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第7話「え、守備はなんとかなるでしょ」
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「お待たせしました」と言って義一が階段を下りてくる。
僕はかのえさんと若菜さんと三人で義一くんが職員室から出てくるのを待っていた。
義一くんにもいつもより早めに来てもらって、放課後に一緒に練習ができるようにしている。
「じゃあ、今日もバッティングセンター行こう」とかのえさんが言う。
「あの、守備の練習とかしなくていいんですか?」と義一。
「あ、確かにね」と若菜さんが言う。
「いいよ。たぶん大丈夫」とかのえさんは答える。
かのえさんの大丈夫には二つあることに最近気づいた。一つ目は本当に根回しをしていて大丈夫なこと。そして、もう一つは本気で大丈夫だと思い込んでいることだ。どちらにせよ、僕はかのえさんについていく。
僕たちは学校を出て、駅に向かって歩いていく。
「そういえばさ、沢良先生と青池先生ってどっちがかっこいいと思う?」と若菜さんが言う。
「沢良先生って、英語の?」と僕は尋ねる。
「うん。私は断然青池先生の方がかっこいいと思うんだけど」
沢良先生というのは青池先生と同じく英語の勤講師で、野球部のコーチもしている。僕たちのクラスでは授業を受け持っていないから、あまり知らないけれど、色白で背が高く、イケメンだと評判だし、確かにそうだと思う。
「僕は早良先生かな」と言う。
「なんで?」と若菜さんが不満そうに言う。
「だって、実際にイケメンだし、背も高いし」
「ふーん。普通」とかのえさん。
「普通って」
「かのえちゃんは?」
「私は青池先生」とかのえさんが言う。
「だよね」若菜さんはうれしそうに言う。
「なんで?」僕は尋ねる。
「この前、お寿司奢ってくれたから」
「ああ、確かに」
「えー、いいなー」
「それとイケメンかどうかって違わないですか?」と義一くん。
「気前がいい方がイケメンなんだよ」とかのえさん。
僕はふと、この前聞いた話を思い出す。
「沢良先生は野球部全員にハーゲンダッツ奢ったって」
「それって、回転ずしとどっちが高いんだろう」と若菜さんが言う。
「お寿司のときは五千円くらいだったよね」
「結構したね」と若菜さん。
「かのえさんが高いのばっかり食べてたから」
「そういえば青池先生と沢良先生ってどっちが年上だろう?」と若菜さんが言う。
「同い年だよ」とかのえさんが答える。
「なんで知ってるの?」と僕が尋ねると
「スマホ貸して」
かのえさんは僕のスマホを受け取ると、ネットで検索して僕たちに画像を見せる。
「これ」20年前の新聞記事だ。
『名成高校甲子園初出場』と書かれている。
「あ、この写真に写ってるのって」と若菜さんが言う。
坊主の高校生三人がユニフォームを着て映っている。真ん中の人物は色白で背が高い。右側にいる人物はがっしりとしている。どちらも面影があるな、と思う。
高校生のときの沢良先生と青池先生だ。
「うちの高校って甲子園出てたんですね」と義一が言う。
「一回戦で負けたらしいけどね」と言って、かのえさんは僕にスマホを返す。
かのえさんは良く知っているな、と思う。
特に、青池先生のことは。
少しモヤモヤした。
スマホを開くと
『いつものバッティングセンターで練習しています』という文章が早田から送られてきている。
『今から向かう』と送って、俺は電車に乗り込む。
かのえはまだスマホ返してもらってねぇんだな、と思う。
いつも通り、電車からバスに乗り継いでバッティングセンターの近くで降りる。
「あ、青池先生」と三好が俺に気づいて言う。
その隣にいるのは、
「あ、どうも」と頭を下げる。
「おお、竜野」
「知り合い?」とかのえが言う。
「ああ。俺が英語行ってるクラスの生徒だからな」と言いながら俺はバットを持って、バッターボックスに入っていく。
「青池先生」と三好に呼びかけられる。
「ん?」と言いながら俺はバットを構える。
「先生と沢良先生、どっちがかっこいいと思いますか?」
俺はバットを振る。
「俺と沢良?」
思いっきりバットを振る。
「はい」
「だったら、俺だろ」
「どうしてですか?」と早田が言う。
「まぁ、俺の方が野球上手いからな」
もう一度バットを振る。
ボールは綺麗な放物線を描いて、看板に当たる。
「それって、コーチとしても?」とかのえさんが言う。
コーチとしても?
「ああ。まあ、多分な」と答えてまたバットを振る。
「ふーん。じゃあ、安心だ」
俺が振り返るとかのえはニヤリと笑う。
「さては、また何かやったな」
「試合することになったんだよ」
「どこと?」
「うちの高校の硬式野球部」
「は?」
「挑まれちゃって」とかのえは言う。
「チラシのせいだろ?」
「うん」
「いつ?」
「2週間後」
「結構すぐだな」
「メンバーはどうするんだよ」
「多分、三角野球みたいな感じになるんじゃない?」
「ピッチャーは?」
「私が投げるよ」
「お前たち、守備練習してんのか?」
「え、守備はなんとかなるでしょ。練習しなくても」とかのえ。
マジかよ。
バッターボックスを出る。
「おい、早田、なんで黙ってたんだよ」
「いや、かのえさんなら何とかしてくれるかなって」
「いいか。守備はバッティングよりなんとかならないんだよ。とりあえず、明日はバッティングセンターじゃなくて、守備の練習な」
僕たちは明日の放課後、駅で集まってから、学校から少し離れた広めの公園で守備の練習をすることになった。
青池先生も言っていたけれど、野球をすることが許されている公園はそんなに多くない。それに守備の練習をするなら地面は砂の方がいいからなおさらだ。
「じゃあ」と言って、チームメイトと駅で解散をする。
部活動みたいだな、と思う。小学生のときしかやっていなかったけど。
さて、僕は帰るふりをしてバスに乗り込んで、バッティングセンターに戻る。
かのえさんに知られずに練習をして、上手くなったところを見せて、格好つけたいからだ。
それがチームメイトに知られるのも恥ずかしいから、わざわざバスの往復代を無駄にしてでも一度駅まで行きたかった。
とはいえ、こんな動機で野球をしていて、青鷺に勝てるわけもないけどな。
そう思いながら、赤から、青っぽい黒に変わっていく空を眺める。
やっぱりかのえさんは、僕のことをチームメイトとしか思っていないのだろう。悔しいな。
僕はバスを降りて、ついさっき通った道でバッティングセンターに向かう。
5000円札を入れて、コインを55枚買う。
よし。
打席に入って、腕が疲れるまでバットを振ろう。
そう思っていたのに、それよりも先に親指の横の皮がむけて、痛くなってきたから打席をでる。
軍手を外して、温かいおしぼりで指を拭くとヒリヒリとする。
懐かしい。
「あ、久次郎先輩」と後ろから声を掛けられる。
振り返ると義一が立っている。
「なんで、ここに?」
「まだ下手くそだから、試合で足を引っ張らないようにと思って。先輩こそ、ここで何してるんですか?」
「まあ、練習だよ」と僕は言う。
「ああ、そうなんですね」と義一は言って、ポケットに手を入れる。
義一とはあまり二人で話したことがない。
「久次郎先輩?」
「なに?」
「かのえ先輩のこと好きですよね?」
「え、なんで?」思わず、あからさまに動揺してしまう。
なんで、こいつが。まさか、かのえさんが。
「違いました?」
「いや、違わないけど」
「やっぱ、そうですよね」
「なんでそう思った?」
「なんでって、セオリー的に、っていうか」
「セオリー的?」
「いや、俺、ラブコメの漫画とかよく読むんですけど」
「うん」
「このチームでも何かそういう展開がないかって考えたんですよ」
「あ、うん」
「で、かのえ先輩と久次郎先輩が作ったチームだって聞いたので。で、かのえ先輩ってあんまり恋愛ぽくないので、久次郎先輩を見ていたら、もしかしてと」
「なるほど」
「俺、ずっと不登校だったので、目の前で恋愛展開が起こっててちょっと感動してます」
「……」
どう返したものか、と思う。
「ああ、えっと、だから、俺は久次郎先輩を応援しています」と義一は言う。
「あ、ありがとう」
「とりあえず、かのえ先輩と久次郎先輩が練習のときに二人きりになれることが多くなるようにしてみます」
「ああ、そんなことまでしてくれるんだ」
「はい。俺、結構マジで応援してますから」
義一はいつも低いトーンで淡々としゃべるから気づきにくいが、少し変わっていて面白い。そして、意外と優しい。
「じゃあ、練習しますか」義一は打席の方へ向かっていく。
「義一って、ほんとに野球やったことない?」
「ああ、はい。ないっすよ。チームスポーツできるほどのコミュニケーション力ないんで」
「バッティング、フォーム綺麗だよ」
「あ、あざっす。先輩は野球やってました?」
「一応、小学校のときだけ」
「ルールとか全然わかんないんで、この後、教えてもらっていいですか? 守備の練習のときに分かってたいんで」
「うん。僕でよければ」
義一は意外と真面目だ。
広い公園だな、と思う。
川沿いに遊歩道が伸びていて、それを囲うように遊具や芝生の広場、花壇などが並んでいる。そして、その途中に広いグラウンドがある。
すべての木々に百匹くらい蝉がいるかと思うほど、鳴き声が公園中に聞こえる。
端の方で少年たちがキャッチボールをしているけれど、反対端なら互いに邪魔になることはないらしい。
「さて、どうやってやるかな」と青池先生が呟く。
俺は、久次郎先輩を見る。
新しそうな大きめのグローブを持っている。キャッチャーミットというものだろう。
かのえ先輩の話によると、かのえ先輩がピッチャーで、久次郎先輩がキャッチャー、若菜先輩がファーストで、俺が内野手、青池先生が外野手らしい。
それなら、やるべきことは一つだ。
「あの、とりあえず、ピッチャーとキャッチャーは二人で練習したほうがいいんじゃないですか?」と言ってみる。
「ああ、確かにそうだな。かのえがどれくらい投げられるかもわかんねえし。早田、かのえにアドバイスしながら、キャッチボールな。三好と竜野は俺がノックしてやるから」
義一は僕にだけ見えるようにグーサインを出して、青池先生のノックの方に行く。
青池先生は外れたボールが僕たちに当たらないように少し離れたところで、ノックをするらしい。
ありがとう、義一。
「じゃあ、やろう」とかのえさんが言う。
なんだかんだ、かのえさんと二人なのは久しぶりだ。
かのえさんは見るからに新しい、堅そうなオレンジのグローブを持っている。
「とりあえず、普通にキャッチボールする?」と僕はかのえさんに言う。
「うん」
かのえさんは後ろに歩いていく。
「どのくらい離れる?」とかのえさん。
「ハンドボール投げ、どれくらいだった?」
「よく覚えてないけど、多分、7とか、8とか」
野球のピッチャーの長さは18メートル、女子野球でもたいして変わらないだろう。
一応、こちらは初心者だから、多少は近くで投げさせてくれるかもしれないが、それでも遠いな。
「とりあえず、これくらいから投げてみる」
かのえさんは10メートルくらい離れたところで立ち止まる。
「うん、いいよ」僕はミットを開いて構える。
かのえさんは軽く右足を上げて、腕を伸ばすように投げる。
僕は少し前に出てボールを取る。
フォームはあまりいいとは言えないけれど、思ったより飛ぶな、と思う。
「これくらいの距離でちょっと練習してみよう」と僕は言う。
「うん」
それからかのえさんと何度かボールを行き来させる。
「ちょっと離れてみる?」
「うん」
かのえさんは僕にボールを投げる。
少しかがんでそのボールを取る。
「どう?」
「うん。思ったより飛ぶね。いい感じ」
「よし」とかのえさんは言う。
やっぱり可愛い。
「よし、行くぞ、竜野」
「お願いします」と義一くんが答える。
左手でボールを投げ上げて、右手で持っているバットで打つ。
勢いよくはじかれた球は地面で跳ねて、転がる。
それを義一くんがとって、私に投げる。
私は左足を砂に書いた正方形から動かさずにその球をとる。
「次、三好」
「はい」青池先生は同じように、今度は私に向けてボールを投げる。
私はそれを取ろうと、グローブをはめた右手を伸ばす。
いける、
え、
ボールは手元で跳ねて、グローブの端にあたって跳ねる。
慌てて左手を伸ばしてそのボールをつかんで、地面に書いた正方形を踏む。
全然、捕れない。悔しい。
「もう一回、行くぞ、三好」
「はい」と答える。
「声が小さい」
「はいっ」
青池先生がボールを打つ。
絶対に取りたい。
ボールは地面を跳ねる。
上がったところへグローブを伸ばす。
ボールはグローブに収まる。
私は地面に書かれたベースを踏む。
「よし、竜野」
「はい」また、義一くんのほうに飛ぶ。
義一くんは運動神経がいい。
素早く捕って、私に投げる。
「よし。次、三好」
「はいっ、」
ボールが来る。
私は足を開いて正面で捕ろうとする。
グローブの先に当たって、後ろへ転がっていく。
「ちゃんと腰を下げろ。行くぞ、もう一回」
「はい」
ボールはまた転がる。
取れない。
「もう一回だ」青池先生が言う。
「はい」
「声が小さい」と青池先生が怒鳴る。
「はいっ」
目の周りが熱くなってくる。
青池先生はボールを打つ。
また、捕り損ねる。
なんで、
思わず、涙があふれる。
私は袖でそれを拭う。
「泣くな、三好」
「はい」と答える。
それでも止まらない。
「三好、いいか。俺たちが今度戦うのは、これよりもずっと苦しい練習をしてきたやつらだ。このくらいで泣いてるようじゃ、絶対勝てねぇぞ。行くぞ、三好」
「はい」
青池先生はボールを打つ。
捕ろうと、手を伸ばす。
さっきよりも強い。
ボールはグローブを跳ねあがる。
「っ」
力強く頬に当たる。
痛い、
「しっかりグローブを立てろ。行くぞ、もう一回」
「はい」
全然ダメだ。
私は、青池先生の言う通りにできない。
悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
バッティングセンターの代わりに公園でキャッチボールをするようになって、とうとう試合の前日になった。
義一と若菜さんは青池先生にノックをしてもらって、僕とかのえさんはひたすらキャッチボールをしている。
かのえさんは確かに熱心に練習をしているし、だいぶ上達した。
でも、たったの二週間だ。上達には限度がある。
それに、かのえさんは運動神経が良くない。
まあ、がんばってるかのえさんも可愛いからいいのだけれど。
いつもと同じ距離でボールを投げる。
それをかのえさんが捕る。
「いい感じ」とかのえさんが言う。
「うん」と僕は答える。
かのえさんとはこのところ野球の話しかしていない。
これでいいのか。
僕はかのえさんにボールを投げ返す。
かのえさんは危なっかしくそのボールを受け止める。
僕も上手くないから、距離が離れると少し勢いが強くなると。
「ごめん、強かった?」
「ううん、大丈夫」
かのえさんはボールを投げ返す。
僕は膝を曲げて、このボールを受け取る。
「もっと腕を上から振るイメージで」
「分かった」
かのえさんは僕の返球を落とす。
それを拾って投げ返す。
僕はまだ堅いグローブを開いて、そのボールを受け止める。
僕はまたかのえさんに投げる。
かのえさんに告白して振られて、それで今、キャッチボールをしている。
かのえさんは黙ってグローブを構える。
変な感じだ。
なんで、ずっと野球ばっかりなんだよ。
僕はかのえさんにボールを投げる。
強すぎた。
真っすぐかのえさんに向かってボールが飛ぶ。
「んっ」かのえさんは身体をそらして避けようとする。
グローブに当たってボールが跳ねる。
かのえさんは後ろに転ぶ。
「ごめんっ」僕は叫ぶ。
「ううん、大丈夫」
かのえさんは立ち上がる。
「ごめん、強く投げすぎた」
「いいボールだったよ」かのえさんはスカートに付いた砂を払う。
「ごめん」僕はもう一度謝る。
かのえさんの顔が横から夕日に照らされている。
「大丈夫」とかのえさんは言う。
どういう気持ちなのだろう。
僕にはかのえさんの事が分からない。
「私が最後まで投げ切れると思う?」唐突にかのえさんはボールを手渡す。
僕はそれをグローブで握る。
実際、かのえさんの体力がどれほどかは分からないけど、現状を見る限り大変になるだろうと思う。
「……」それを口にする気にはなれない。
「久次郎、今度の試合では絶対に勝ちたい」
かのえさんは真っすぐ僕を見る。
「もし私が投げられなくなったら、その時のためにもう一つのプランを用意してある。久次郎にだけ教えとくね」
僕は頷く。
「耳貸して」
僕は少しかがむ。
かのえさんは手を僕の耳にかざして、つま先立ちになる。
「もう実は——」
かのえさんはそのプランについて話す。
微かな吐息を感じる。
「——だから、そうなったら、久次郎は——」
かのえさんは話を終えて、僕の耳から離れる。
「かのえさんはそれでいいの?」
「うん」
かのえさんはグローブを右手にはめる。
「かのえさん」
「なに?」
僕はボールを握る。
「もし勝てたら」
振りかぶる。
「一緒に出掛けてほしい」
かのえさんはボールを捕る。
「いいよ。勝とう」かのえさんはニヤリと笑う。
つづく
僕はかのえさんと若菜さんと三人で義一くんが職員室から出てくるのを待っていた。
義一くんにもいつもより早めに来てもらって、放課後に一緒に練習ができるようにしている。
「じゃあ、今日もバッティングセンター行こう」とかのえさんが言う。
「あの、守備の練習とかしなくていいんですか?」と義一。
「あ、確かにね」と若菜さんが言う。
「いいよ。たぶん大丈夫」とかのえさんは答える。
かのえさんの大丈夫には二つあることに最近気づいた。一つ目は本当に根回しをしていて大丈夫なこと。そして、もう一つは本気で大丈夫だと思い込んでいることだ。どちらにせよ、僕はかのえさんについていく。
僕たちは学校を出て、駅に向かって歩いていく。
「そういえばさ、沢良先生と青池先生ってどっちがかっこいいと思う?」と若菜さんが言う。
「沢良先生って、英語の?」と僕は尋ねる。
「うん。私は断然青池先生の方がかっこいいと思うんだけど」
沢良先生というのは青池先生と同じく英語の勤講師で、野球部のコーチもしている。僕たちのクラスでは授業を受け持っていないから、あまり知らないけれど、色白で背が高く、イケメンだと評判だし、確かにそうだと思う。
「僕は早良先生かな」と言う。
「なんで?」と若菜さんが不満そうに言う。
「だって、実際にイケメンだし、背も高いし」
「ふーん。普通」とかのえさん。
「普通って」
「かのえちゃんは?」
「私は青池先生」とかのえさんが言う。
「だよね」若菜さんはうれしそうに言う。
「なんで?」僕は尋ねる。
「この前、お寿司奢ってくれたから」
「ああ、確かに」
「えー、いいなー」
「それとイケメンかどうかって違わないですか?」と義一くん。
「気前がいい方がイケメンなんだよ」とかのえさん。
僕はふと、この前聞いた話を思い出す。
「沢良先生は野球部全員にハーゲンダッツ奢ったって」
「それって、回転ずしとどっちが高いんだろう」と若菜さんが言う。
「お寿司のときは五千円くらいだったよね」
「結構したね」と若菜さん。
「かのえさんが高いのばっかり食べてたから」
「そういえば青池先生と沢良先生ってどっちが年上だろう?」と若菜さんが言う。
「同い年だよ」とかのえさんが答える。
「なんで知ってるの?」と僕が尋ねると
「スマホ貸して」
かのえさんは僕のスマホを受け取ると、ネットで検索して僕たちに画像を見せる。
「これ」20年前の新聞記事だ。
『名成高校甲子園初出場』と書かれている。
「あ、この写真に写ってるのって」と若菜さんが言う。
坊主の高校生三人がユニフォームを着て映っている。真ん中の人物は色白で背が高い。右側にいる人物はがっしりとしている。どちらも面影があるな、と思う。
高校生のときの沢良先生と青池先生だ。
「うちの高校って甲子園出てたんですね」と義一が言う。
「一回戦で負けたらしいけどね」と言って、かのえさんは僕にスマホを返す。
かのえさんは良く知っているな、と思う。
特に、青池先生のことは。
少しモヤモヤした。
スマホを開くと
『いつものバッティングセンターで練習しています』という文章が早田から送られてきている。
『今から向かう』と送って、俺は電車に乗り込む。
かのえはまだスマホ返してもらってねぇんだな、と思う。
いつも通り、電車からバスに乗り継いでバッティングセンターの近くで降りる。
「あ、青池先生」と三好が俺に気づいて言う。
その隣にいるのは、
「あ、どうも」と頭を下げる。
「おお、竜野」
「知り合い?」とかのえが言う。
「ああ。俺が英語行ってるクラスの生徒だからな」と言いながら俺はバットを持って、バッターボックスに入っていく。
「青池先生」と三好に呼びかけられる。
「ん?」と言いながら俺はバットを構える。
「先生と沢良先生、どっちがかっこいいと思いますか?」
俺はバットを振る。
「俺と沢良?」
思いっきりバットを振る。
「はい」
「だったら、俺だろ」
「どうしてですか?」と早田が言う。
「まぁ、俺の方が野球上手いからな」
もう一度バットを振る。
ボールは綺麗な放物線を描いて、看板に当たる。
「それって、コーチとしても?」とかのえさんが言う。
コーチとしても?
「ああ。まあ、多分な」と答えてまたバットを振る。
「ふーん。じゃあ、安心だ」
俺が振り返るとかのえはニヤリと笑う。
「さては、また何かやったな」
「試合することになったんだよ」
「どこと?」
「うちの高校の硬式野球部」
「は?」
「挑まれちゃって」とかのえは言う。
「チラシのせいだろ?」
「うん」
「いつ?」
「2週間後」
「結構すぐだな」
「メンバーはどうするんだよ」
「多分、三角野球みたいな感じになるんじゃない?」
「ピッチャーは?」
「私が投げるよ」
「お前たち、守備練習してんのか?」
「え、守備はなんとかなるでしょ。練習しなくても」とかのえ。
マジかよ。
バッターボックスを出る。
「おい、早田、なんで黙ってたんだよ」
「いや、かのえさんなら何とかしてくれるかなって」
「いいか。守備はバッティングよりなんとかならないんだよ。とりあえず、明日はバッティングセンターじゃなくて、守備の練習な」
僕たちは明日の放課後、駅で集まってから、学校から少し離れた広めの公園で守備の練習をすることになった。
青池先生も言っていたけれど、野球をすることが許されている公園はそんなに多くない。それに守備の練習をするなら地面は砂の方がいいからなおさらだ。
「じゃあ」と言って、チームメイトと駅で解散をする。
部活動みたいだな、と思う。小学生のときしかやっていなかったけど。
さて、僕は帰るふりをしてバスに乗り込んで、バッティングセンターに戻る。
かのえさんに知られずに練習をして、上手くなったところを見せて、格好つけたいからだ。
それがチームメイトに知られるのも恥ずかしいから、わざわざバスの往復代を無駄にしてでも一度駅まで行きたかった。
とはいえ、こんな動機で野球をしていて、青鷺に勝てるわけもないけどな。
そう思いながら、赤から、青っぽい黒に変わっていく空を眺める。
やっぱりかのえさんは、僕のことをチームメイトとしか思っていないのだろう。悔しいな。
僕はバスを降りて、ついさっき通った道でバッティングセンターに向かう。
5000円札を入れて、コインを55枚買う。
よし。
打席に入って、腕が疲れるまでバットを振ろう。
そう思っていたのに、それよりも先に親指の横の皮がむけて、痛くなってきたから打席をでる。
軍手を外して、温かいおしぼりで指を拭くとヒリヒリとする。
懐かしい。
「あ、久次郎先輩」と後ろから声を掛けられる。
振り返ると義一が立っている。
「なんで、ここに?」
「まだ下手くそだから、試合で足を引っ張らないようにと思って。先輩こそ、ここで何してるんですか?」
「まあ、練習だよ」と僕は言う。
「ああ、そうなんですね」と義一は言って、ポケットに手を入れる。
義一とはあまり二人で話したことがない。
「久次郎先輩?」
「なに?」
「かのえ先輩のこと好きですよね?」
「え、なんで?」思わず、あからさまに動揺してしまう。
なんで、こいつが。まさか、かのえさんが。
「違いました?」
「いや、違わないけど」
「やっぱ、そうですよね」
「なんでそう思った?」
「なんでって、セオリー的に、っていうか」
「セオリー的?」
「いや、俺、ラブコメの漫画とかよく読むんですけど」
「うん」
「このチームでも何かそういう展開がないかって考えたんですよ」
「あ、うん」
「で、かのえ先輩と久次郎先輩が作ったチームだって聞いたので。で、かのえ先輩ってあんまり恋愛ぽくないので、久次郎先輩を見ていたら、もしかしてと」
「なるほど」
「俺、ずっと不登校だったので、目の前で恋愛展開が起こっててちょっと感動してます」
「……」
どう返したものか、と思う。
「ああ、えっと、だから、俺は久次郎先輩を応援しています」と義一は言う。
「あ、ありがとう」
「とりあえず、かのえ先輩と久次郎先輩が練習のときに二人きりになれることが多くなるようにしてみます」
「ああ、そんなことまでしてくれるんだ」
「はい。俺、結構マジで応援してますから」
義一はいつも低いトーンで淡々としゃべるから気づきにくいが、少し変わっていて面白い。そして、意外と優しい。
「じゃあ、練習しますか」義一は打席の方へ向かっていく。
「義一って、ほんとに野球やったことない?」
「ああ、はい。ないっすよ。チームスポーツできるほどのコミュニケーション力ないんで」
「バッティング、フォーム綺麗だよ」
「あ、あざっす。先輩は野球やってました?」
「一応、小学校のときだけ」
「ルールとか全然わかんないんで、この後、教えてもらっていいですか? 守備の練習のときに分かってたいんで」
「うん。僕でよければ」
義一は意外と真面目だ。
広い公園だな、と思う。
川沿いに遊歩道が伸びていて、それを囲うように遊具や芝生の広場、花壇などが並んでいる。そして、その途中に広いグラウンドがある。
すべての木々に百匹くらい蝉がいるかと思うほど、鳴き声が公園中に聞こえる。
端の方で少年たちがキャッチボールをしているけれど、反対端なら互いに邪魔になることはないらしい。
「さて、どうやってやるかな」と青池先生が呟く。
俺は、久次郎先輩を見る。
新しそうな大きめのグローブを持っている。キャッチャーミットというものだろう。
かのえ先輩の話によると、かのえ先輩がピッチャーで、久次郎先輩がキャッチャー、若菜先輩がファーストで、俺が内野手、青池先生が外野手らしい。
それなら、やるべきことは一つだ。
「あの、とりあえず、ピッチャーとキャッチャーは二人で練習したほうがいいんじゃないですか?」と言ってみる。
「ああ、確かにそうだな。かのえがどれくらい投げられるかもわかんねえし。早田、かのえにアドバイスしながら、キャッチボールな。三好と竜野は俺がノックしてやるから」
義一は僕にだけ見えるようにグーサインを出して、青池先生のノックの方に行く。
青池先生は外れたボールが僕たちに当たらないように少し離れたところで、ノックをするらしい。
ありがとう、義一。
「じゃあ、やろう」とかのえさんが言う。
なんだかんだ、かのえさんと二人なのは久しぶりだ。
かのえさんは見るからに新しい、堅そうなオレンジのグローブを持っている。
「とりあえず、普通にキャッチボールする?」と僕はかのえさんに言う。
「うん」
かのえさんは後ろに歩いていく。
「どのくらい離れる?」とかのえさん。
「ハンドボール投げ、どれくらいだった?」
「よく覚えてないけど、多分、7とか、8とか」
野球のピッチャーの長さは18メートル、女子野球でもたいして変わらないだろう。
一応、こちらは初心者だから、多少は近くで投げさせてくれるかもしれないが、それでも遠いな。
「とりあえず、これくらいから投げてみる」
かのえさんは10メートルくらい離れたところで立ち止まる。
「うん、いいよ」僕はミットを開いて構える。
かのえさんは軽く右足を上げて、腕を伸ばすように投げる。
僕は少し前に出てボールを取る。
フォームはあまりいいとは言えないけれど、思ったより飛ぶな、と思う。
「これくらいの距離でちょっと練習してみよう」と僕は言う。
「うん」
それからかのえさんと何度かボールを行き来させる。
「ちょっと離れてみる?」
「うん」
かのえさんは僕にボールを投げる。
少しかがんでそのボールを取る。
「どう?」
「うん。思ったより飛ぶね。いい感じ」
「よし」とかのえさんは言う。
やっぱり可愛い。
「よし、行くぞ、竜野」
「お願いします」と義一くんが答える。
左手でボールを投げ上げて、右手で持っているバットで打つ。
勢いよくはじかれた球は地面で跳ねて、転がる。
それを義一くんがとって、私に投げる。
私は左足を砂に書いた正方形から動かさずにその球をとる。
「次、三好」
「はい」青池先生は同じように、今度は私に向けてボールを投げる。
私はそれを取ろうと、グローブをはめた右手を伸ばす。
いける、
え、
ボールは手元で跳ねて、グローブの端にあたって跳ねる。
慌てて左手を伸ばしてそのボールをつかんで、地面に書いた正方形を踏む。
全然、捕れない。悔しい。
「もう一回、行くぞ、三好」
「はい」と答える。
「声が小さい」
「はいっ」
青池先生がボールを打つ。
絶対に取りたい。
ボールは地面を跳ねる。
上がったところへグローブを伸ばす。
ボールはグローブに収まる。
私は地面に書かれたベースを踏む。
「よし、竜野」
「はい」また、義一くんのほうに飛ぶ。
義一くんは運動神経がいい。
素早く捕って、私に投げる。
「よし。次、三好」
「はいっ、」
ボールが来る。
私は足を開いて正面で捕ろうとする。
グローブの先に当たって、後ろへ転がっていく。
「ちゃんと腰を下げろ。行くぞ、もう一回」
「はい」
ボールはまた転がる。
取れない。
「もう一回だ」青池先生が言う。
「はい」
「声が小さい」と青池先生が怒鳴る。
「はいっ」
目の周りが熱くなってくる。
青池先生はボールを打つ。
また、捕り損ねる。
なんで、
思わず、涙があふれる。
私は袖でそれを拭う。
「泣くな、三好」
「はい」と答える。
それでも止まらない。
「三好、いいか。俺たちが今度戦うのは、これよりもずっと苦しい練習をしてきたやつらだ。このくらいで泣いてるようじゃ、絶対勝てねぇぞ。行くぞ、三好」
「はい」
青池先生はボールを打つ。
捕ろうと、手を伸ばす。
さっきよりも強い。
ボールはグローブを跳ねあがる。
「っ」
力強く頬に当たる。
痛い、
「しっかりグローブを立てろ。行くぞ、もう一回」
「はい」
全然ダメだ。
私は、青池先生の言う通りにできない。
悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
バッティングセンターの代わりに公園でキャッチボールをするようになって、とうとう試合の前日になった。
義一と若菜さんは青池先生にノックをしてもらって、僕とかのえさんはひたすらキャッチボールをしている。
かのえさんは確かに熱心に練習をしているし、だいぶ上達した。
でも、たったの二週間だ。上達には限度がある。
それに、かのえさんは運動神経が良くない。
まあ、がんばってるかのえさんも可愛いからいいのだけれど。
いつもと同じ距離でボールを投げる。
それをかのえさんが捕る。
「いい感じ」とかのえさんが言う。
「うん」と僕は答える。
かのえさんとはこのところ野球の話しかしていない。
これでいいのか。
僕はかのえさんにボールを投げ返す。
かのえさんは危なっかしくそのボールを受け止める。
僕も上手くないから、距離が離れると少し勢いが強くなると。
「ごめん、強かった?」
「ううん、大丈夫」
かのえさんはボールを投げ返す。
僕は膝を曲げて、このボールを受け取る。
「もっと腕を上から振るイメージで」
「分かった」
かのえさんは僕の返球を落とす。
それを拾って投げ返す。
僕はまだ堅いグローブを開いて、そのボールを受け止める。
僕はまたかのえさんに投げる。
かのえさんに告白して振られて、それで今、キャッチボールをしている。
かのえさんは黙ってグローブを構える。
変な感じだ。
なんで、ずっと野球ばっかりなんだよ。
僕はかのえさんにボールを投げる。
強すぎた。
真っすぐかのえさんに向かってボールが飛ぶ。
「んっ」かのえさんは身体をそらして避けようとする。
グローブに当たってボールが跳ねる。
かのえさんは後ろに転ぶ。
「ごめんっ」僕は叫ぶ。
「ううん、大丈夫」
かのえさんは立ち上がる。
「ごめん、強く投げすぎた」
「いいボールだったよ」かのえさんはスカートに付いた砂を払う。
「ごめん」僕はもう一度謝る。
かのえさんの顔が横から夕日に照らされている。
「大丈夫」とかのえさんは言う。
どういう気持ちなのだろう。
僕にはかのえさんの事が分からない。
「私が最後まで投げ切れると思う?」唐突にかのえさんはボールを手渡す。
僕はそれをグローブで握る。
実際、かのえさんの体力がどれほどかは分からないけど、現状を見る限り大変になるだろうと思う。
「……」それを口にする気にはなれない。
「久次郎、今度の試合では絶対に勝ちたい」
かのえさんは真っすぐ僕を見る。
「もし私が投げられなくなったら、その時のためにもう一つのプランを用意してある。久次郎にだけ教えとくね」
僕は頷く。
「耳貸して」
僕は少しかがむ。
かのえさんは手を僕の耳にかざして、つま先立ちになる。
「もう実は——」
かのえさんはそのプランについて話す。
微かな吐息を感じる。
「——だから、そうなったら、久次郎は——」
かのえさんは話を終えて、僕の耳から離れる。
「かのえさんはそれでいいの?」
「うん」
かのえさんはグローブを右手にはめる。
「かのえさん」
「なに?」
僕はボールを握る。
「もし勝てたら」
振りかぶる。
「一緒に出掛けてほしい」
かのえさんはボールを捕る。
「いいよ。勝とう」かのえさんはニヤリと笑う。
つづく
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