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第二章 今世の幸せ

第11話 湖にて(下)

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 翌朝、朝食を取った一行はすぐにブラナ湖に向かった。
 幸いなことに好天であり、風もないため、湖の湖面は穏やかに揺れていた。
 ゼファーの傍らにはフランシスと彼の護衛の騎士であるアーノルドが立っている。
 そして、皇太子アレクサンドロスの前で、彼はマジックバックを取り出すと、その中からあの“消失の槍”を引き出したのだった。
 引き出すだけで精いっぱいで、彼はすぐにその漆黒の槍を地面に落としてしまう。
 ズシンと地面を揺らす勢いで落ちた槍に、周囲の者達は見入っていた。
 柄からその穂先まで真っ黒の、文字通り漆黒の槍であった。

「これは持ち手を“選ぶ”槍です。恐縮ですが、殿下、お持ち頂けるでしょうか」

 そう言われて、アレクサンドロスは槍の柄に手をかけ、ひょいとそれを持ち上げた。
 内心、ゼファーは口笛を吹いていた。

(やはり、竜の先祖返りたる、膨大な魔力持ちのアレクサンドロスなら、この“消失の槍”を使いこなすことができるのか)

 そして、再び黒々とした、怒りにも似た思いが湧き上がる。

 彼が生き続けていれば、前世でもこの槍を使って世界は救えたのだ。
 今世でも、愚かな死を迎えないように見張らないといけないとは。

 フランシスも、アレクサンドロスが軽々とその槍を持ち上げていることに驚いて、桃色の瞳を見開いている。

「殿下、その槍は“消失の槍”といい、文字通り、消し去る力を持っています。神の力に等しいその槍の力は、振るうには膨大な魔力を要します。あなたがその魔力を使いすぎて命の危険性がないように、フランにあなたの魔力量の管理をしてもらいます」

 フランシスが、そっとアレクサンドロスの槍を握っていない左手に自分の手を添えた。
 それだけで、アレクサンドロスが頬を赤らめているのを見て、内心、ゼファーは「ケッ」とその辺りに唾でも吐きたい気持ちになった。
 この目の前の男は、今でさえ、初々しい恋する様子を見せていたが、前世では早々にフランシスに手を出して、婚礼の式典を挙げ、やることはやっていたことを知っている。
 そんなカマトトぶるなと、後ろから蹴り上げたいくらいだった。

「フラン、昨日話したように、わかっているね。アレクサンドロス殿下の魔力を調節して欲しい。彼が槍の力に引きずられないように、君がしっかりと手綱を握るんだ」

 それにフランシスはうなずいた。

「わかった」

 そしてゼファーは、アレクサンドロスにこう言った。

「湖の水だけを、消失させて下さい。そしてできれば、膝下くらいまで水は残してください。完全に水を消失させると湖の魚達が死に絶えます」

「わかった」

「あなたが槍を持って念じれば、その槍はあなたの願いを聞き届けるはずです」

 アレクサンドロスの左手に、フランシスは自分の手を握らせる。
 アレクサンドロスは、その柔らかな手を握り、内心感動していた。
 初めて、番であるフランシスに触れることができたのだ。
 思わず、フランシスの桃色の瞳をじっと見つめてしまう。
 そしてフランシスも、頬を紅潮させ、緊張した面持ちで彼を見つめ返していた。

(なんて……僕の番はかわいいんだ)

 アレクサンドロスは思わず一瞬、“消失の槍”を使って湖の水を消し去ることを忘れていた。
 だが、わざとらしく咳き込むゼファーに、慌てて気が付いて、そして願った。

(湖の……水を消す)




 途端、彼の右手で握っていた漆黒の槍が、白く輝き、穂先から眩しいほどの光が放たれる。
 それは目の前の湖の湖面に落ちて、湖面全体に広がった。
 瞬間、水が消えた。


 内務省のブラウンは、目を見開き、呆然とその様子を見つめた。

「……なんて凄まじい」

 湖面の水は、ゼファーの指示通り、膝丈くらいを残してすべて消え去っていた。
 湖面に浮いていたはずの船などはすべて打ち上げたようになっている。
 大きな魚などはその背を見せて、動きを止めている。

 湖底に落ちていた流木なども露わになっており、ブラウンはつい、服が汚れるのも構わず湖の中に進んだ。

(なんて凄まじい力だ。これは……本当に人の手にあってはならない“神の領域”の力だ)

(もし、これを軍隊が使うことができるなら、大軍でさえ一気に消し去ることができるだろう)

(……帝国に逆らう国は一つとして無くなる力だ)

 ゼファーはさっさとその“消失の槍”を自身のマジックバックの中に落としている。
 それを、ブラウンはじっと見つめていた。

(アレは、個人が所有していて良いものではないな……)
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