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第11話:何の見返りも求めずに助けてくれた、ある男について。
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かつての私は、朝のアラームの音が大嫌いだった。その音は、私を望んでいない世界へと無理やり引きずり戻す葬礼の鐘のように聞こえた。
中身がどれほどボロボロであるかを悟られないよう、厚化粧で顔を塗り固めなければならない世界。
けれど、荒木くんの小さなアパートで迎えた今朝は、すべてが違って感じられた。
味噌汁と炊きたてのご飯の香りが、鼻先をかすめていく。目を覚ますと、見慣れない、けれどひどく安心できる天井がそこにあった。
家賃を滞納していたあのアパートのような、埃の匂いや突き刺さるような冷気はもうない。
私はソファから起き上がり、毛布を整えてから、持ってきた手鏡を覗き込んだ。顔色は青白く、お気に入りのブルーのカラーコンタクトがない私の瞳は、ただの茶色だ。マスカラがないまつ毛は、あまり上を向いていない。
「私……本当に、このまま行けるのかな?」鏡の中の自分に、そっと問いかけた。
そして、昨夜の彼の言葉を思い出した。「君はありのままで綺麗だよ、アイさん」。それを考えるだけで、胸の奥が熱くなる。まるで小さな花火がそこで弾けたみたいに。
今まで、男の人たちはいつも私のスカートの短さや、見た目の「派手さ」だけで私を品定めしてきた。でも彼は……彼だけは、私自身ですら忘れていた「何か」を見てくれている。
私はキッチンの方へと歩いていった。荒木くんがコンロの前で忙しそうに動いている。
「おはよう、荒木くん」私は静かに声をかけた。
彼は少しだけ振り向いた。表情は相変わらず無愛想だったけれど、その眼差しにはいつも誠実さが宿っている。「おはよう。座れ、朝飯はもうすぐできる」
彼のたくましい背中を見ていると、お父さんとお母さんのことを思い出した。昔、私の家もこんな風に温かかった。中学生の時に、あの事故が二人の命を奪ってしまうまでは。
それ以来、私はずっと一人だった。叔父と叔母は両親が残した保険金にしか興味がなく、お金が底をつくと、私は天涯孤独の身としてこの街に放り出された。
夜遅くまでアルバイトを掛け持ちする毎日。舐められないように、誰かを威嚇するために、私は「ギャル」にならざるを得なかった。弱く見えれば、世界に喰い殺されてしまうから。けれど荒木くんの前では、そんな鎧は何の意味も持たなかった。
「アイさん?」荒木くんの声が私の思考を現実に引き戻した。彼は私の前にスープの器を置いた。
「何をぼーっとしてるんだ。早く食べないと冷めるぞ」
「あ、うん! ごめんね」私は急いで箸を手に取った。
スープを一口啜ると、また涙が出そうになった。温かい。本当に温かい。何年も感じることのなかった深い慈愛のような味がした。
***
学校へ向かう道、私は彼の後ろを歩いた。風に揺れる彼の学生服の背中を見つめる。
胸が高鳴る。私は彼に依存し始めていることを自覚していた。単に居場所を与えてくれたからだけじゃない。彼が私に、生きる理由をくれたからだ。
けれど、恐怖は消えない。昨日、荒木くんの胸ぐらをつかんだ富永亮太の影が、ずっと頭から離れなかった。
富永家……彼らが何だってできることを私は知っている。亮太が父親の権力を傘に着て、気に入らない誰かを追い詰める話を何度も耳にしてきた。そして今、私のヒーローがその標的になっている。
(私みたいな不運な女の子のせいで、荒木くんを傷つけさせちゃいけない……)私は拳を握りしめながら思った。
北海道の灰色の空を見上げる。昔は、この空が果てしなく広くて、とても恐ろしかった。けれど今は、荒木くんの背中が目の前にある限り、歩き続けられる気がする。
私は変わる。誰かのためじゃない、自分自身のため、そして私を暗闇の底から引きずり出してくれた、この人のために。
「約束するね、荒木くん……」風にしか聞こえないほどの小さな声で、私は呟いた。
「私、もっと強くなるから」
中身がどれほどボロボロであるかを悟られないよう、厚化粧で顔を塗り固めなければならない世界。
けれど、荒木くんの小さなアパートで迎えた今朝は、すべてが違って感じられた。
味噌汁と炊きたてのご飯の香りが、鼻先をかすめていく。目を覚ますと、見慣れない、けれどひどく安心できる天井がそこにあった。
家賃を滞納していたあのアパートのような、埃の匂いや突き刺さるような冷気はもうない。
私はソファから起き上がり、毛布を整えてから、持ってきた手鏡を覗き込んだ。顔色は青白く、お気に入りのブルーのカラーコンタクトがない私の瞳は、ただの茶色だ。マスカラがないまつ毛は、あまり上を向いていない。
「私……本当に、このまま行けるのかな?」鏡の中の自分に、そっと問いかけた。
そして、昨夜の彼の言葉を思い出した。「君はありのままで綺麗だよ、アイさん」。それを考えるだけで、胸の奥が熱くなる。まるで小さな花火がそこで弾けたみたいに。
今まで、男の人たちはいつも私のスカートの短さや、見た目の「派手さ」だけで私を品定めしてきた。でも彼は……彼だけは、私自身ですら忘れていた「何か」を見てくれている。
私はキッチンの方へと歩いていった。荒木くんがコンロの前で忙しそうに動いている。
「おはよう、荒木くん」私は静かに声をかけた。
彼は少しだけ振り向いた。表情は相変わらず無愛想だったけれど、その眼差しにはいつも誠実さが宿っている。「おはよう。座れ、朝飯はもうすぐできる」
彼のたくましい背中を見ていると、お父さんとお母さんのことを思い出した。昔、私の家もこんな風に温かかった。中学生の時に、あの事故が二人の命を奪ってしまうまでは。
それ以来、私はずっと一人だった。叔父と叔母は両親が残した保険金にしか興味がなく、お金が底をつくと、私は天涯孤独の身としてこの街に放り出された。
夜遅くまでアルバイトを掛け持ちする毎日。舐められないように、誰かを威嚇するために、私は「ギャル」にならざるを得なかった。弱く見えれば、世界に喰い殺されてしまうから。けれど荒木くんの前では、そんな鎧は何の意味も持たなかった。
「アイさん?」荒木くんの声が私の思考を現実に引き戻した。彼は私の前にスープの器を置いた。
「何をぼーっとしてるんだ。早く食べないと冷めるぞ」
「あ、うん! ごめんね」私は急いで箸を手に取った。
スープを一口啜ると、また涙が出そうになった。温かい。本当に温かい。何年も感じることのなかった深い慈愛のような味がした。
***
学校へ向かう道、私は彼の後ろを歩いた。風に揺れる彼の学生服の背中を見つめる。
胸が高鳴る。私は彼に依存し始めていることを自覚していた。単に居場所を与えてくれたからだけじゃない。彼が私に、生きる理由をくれたからだ。
けれど、恐怖は消えない。昨日、荒木くんの胸ぐらをつかんだ富永亮太の影が、ずっと頭から離れなかった。
富永家……彼らが何だってできることを私は知っている。亮太が父親の権力を傘に着て、気に入らない誰かを追い詰める話を何度も耳にしてきた。そして今、私のヒーローがその標的になっている。
(私みたいな不運な女の子のせいで、荒木くんを傷つけさせちゃいけない……)私は拳を握りしめながら思った。
北海道の灰色の空を見上げる。昔は、この空が果てしなく広くて、とても恐ろしかった。けれど今は、荒木くんの背中が目の前にある限り、歩き続けられる気がする。
私は変わる。誰かのためじゃない、自分自身のため、そして私を暗闇の底から引きずり出してくれた、この人のために。
「約束するね、荒木くん……」風にしか聞こえないほどの小さな声で、私は呟いた。
「私、もっと強くなるから」
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