた事件が起きた。
 どの医師も法外な量の薬を患者に処方していた医師だったらしい。
 溝口は最後の数日、『赤毛の悪魔』の幻にとりつかれ――高層ビルから飛び降りて死亡したという。

「真相はわからなないままです。不謹慎かもしれないけれど、天罰かなって思って。それからどうにか転院できて――薬さえ飲めば不自由なく生活できてますし」

「なるほど。それは、大変な想いをしたんだね」

 マロンティーを含んだあと、一段低い澄春の声が続ける。

「己の利権を乱用して人を利用する。彼らの堕ちた地獄が、患者さんが味わわされた絶望の世界だということを心から祈るのみだ」

「澄春さん……なんか今日は怖いですね」

「失礼。私も華ちゃんと同様、仕事の疲れがたまっているのかもね。——そうだ」

 ティーカップを持っていないほうの右手の指をぴんと立てて、澄春はまた笑顔を浮かべる。

「今度の休日、ともに心を満たすのはどうかな」

 いつもの彼のごとく、語尾に音符でもつきそうな提案の仕方だ。

「心を満たす……どうやってでしょう?」
「それはもちろん」

 口元に人差し指をもっていって。
 色気たっぷりに、彼は片目を閉じた。

「デートだろうね」
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