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7話 パン屋でバゲットして、負けっと(巻けっと)思った。
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午前十一時。
世間では、働く者たちが昼休みを楽しみにし始める頃。
しかし、フリーターの駄洒 麗(だじゃ れい)は、朝から何もしていなかった。
「なんかこう、パンチの効いたダジャレが欲しいんだよなぁ……」
麗は、いつものようにソファに寝転がっていた。
天井のシミを眺めながら、右手に持ったメモ帳に“昨日のダジャレ”と書かれたページを開く。
「昨日の“スマホなくして、モバイル(もぅ倍)泣いた。”は、まぁまぁだった。今日は……今日はどうする?」
そう呟きながらも、空腹が麗を襲った。
冷蔵庫を開けると、コンビニの半額おにぎりがひとつ。
「……いや、今日は、ちゃんとパン食いたい気分なんだよな」
気まぐれに、麗は部屋着のままジャージをはいて、家から歩いて五分の場所にあるパン屋《ブレッド・ハーツ》に向かう。
そこは町内では有名な、小さな個人経営のパン屋だった。サクサクのクロワッサンや濃厚なクリームパンが名物だが、特に「バゲット」が美味いと評判だ。
「いらっしゃいませー」
ベルが鳴り、若い女性の声が響く。
レジには新人らしきアルバイトの女の子が立っていた。少しぎこちない笑顔だが、まっすぐな目をしている。
「……へえ、今日もいい匂いだ」
麗はトングを手に取り、バゲットに手を伸ばそうとした――そのとき。
「ちょっと失礼します!」
横からスッと手が伸びた。
同時に、バゲットがトレイの上に置かれる。
「……え?」
麗が驚いて顔を上げると、そこにいたのはスーツ姿の青年。整った顔立ちに、少し挑発的な笑み。
「ああ、すみません、先に手が出ちゃいました。残り一本だったんで、つい」
「……ああ、そうですか」
何も言えない麗。
だが、そのバゲットは見た目にも明らかに“焼きたての当たり”だった。色艶、香り、そして長さまでが違う。
(バゲット、してやられた……!)
心の中でそう呟いた麗。
なぜか悔しくなった。
「だったら……あんた、そのバゲットで勝負しようや」
「……はい?」
青年が眉をひそめる。
「いや、別にいいんですけど、何の勝負です?」
麗は、トレイにあったもうひとつのバゲット――少し焦げて、短くて、明らかに“ハズレ”――を手に取った。
「このパンで、どっちが“うまそうに食べられるか”勝負だ」
「……面白い人ですね。わかりました、乗りましょう。僕、負けず嫌いなんで」
二人はイートインスペースに並んで座ると、黙ってバゲットを齧った。
「……んぐ……っ、うまっ……!」
「くっ……!このパリパリ感……中のモッチリ……最高かよ……!」
なんの勝負なのか、誰も分からない。
だが、バイトの女の子が笑いを堪えきれず、店主のおじさんが爆笑して出てきた。
「なんだなんだ、バゲットでバトルか? お前ら、“バトルゲット”ってやつか?」
店主のその言葉に、麗の頭の中で稲妻が走った。
(……来た……!)
「パン屋でバゲットして……負けっと(巻けっと)思った……!」
言ってから、我ながら震えた。
このダジャレには“勝負”と“パン”という相反する要素が、しっかり詰まっている。
バゲット=戦利品としての意味もあるし、パンの種類ともかかっている。
麗は立ち上がった。
「ありがとうな、青年。あんたとの勝負……いい刺激になったよ」
「……え、何か悟り開いたみたいになってますけど……」
青年が笑う。
麗は勝ったのか、負けたのか、結局誰にも分からないまま店を後にした。
その夜。
自宅のメモ帳に、彼は大きく書き記す。
⸻
「パン屋でバゲットして、負けっと思った。」
⸻
「……今日の俺は、“うまい”こと言えた」
誰に言うでもない独り言。
だがその表情には、確かな満足と、多幸感が宿っていた。
世間では、働く者たちが昼休みを楽しみにし始める頃。
しかし、フリーターの駄洒 麗(だじゃ れい)は、朝から何もしていなかった。
「なんかこう、パンチの効いたダジャレが欲しいんだよなぁ……」
麗は、いつものようにソファに寝転がっていた。
天井のシミを眺めながら、右手に持ったメモ帳に“昨日のダジャレ”と書かれたページを開く。
「昨日の“スマホなくして、モバイル(もぅ倍)泣いた。”は、まぁまぁだった。今日は……今日はどうする?」
そう呟きながらも、空腹が麗を襲った。
冷蔵庫を開けると、コンビニの半額おにぎりがひとつ。
「……いや、今日は、ちゃんとパン食いたい気分なんだよな」
気まぐれに、麗は部屋着のままジャージをはいて、家から歩いて五分の場所にあるパン屋《ブレッド・ハーツ》に向かう。
そこは町内では有名な、小さな個人経営のパン屋だった。サクサクのクロワッサンや濃厚なクリームパンが名物だが、特に「バゲット」が美味いと評判だ。
「いらっしゃいませー」
ベルが鳴り、若い女性の声が響く。
レジには新人らしきアルバイトの女の子が立っていた。少しぎこちない笑顔だが、まっすぐな目をしている。
「……へえ、今日もいい匂いだ」
麗はトングを手に取り、バゲットに手を伸ばそうとした――そのとき。
「ちょっと失礼します!」
横からスッと手が伸びた。
同時に、バゲットがトレイの上に置かれる。
「……え?」
麗が驚いて顔を上げると、そこにいたのはスーツ姿の青年。整った顔立ちに、少し挑発的な笑み。
「ああ、すみません、先に手が出ちゃいました。残り一本だったんで、つい」
「……ああ、そうですか」
何も言えない麗。
だが、そのバゲットは見た目にも明らかに“焼きたての当たり”だった。色艶、香り、そして長さまでが違う。
(バゲット、してやられた……!)
心の中でそう呟いた麗。
なぜか悔しくなった。
「だったら……あんた、そのバゲットで勝負しようや」
「……はい?」
青年が眉をひそめる。
「いや、別にいいんですけど、何の勝負です?」
麗は、トレイにあったもうひとつのバゲット――少し焦げて、短くて、明らかに“ハズレ”――を手に取った。
「このパンで、どっちが“うまそうに食べられるか”勝負だ」
「……面白い人ですね。わかりました、乗りましょう。僕、負けず嫌いなんで」
二人はイートインスペースに並んで座ると、黙ってバゲットを齧った。
「……んぐ……っ、うまっ……!」
「くっ……!このパリパリ感……中のモッチリ……最高かよ……!」
なんの勝負なのか、誰も分からない。
だが、バイトの女の子が笑いを堪えきれず、店主のおじさんが爆笑して出てきた。
「なんだなんだ、バゲットでバトルか? お前ら、“バトルゲット”ってやつか?」
店主のその言葉に、麗の頭の中で稲妻が走った。
(……来た……!)
「パン屋でバゲットして……負けっと(巻けっと)思った……!」
言ってから、我ながら震えた。
このダジャレには“勝負”と“パン”という相反する要素が、しっかり詰まっている。
バゲット=戦利品としての意味もあるし、パンの種類ともかかっている。
麗は立ち上がった。
「ありがとうな、青年。あんたとの勝負……いい刺激になったよ」
「……え、何か悟り開いたみたいになってますけど……」
青年が笑う。
麗は勝ったのか、負けたのか、結局誰にも分からないまま店を後にした。
その夜。
自宅のメモ帳に、彼は大きく書き記す。
⸻
「パン屋でバゲットして、負けっと思った。」
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「……今日の俺は、“うまい”こと言えた」
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だがその表情には、確かな満足と、多幸感が宿っていた。
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