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その11. トライアル始まる

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「映画って、なに観ようって思ってました? 私も実はちょうど観たいのがあって。一人で行こうかどうしようかと思っていたの」
「それでいいです。どうせ今、思い付いて言っただけだから」

 間髪入れずに健斗がそう言うと、美晴の目がまた輝き出した。なにか企んでいるような表情で、口元がふくふくと動いている。

「あの、他になんだけれど、クラシック音楽とか興味ある? 市民フィルのコンサートに誘われているんで、それも出来ればどうかな、とか」
「市民フィル?」
「アマチュアのオーケストラ。会社の後輩がそこでフルートやっていて、発表会に誘われていて。嫌いではないけれど一人で行くほどは気合入らなかったので、一緒にもし良ければ」

 誘うその表情は完全に『遊び仲間捕まえた』と言っており、色恋の匂いがしない。なんとなく健斗が目指す方向性からずれた気もするが、それでも誘われるのは素直に嬉しいことだった。

「いいですよ。行きます」
「良かった!」 

 ほっとしたようにそう言うと、美晴はまたいたずらっぽくふふっと笑う。

「これでご飯から離れて、私の食いしん坊イメージは消えたよね」
「いやそこは、揺るぎないんじゃないかな」

 ここに来るまで、これからの付き合い方を健斗は一人で悩んでいた。でももう一人の当事者、美晴と話をすることで次の予定も決まった。

 今はとりあえず、こんな感じで。

 先ずは知り合うところから。そう言ったのは健斗だ。ならばそれを実践するだけだ。

「付き合ってくれてありがとうね、健斗」
「え」

 ふいに美晴に呼びかけられて、ビクッとする。

「ずっと仕事で忙しくて週末は寝て過ごすだけの生活だったけれど、ようやく最近外に出掛ける気になってきたの。だから嬉しくて」
「いや、その前。健斗って」
「あれ? 駄目だった? 名前呼び捨ててって話じゃなかったっけ?」

 焦る美晴を見て、健斗が慌てて否定する。

「いや、そうじゃなくて、……ごめん。嬉しすぎた」
「ええ?」
「名前、健斗って呼ばれただけで、こんな嬉しくなるんだなって」

 言いながら、どんどんと頬が熱くなる。それを隠すようにビールをあおると、タイミングよく料理が運ばれてきた。

「ラム肉とジャガイモのロースト、お待たせいたしました」
「はいっ」

 上ずった声の様子につられて美晴を見ると、なぜか彼女まで顔を赤くしていた。

 今はとりあえず、こんな感じで。

 自然と健斗の顔に笑みが浮かび、心の中でもう一度繰り返した。




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