かのえアウトサイダーズ

永井こう

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第9話「私たちは君を必要としてるよ」

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かのえさんと初めて会ったのはバッティングセンターで対決する少し前だった。
会ったとは言っても、会話はしていない。
いつも通り、野球部の練習が終わった後で、俺は一人残り、自主練をしていた。
誰もいない河川敷のグラウンドの隅で、薄暗いなか素振りをするのはすごく楽しい。人生でこれが一番楽しいことかもしれないとさえ思う。
そんなとき、ふと顔を上げると、消えかかった太陽に照らされて一人の女性が立っていた。
その人はショートカットで、うちの学校の制服。薄暗くて顔はよく見えなかったけれど、こちらをずっと見ていることは分かった。俺は気にせずに素振りを続けたが、今思い返せば、あれがかのえさんが俺に目を付けた瞬間だったのかもしれない。
次に会ったのは、それから数日後、バッティングセンターで対決したときだった。
はじめは全く気付かなかった。青鷺先輩がまたしょうもないことを言い出して、どうでもいいことで勝負をすることになった。
しかも、対戦相手の女の子は本当に初心者で、しかも運動神経もよくないのか、驚くほど打てなかった。
それに対して青鷺先輩はそれなりに実力を発揮して、余裕で勝とうとした。
それで結局、最後のおじさんが思いのほか打てたせいで負けたのだから、ざまあない。
青鷺先輩が悪態をついて通りすぎた後で、その女の子の前を通った時に目が合った。
あ、この前見てたのもこの女の子なのか、と思った。
その子は、何かを誘うように笑った。俺は、目をそらしてそのまま帰った。
次に会ったのは夏の大会の直前だった。青鷺先輩たちはラーメンだか何かを食べに行くといって、いつも通り早々に切り上げて帰っていった。
グラウンドで俺は一人素振りをする。
青鷺先輩は嫌いだ。しょうもないことばかりを言って、何も面白いことを考えられない。何かを向上しようという意識がサッパリないのだ。
大会では一試合目に強豪の石田大付属と対戦する。きっと先輩たちは一試合目で負けると思っている。
勝負は自分より強い相手と戦うほうが面白い。得られるものも多いし、勝つ甲斐もある。
それをあの人達は知らない。きっと、ある程度頭がいいのだろう。だから、どんな奴と戦うのが一番『効率がいいのか』を考える。だから、つまらないのに、どうでもいいことにはこだわる。
俺は、そんな人たちと一緒になるつもりはない。
そう思いながらひたすらバットを振っていると
「えーつーお」と背後から声をかけられた。
俺は少し驚いて、でもそれをしぐさに出さないように意識しながら振り返る。
この前の女の子がベンチを日陰にするために立てられた木のそばで立っていた。
「久しぶり」と女の子は左手を上げる。
「どうも」ととりあえず答える。
「みんなは帰っていくのに、一人で残って練習してるんだ」
「俺は、あいつらとは違うので」
「へー」と言って、その女の子は近づいてくる。
「でもさ、傍から見たら、君も、青鷺くんも、同じだよ、同じ野球部だからね」
痛いことを言ってくるな、と思う。いや、傍からどう見られているのかを気にする必要なんてないのか。
「なんの用ですか?」ととりあえず尋ねる。
「君をスカウトしに来た。覚えてる? この前バッティングセンターで対決した、中島 かのえ」
「スカウトって」
「私のチームはさ、すごく弱いんだ」とかのえさんは自慢げにいう。
「……」
「高校の時に野球をやってたおじさんが一人と、小学生まで野球をやってた高校生が一人。あとは、野球未経験の運動神経のいい高校生が二人と、私。どう?」
確かに弱い。でも、
「すみません。さすがに野球部を捨てて、そんな初心者の集まりに行くつもりはないので」
「ふーん。そっか」そう言って、かのえさんは帰っていった。
それから、何度もかのえさんは自主練をしている僕のもとを訪ねてきた。

今まで大して練習をしていなかったくせに、大会が近づくと、チーム内の雰囲気は悪くなっていった。それの筆頭が次期キャプテンの青鷺先輩だった。
青鷺先輩はまだキャプテンでもないくせに、なんでも自分の思い通りにしたがる。
「えつお、悪いが試合では、三年の先輩に投げてもらおうと思うんだ。いいか?」
「いいすよ」
大会当日、俺はさぼって河川敷のグラウンドに行った。
「やっぱり、ここに来たね、えつお」木陰のベンチでかのえさんが座っていた。
「なんで、ここにいるんですか?」
「きっと君は試合に行かずにここに来ると思って」かのえさんは微笑む。
さすがに怖い。
「分かってると思うけど、今日の試合でうちの高校は負ける」
「はい」
「そのあと、私には作戦があって、早々に野球部と試合をすることになると思う」
作戦って、どんな。
「ピッチャーは私。でもさ、私、ちょっと体が弱いんだ。小さいころから。だから、もしかしたら、途中で投げれなくなるかもしれない」
かのえさんは、少し寂しそうな表情をする。
「だから、そうなったら、君に投げてほしい」
「いや、たぶん本当にそういう試合が来るとしたら、野球部のピッチャーは俺ですよ」
「分かってる。でも、こっちに来て」
「さすがに、それは」
かのえさんは俺に向かって歩いてくる。
そして、僕の前で立ち止まる。
「私たちは君を必要としてるよ、えつお」かのえさんは優しく笑う。
青鷺先輩は、いや、野球部は俺を必要としているだろうか。
環境でいえば、絶対に野球部にいたほうがいい。いくらうちの野球部でも、素人の集まりよりは多少なりとも上手い。
でも、その素人の集団で、多少なりとも上手いチームに勝とうとする。
それはきっととてつもない向上だし、なにより面白い。
そうだ、面白い。
「分かった。俺はかのえさんのところで投げる」
かのえさんはニヤリと笑う。
「ようこそ、かのえアウトサイダーズへ」

そして今、かのえさんは俺にボールを差し出している。
「君に投げてほしい」
「分かった。俺が投げる」
俺はそのボールをつかむ。
「えつお」と青鷺が言う。
「なんですか?」
「何やってんだ、お前」怒るというよりは、もはや不思議そうな顔で青鷺先輩は俺を見る。
「すみません、先輩。この際だから、言っておきますが、俺はあなたのことが嫌いでした。では」
俺はグローブをもってグラウンドに向かう。
「ほんとにいいんだな、えつお」と沢良先生が言う。
「はい。俺はかのえさんのチームに入ります」
「よし。分かった。始めるぞ、鞍野は入れ」
かのえアウトサイダ―ズの面々も守備につく。
0―7か。
「はい」一番、キャッチャー鞍野先輩か。
優しいから、少し申し訳ないな。
キャッチャーの人が手を左右に広げる。どこにでも投げていいということだろう。
俺は思いっきり振りかぶって、ど真ん中に投げる。
と、見せかける。
カーブだ。
鞍野先輩はバットを振る。
先に当たる。詰まった。
セカンドの人が前に出てきて素早く捕球する。やるな。
そして、ファーストへの送球。
アウトだ。
「ワンナウトー」とキャッチャーの人が言う。
いい感じだ。

すごい曲がったな。
キャッチャー側から見ていても面白い。
もっと僕がリード出来たら、きっとさらに面白いのだろう。
次のバッターは暮露。
もう、どこにでも投げてくれてかまわない。
僕はまた同じように両手を広げる。
えつおが首を振る。
俺にリードしろって言うのか。
とりあえず、僕は低い位置で構える。
そこにまっすぐストレートが入る。
暮露は振らない。
「ボール」と沢良先生。
構えたところに来る。面白い。
今度はど真ん中で構える。同時に、右手で左バッターボックスのほうを指さす。
カーブという意味だ。伝わるか。
えつおはど真ん中に投げる。
ボールが左バッターボックスのほうに曲がる。
すごい。
あと、一球。
もう一度カーブだ。
僕はど真ん中に構える。
えつおのボールが曲がる。
暮露はまたバットの先で引っ掛ける形になる。
義一が前に出てきて捕る。
それから投げる。
義一の指からボールが離れるタイミングが少し遅れる。
まずい、送球が低くなる。
若菜さんが足を開いて、腕を伸ばす。左足はベースを踏んだままだ。
体が柔らかい。
ボールは地面で短く跳ねる。
それを器用に掬う。
「アウト。チェンジ」と沢良先生が言う。
僕はまっすぐえつおのほうへ走っていく。
「ナイスピッチ」と言う。
「ありがとうございます」と野球部らしくない落ち着いた声で言う。
「若菜さんもナイスキャッチ」
「偶然だよ。自分でもびっくりしてる」
僕らはベンチに戻る。
打順は義一からだ。

俺はバットを手に取る。
若菜さんは泣いていた。
俺も打てなかったら、多分泣く。
でも、泣きたくない。
だから、打つ。
相手のピッチャーがこちらに来たのだから、当然、ピッチャーは変わる。
その新しいピッチャーが投球練習をしている。
かのえさんがやっていたように俺は素振りをする。
打てる。さっきも、守備で捕れたのだから。
「よし、入って」と沢良先生が言う。
「はい。お願いします」と言って、俺はバッターボックスに入る。
あんまり、バッティングセンターと変わらないな、と思う。
ピッチャーがボールを投げる。
それがそのままキャッチャーミットに収まる。
「ストライク」
やっぱり、バッティングセンターと変わらないな。
気を取り直して構える。
また来た。
僕はバットを振る。
ちょうどいい音がする。
いいところに当たった。
ちょうど内野の上を超える。
その間に一塁まで走っておく。
よし、ヒットだ。

えつおが塁に出て、さらに三好も打って、義一が帰ってきた。
三好は一塁から打席に入る俺に笑顔で手を振る。
よかったな、と思う。
俺が打って、ホームに帰してやるよ。
さて、ピッチャーは知らないやつだな。まぁ、見てた感じ、えつおには全く及ばない。全然打てる感じだ。
俺はバットを構える。
「タイム」と声がする。沢良だ。
沢良はマウンドに行く。
ピッチャーと何かを会話した後、ピッチャーとともにベンチに戻り、自分ひとり、防具を外してグローブをつけてマウンドに立つ。
「じゃあ、ピッター交代だ。ちょっと練習で投げるから、下がってろ」
「は?」
「ピッチャーは僕だ」
沢良は俺に向かって言う。
「なんで、お前が投げんだよ」と悪態をついてやる。
「君こそ、なんでまた野球をやってる?」
「なんでって」
「久瀬のことを忘れたのか」
「忘れてねぇよ」
「久瀬が死んだから、野球をやめたんだろ?」
「だったらなんだ。答えは勝負で教えてやるよ」
「ほう」
「早く知りたいだろ。投球練習はナシだ。」
沢良は鼻で笑う。
「審判はいいのかよ」
「いらない。ストライクゾーンにしか投げない」そう言って、沢良は胸の前でボールを構える。
沢良は足を上げる。
どうせストライクゾーンにか投げてこないんだ。一球目から振ってやる。
 俺も足を上げて思いっきり振る。
くそっ、
バットは空振り、ミットにボールが収まる。
くそ、相変わらず速えな。振り遅れた。
次だ。
沢良はもう一度投げ込んでくる。
俺はバットを振る。
畜生。
鈍い当たり。
ボールは前に転がっていき、沢良はそれを取ってホームに送球する。
さらに、キャッチャーはファーストに送球する。
ゲッツーだ。くそ。

 こちらのピッチャーがえつおになり、相手のピッチャーが沢良先生になってから、一点も入ることなく試合は終了した
 1―7
 僕たちの完敗だ。
 かのえさんは親が迎えに来るまで保健室で待つことになり、僕たち全員で、校舎のほうに向かった。
 なんとなく、保健室の前の廊下で時間を潰す。
 「そういえば、暮露の四打席目、なんで最後変化球にしなかったんですか?」とえつおが尋ねてくる。
えつおは記憶力がすこぶるいい。
「確か、その前の打席で変化球を投げなかったからって、いや、ごめん、あんまり理論はないかな」
「ああ」
「なんか、ごめん」
「いえ、こちらこそ」
「変化球ってどうやって投げるの?」
「俺が投げれるのはカーブなんで、それだったら」
野球ができる人と野球の会話をするのは面白い。
野球話で盛り上がっているとき、一人の女性が廊下を歩いてきた。
背が高くてスタイルが良い。長い髪をまっすぐ伸ばしている。
「悪い、姉ちゃん」と青池先生が言う。
「こっちこそ、ごめんね。いろいろ世話してもらってたみたいで」しゃべり方はかのえさんに似ている。
それから、その人は僕たちのほうを向く。
「かのえの母の中島 きのえです。ありがとう、かのえに協力してくれて」
かのえさんのお母さんは頭を下げる。
「いえいえ、そんな」と若菜さんは言う。
その時、保健室の扉が開く。
「お母さん」かのえさんが顔を出す。
さっきより顔色がいいような気がする。
さっき? いや、野球に夢中で、もしかしたらかのえさんの顔をあまり見ていなかった。
「どう?」とかのえさんのお母さんが尋ねる。
「もう大丈夫」
「車で来たから、いつもの駐車場まで歩ける?」
「うん」
それから、僕とふと目が合う。
「久次郎」
「なに?」
「久次郎が嫌なら、私とバッテリー組まなくてもいいよ」
かのえさんはそう言い残して去っていく。
若菜さんが少し驚いた様子で僕を見る。
「……」
「悪いとこでたな、あいつの」と青池先生が言う。
「……」
「あ、そういえばさっきかのえさんのお母さんに、姉ちゃんって」と義一が言う。
「ああ。かのえは俺の姪なんだよ」
だから色々と知ってたのか、と思う。
いや、それよりも、最後の言葉が気になる。
僕はかのえさんが倒れてから、かのえさんを気にせず、野球に夢中になっていた。
かのえさんはそれに気づいていたのだろう。
青池先生が僕の肩に手を置く。
「あいつはやきもち焼きなんだよ、小さいころからな。どうせ、すぐ寂しくなって向こうから来るから、心配しなくて大丈夫だ」
「はい」と答えたけれど、とても大丈夫だとは思えなかった。

つづく
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