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第4幕 ~愚かな天使~
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翌日の夜。
スタジオ収録から華が御殿に戻ると、玄関でボールからマシュマロのチョコレートがけを頬張っている凪と鉢合わせた。
「お帰り。遅くまでお疲れ様」
「ただいま」
日頃よく見かける光景なので気にせず、華は手を上げる。
「凪くん、昨日はありがとね」
奥の自室へと向かいながら告げれば、凪はマシュマロを頬張ったまま首を傾げた。
部屋のベッドに鎮座している、シロクマの枕カバーを想って、思わず笑みがこぼれる。
買い出しの時、結局凪の案を採用してしまった。
「凪くんのおかげで、子どもたちと遊ぶの、楽しかった」
ふいに凪が目を細める。
ちゅっと人差し指のチョコレートを舐める姿が妙になまめかしい。
「お礼なんて言わないで。僕も楽しかったんだから」
「でもちょっとびっくりしたな。凪くんってほんとうに子どもが好きなんだね」
直後、彼の表情が激変した。
ほの暗い、野性的な笑み。
「華ちゃん。ストップ」
「え?」
指示の意味を理解した時には、華と自室の扉の間のわずか四十センチほどの隙間に凪の姿があった。
――い、今見えなかった……。
殺し屋チームの中では小柄な凪はさっとドアを蹴って上方に上がり――降りたときにはその手に、剣呑に輝くナイフを手にしていた。
「そ、それ……」
混乱する華に対してひどく冷静に、彼はぽんぽんとナイフの柄で肩を叩く。
そこに刻まれているのは以前も目にしたコードネーム“暗殺者”。
「部屋の上部にしこんであったよ。美しくないやり口を使うね。暗殺者さんも」
「——!」
恐怖を感じるいとまもなかったが。
これで二度目だと思う。
部屋の奥に大きく書かれた『死ね』の文字。
みんなで協力して今はほとんど痕跡なく消えたが。
脅迫の手紙や、サラダに仕込まれた毒。華は知る由もないが、実際にはそれ以上の危険にあっている。
「念のため、さきに部屋に入らせてもらってもいいかな。僕が合図するまで華ちゃんは来ちゃだめだよ」
「う、うん……」
暗い笑みを宿した凪が滑り込み、しばらくすると声がかかる。
「オーケー。華ちゃん。入っておいで」
入った自室に異変の痕跡はなく、ひとまずほっとベッドに腰を下ろす。
「びっくりした」
「あんなことをされたら、心が傷つくよね。よしよし。だいじょうぶだよ」
「な、凪くん……」
至近距離で頭を撫でられ、どぎまぎしてしまう。
「ええっと、そうじゃなくて。いや……怖いには違いないけど、どっちかっていうと、凪くんの大道芸人みたいな動きに驚いて」
「おや。そうか。こういう動きは、ふつうの人はしないんだったね」
「僕はどうやら、危険を察知して取り除く能力が人より高いらしいんだ。どうもそれは育ちのせいみたいなんだけど」
「……それは……」
人差し指を顎にあてて、なんてことはないように呟かれたその言葉に華は、浅からぬ痛みの気配を感じ取る。
「子どもの頃、大人たちの実験台にされていたからね、僕」
「実験台……」
「父さんが外科医でね。医療の分野には時にそうしたものが必要なんだ。電撃ショックを与えたり、密室に長時間閉じ込めたりする物体がね」
「……」
笑顔で語られたあまりに壮絶な過去に、言葉を失う。
「そこから救い出してくれたのが、澄春先生だったんだよ」
「そうだったんだ……」
凪が澄春を慕う理由はそこからも来ているのかと、納得する。
「父さんが間違っている。日々感じる痛みは僕のせいではないと、澄春先生は教えてくれて。今でも感謝しているよ。……でもしばらくは、自分を実験台にしていた父さんを慕う気持ちがそれ以上にぬけなくて」
ふふっと凪は笑った。
その美麗な表情に、見えない涙を、華は見る気がする。
「ひょっとしたら今もそうかもね。父を悪く言われるとつらいんだ。あんな醜いことをしていた親を美しく思う。子どもって、ほんとうに、愚かだよね?」
「凪くん……」
夕日に照らされ、凪の栗色の瞳に橙の影が射す。
「でも僕は、その愚かさがなぜか愛おしくて仕方ないんだ。大人なんて勝手に滅びればいい。でも子どもはまだ悪魔になりきっていないから。話は別だよね?」
「うん……。ほんとに、そうだと思う」
深く、華は首肯する。
子どもの心身を健康的に養育できない親は少なからずいるんだろう。
それは親側が病んでいるからで。
一番いけないのは、子どもがその病の渦に巻き添えになることだ。
「華ちゃんはわかってくれるんだね。そういう人、少ないから嬉しいな」
「もしこのばかげた世界に最後の日がきたら、すべての大人が滅びようと放っておくけれど。ここにいるみんなと、華ちゃんだけは助けてあげるよ」
なんだか穏やかではないけれど。
なんとも凪らしい友情表明に、自然笑みがこぼれる。
「ふふふ。ありがとう」
「きみにはまだ……子どものきれいな部分が、生きているから」
「なくさないで」
「——え?」
最後の部分だけ聞き取れずに首を傾げると、凪は綺麗に笑って首をふった。
スタジオ収録から華が御殿に戻ると、玄関でボールからマシュマロのチョコレートがけを頬張っている凪と鉢合わせた。
「お帰り。遅くまでお疲れ様」
「ただいま」
日頃よく見かける光景なので気にせず、華は手を上げる。
「凪くん、昨日はありがとね」
奥の自室へと向かいながら告げれば、凪はマシュマロを頬張ったまま首を傾げた。
部屋のベッドに鎮座している、シロクマの枕カバーを想って、思わず笑みがこぼれる。
買い出しの時、結局凪の案を採用してしまった。
「凪くんのおかげで、子どもたちと遊ぶの、楽しかった」
ふいに凪が目を細める。
ちゅっと人差し指のチョコレートを舐める姿が妙になまめかしい。
「お礼なんて言わないで。僕も楽しかったんだから」
「でもちょっとびっくりしたな。凪くんってほんとうに子どもが好きなんだね」
直後、彼の表情が激変した。
ほの暗い、野性的な笑み。
「華ちゃん。ストップ」
「え?」
指示の意味を理解した時には、華と自室の扉の間のわずか四十センチほどの隙間に凪の姿があった。
――い、今見えなかった……。
殺し屋チームの中では小柄な凪はさっとドアを蹴って上方に上がり――降りたときにはその手に、剣呑に輝くナイフを手にしていた。
「そ、それ……」
混乱する華に対してひどく冷静に、彼はぽんぽんとナイフの柄で肩を叩く。
そこに刻まれているのは以前も目にしたコードネーム“暗殺者”。
「部屋の上部にしこんであったよ。美しくないやり口を使うね。暗殺者さんも」
「——!」
恐怖を感じるいとまもなかったが。
これで二度目だと思う。
部屋の奥に大きく書かれた『死ね』の文字。
みんなで協力して今はほとんど痕跡なく消えたが。
脅迫の手紙や、サラダに仕込まれた毒。華は知る由もないが、実際にはそれ以上の危険にあっている。
「念のため、さきに部屋に入らせてもらってもいいかな。僕が合図するまで華ちゃんは来ちゃだめだよ」
「う、うん……」
暗い笑みを宿した凪が滑り込み、しばらくすると声がかかる。
「オーケー。華ちゃん。入っておいで」
入った自室に異変の痕跡はなく、ひとまずほっとベッドに腰を下ろす。
「びっくりした」
「あんなことをされたら、心が傷つくよね。よしよし。だいじょうぶだよ」
「な、凪くん……」
至近距離で頭を撫でられ、どぎまぎしてしまう。
「ええっと、そうじゃなくて。いや……怖いには違いないけど、どっちかっていうと、凪くんの大道芸人みたいな動きに驚いて」
「おや。そうか。こういう動きは、ふつうの人はしないんだったね」
「僕はどうやら、危険を察知して取り除く能力が人より高いらしいんだ。どうもそれは育ちのせいみたいなんだけど」
「……それは……」
人差し指を顎にあてて、なんてことはないように呟かれたその言葉に華は、浅からぬ痛みの気配を感じ取る。
「子どもの頃、大人たちの実験台にされていたからね、僕」
「実験台……」
「父さんが外科医でね。医療の分野には時にそうしたものが必要なんだ。電撃ショックを与えたり、密室に長時間閉じ込めたりする物体がね」
「……」
笑顔で語られたあまりに壮絶な過去に、言葉を失う。
「そこから救い出してくれたのが、澄春先生だったんだよ」
「そうだったんだ……」
凪が澄春を慕う理由はそこからも来ているのかと、納得する。
「父さんが間違っている。日々感じる痛みは僕のせいではないと、澄春先生は教えてくれて。今でも感謝しているよ。……でもしばらくは、自分を実験台にしていた父さんを慕う気持ちがそれ以上にぬけなくて」
ふふっと凪は笑った。
その美麗な表情に、見えない涙を、華は見る気がする。
「ひょっとしたら今もそうかもね。父を悪く言われるとつらいんだ。あんな醜いことをしていた親を美しく思う。子どもって、ほんとうに、愚かだよね?」
「凪くん……」
夕日に照らされ、凪の栗色の瞳に橙の影が射す。
「でも僕は、その愚かさがなぜか愛おしくて仕方ないんだ。大人なんて勝手に滅びればいい。でも子どもはまだ悪魔になりきっていないから。話は別だよね?」
「うん……。ほんとに、そうだと思う」
深く、華は首肯する。
子どもの心身を健康的に養育できない親は少なからずいるんだろう。
それは親側が病んでいるからで。
一番いけないのは、子どもがその病の渦に巻き添えになることだ。
「華ちゃんはわかってくれるんだね。そういう人、少ないから嬉しいな」
「もしこのばかげた世界に最後の日がきたら、すべての大人が滅びようと放っておくけれど。ここにいるみんなと、華ちゃんだけは助けてあげるよ」
なんだか穏やかではないけれど。
なんとも凪らしい友情表明に、自然笑みがこぼれる。
「ふふふ。ありがとう」
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「なくさないで」
「——え?」
最後の部分だけ聞き取れずに首を傾げると、凪は綺麗に笑って首をふった。
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