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番外編 3*
三つ揃え (1)
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鈴木酒店での試飲会を終えると、私達は真っ直ぐマンションへと帰った。ただいまといいながら玄関にキャリングケースを置き、駅弁が入った袋だけを持って、瑛士が先に入ってゆく。
「俺、お茶淹れるから、彩乃はこれ出してくれる?」
「あ」
ジャケットを脱ごうとしたので、思わず声を上げてしまった。
「ん?」
振り返り、背中越しに私を見るその姿に、一気に頬が熱くなる。いやまずい、これは反則でしょうよ。
「なに?」
「えっと、……ごめん、ちょっとそのまま立っていて」
なにも分からない瑛士をリビングに入る手前でストップさせ、その正面に回り込む。そして素早く全身を眺めると、ぎゅっと抱きしめた。真正面からおでこをこすりつけたかったけれど、それをやるとスーツにファンデーションと皮脂が付いてしまう。代わりに彼の首筋に頬を寄せる。ふわりと香る、瑛士の匂い。
あ、駄目だ。
自分の状態を悟ってしまった。もうすっかり私、メロメロだ。もしかしたら、酔ってタガが外れてしまったのかも知れない。気持ちの高ぶりをこらえるように目をつむると、耳元で息だけの笑い声が聞こえた。
「どうしたの? 珍しく、甘えてきて」
瑛士の声も甘くなる。
「……スーツ効果です」
「ふぅん」
冷静を装った返答をしていても、鼓動の速さは隠せない。お返しのように首元に口付けられて、ビクリと反応した。
「彩乃」
呼びかけられて顔を上げると、当たり前のように唇が合わさった。でもチュッと軽いリップ音を立てると、すぐに離れてしまう。
「手洗いうがい、しようか」
「え? あ、うん」
にこやかに微笑み、とても正しいことを提案され、反論出来ずにただうなずく。すでにもう抱き合って体をくっつけ合っているのに、今更だ。そう思わなくもないけれど、恋人を押し倒す勇気も無い。
上機嫌ではあるものの誘いをかわした瑛士の態度に、私の欲望は一気にしぼんでいった。自分から仕掛けるなんて普段やり慣れないことをしたせいで、不発に終わると反動も大きい。
「ほら、彩乃」
「うん」
先に手洗いうがいを済ました瑛士に場所を譲られて、ハンドソープを泡立てる。流れるお湯と泡を見つめ、煩悩も流れてしまえと思った。
瑛士、出張と試飲会で疲れているのかな。まあこうして三つ揃えを目の前で見せてくれたんだもの。最後にもう一回目に焼き付けて、このままご飯食べてお風呂に入って寝てしまおう。
「終った?」
「うん」
聞かれて隣を振り向いて、そして息を呑んだ。
「コンタクト、……外したの?」
こちらがぼんやりとしている隙に、いつの間にか瑛士は眼鏡姿になっていた。三つ揃えのスーツに、眼鏡。え、なにこれ。なんのご褒美?
「この方が良いのかなと思ったんだけど」
にこやかな、大人の微笑み。あざとい。あざと過ぎる。そして私の性癖がすっかり把握されている。
「ぐぅ……」
なんだか手のひらで踊らされているような気持ちになって、一歩後に下がった。でも下がればその分全身くまなく見えて、余計にくらくらする。この眼鏡越しの笑みも、ちょっと腹黒い感じがスーツにたまらなく似合っている。この人は一体どこまで私のツボを刺激するつもりなんだ。
視覚の刺激に呼吸困難になりそうで、必死に息を整える。そんな私を見つめ、瑛士が両手を広げて小首をかしげた。
「来てくれないの?」
「……負けた」
「俺、お茶淹れるから、彩乃はこれ出してくれる?」
「あ」
ジャケットを脱ごうとしたので、思わず声を上げてしまった。
「ん?」
振り返り、背中越しに私を見るその姿に、一気に頬が熱くなる。いやまずい、これは反則でしょうよ。
「なに?」
「えっと、……ごめん、ちょっとそのまま立っていて」
なにも分からない瑛士をリビングに入る手前でストップさせ、その正面に回り込む。そして素早く全身を眺めると、ぎゅっと抱きしめた。真正面からおでこをこすりつけたかったけれど、それをやるとスーツにファンデーションと皮脂が付いてしまう。代わりに彼の首筋に頬を寄せる。ふわりと香る、瑛士の匂い。
あ、駄目だ。
自分の状態を悟ってしまった。もうすっかり私、メロメロだ。もしかしたら、酔ってタガが外れてしまったのかも知れない。気持ちの高ぶりをこらえるように目をつむると、耳元で息だけの笑い声が聞こえた。
「どうしたの? 珍しく、甘えてきて」
瑛士の声も甘くなる。
「……スーツ効果です」
「ふぅん」
冷静を装った返答をしていても、鼓動の速さは隠せない。お返しのように首元に口付けられて、ビクリと反応した。
「彩乃」
呼びかけられて顔を上げると、当たり前のように唇が合わさった。でもチュッと軽いリップ音を立てると、すぐに離れてしまう。
「手洗いうがい、しようか」
「え? あ、うん」
にこやかに微笑み、とても正しいことを提案され、反論出来ずにただうなずく。すでにもう抱き合って体をくっつけ合っているのに、今更だ。そう思わなくもないけれど、恋人を押し倒す勇気も無い。
上機嫌ではあるものの誘いをかわした瑛士の態度に、私の欲望は一気にしぼんでいった。自分から仕掛けるなんて普段やり慣れないことをしたせいで、不発に終わると反動も大きい。
「ほら、彩乃」
「うん」
先に手洗いうがいを済ました瑛士に場所を譲られて、ハンドソープを泡立てる。流れるお湯と泡を見つめ、煩悩も流れてしまえと思った。
瑛士、出張と試飲会で疲れているのかな。まあこうして三つ揃えを目の前で見せてくれたんだもの。最後にもう一回目に焼き付けて、このままご飯食べてお風呂に入って寝てしまおう。
「終った?」
「うん」
聞かれて隣を振り向いて、そして息を呑んだ。
「コンタクト、……外したの?」
こちらがぼんやりとしている隙に、いつの間にか瑛士は眼鏡姿になっていた。三つ揃えのスーツに、眼鏡。え、なにこれ。なんのご褒美?
「この方が良いのかなと思ったんだけど」
にこやかな、大人の微笑み。あざとい。あざと過ぎる。そして私の性癖がすっかり把握されている。
「ぐぅ……」
なんだか手のひらで踊らされているような気持ちになって、一歩後に下がった。でも下がればその分全身くまなく見えて、余計にくらくらする。この眼鏡越しの笑みも、ちょっと腹黒い感じがスーツにたまらなく似合っている。この人は一体どこまで私のツボを刺激するつもりなんだ。
視覚の刺激に呼吸困難になりそうで、必死に息を整える。そんな私を見つめ、瑛士が両手を広げて小首をかしげた。
「来てくれないの?」
「……負けた」
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