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第十章 亡国の姫君
第七話 追跡をかわす
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「行くぞ」
紫竜に跨ったアルバート王子は、自分の後ろにマリアンヌを乗せた。彼女はぎゅっと兄王子の腰にしがみつく。
どこか優美な紫色の竜の姿を、眩し気に兵士や女官達は見つめ、見送る。
すぐさまルーシェは空に向かってふわりと舞い、それから一気に上昇した。
その姿が一瞬で小さくなる。
見送る人々は手を振る間もなく、ただただ、彼らの飛んでいく姿を見送る。
マリアンヌは何度も振り返り、城が小さくなるまで見ていた。
残された兵士や女官達にはこう言っていた。
「自分がこの城を出た後には、必ず皆も脱出するように」
マリアンヌが城に留まっていたから、女官達もまた逃げることなくその場に留まっていたのだ。
彼女に付き従っていた女官達は、責任感のある者ばかりであった。
兵士達もそうである。この城から退却しても良いと言うと、残っていた髭面の騎士の男は「分かりました」と言っていた。
王子の妃であるマリアンヌの言葉である。きっと皆、聞き届けてくれるだろう。
生きてさえいれば、再起も出来る。
紫色の竜ルーシェが、マリアンヌと王子を背に乗せ、白い雲の上に飛び出した時、ルーシェはピクンと身を震わせ、更にスピードを上げてその場から離れていく。
「どうした、ルー」
疾く遠くへ
遠くへ離れるために懸命に飛ぶルーシェは返事をしない。
ふいに、ピカリと空が真っ白に染まり、何かが地上へ落ちた。
星が落ちたのかと思われるような光り方だった。
次の瞬間、何かが落ちたところを中心に波状に強い衝撃が走り、空の雲も何もかもが吹き飛ばされていく。王子やマリアンヌの身にも強い風が吹きつけた。ルーシェの背に乗っていた王子もマリアンヌもただただ驚いて目を見開いていた。
「見るな、マリアンヌ」
「…………」
「ルー、行け。早くしろ!!」
見るなと言われたのだが、マリアンヌは振り返ってしまった。
マリアンヌは呆けたような顔で、それを見ていた。
城のあった方角には、何もない。
ただ、地面を抉ったような黒い巨大なクレーターがそこにはあった。幾条もの灰色の煙がシューシューと空へと立ち昇っている。
何もなくなっている。
「お、お兄様……お兄様」
か細い声が兄を呼ぶ。
つい先刻まで、いた場所だった。
そして彼女達を見送った兵士や女官達がいた場所だった。
「早く行くのだ。来るぞ」
「!?」
兄の言葉に、マリアンヌもまた悲鳴のような声を上げていた。
そう、いつの間にやら空を飛ぶルーシェの後ろに、黒い点のような影が幾つも現れ、それがルーシェを追い駆け始めていたのだった。
「撒けるか」
「ピルルゥ(頑張る)」
そう短い声でルーシェは鳴くと、更に上昇する。それに気が付いたもの達も慌てて上昇していくが、ルーシェの上昇の速さについて行けぬ者も出ているようだ。スピードによる圧がかかるが、アルバート王子やマリアンヌの周りにはいつものように、彼らの身を守るような空気の層をルーシェは張り巡らせていた。
やがてルーシェの身に向けて、魔法が放たれるが、素早く動き続けているルーシェの身にはかすりもしない。
迂回を続けながら、ルーシェは追手を撒こうとする。やがて長時間の飛行に耐えきれなくなったそれらが次第に数を減らして見えなくなったところで、ルーシェは王国へ戻る飛行ルートに乗った。
追手を後ろにつけたまま王国の、竜騎兵団の拠点へ戻るわけにはいかないからだ。
マリアンヌはその間、ずっと大人しく王子の背にしがみついていた。やがて、自分の見た光景を実感したのか、彼女は声を押し殺してずっと啜り泣いていたのだった。
アルバート王子は、救出したマリアンヌを王宮へ連れていくつもりはなかった。
戻れば、彼女はまた王達の手によって、駒としてどこかへ嫁がされるかも知れないし、ややもすればサトー王国へ引き渡しすらしかねないとまで、疑いの気持ちで見ていた。
日和見主義者の多い王宮である。
とても妹の身をそこへ預けたいとは思わない。
しばらくの間、マリアンヌをどこか別の場所で匿い、様子を見ながら、彼女が平穏に暮らせるように手を尽くそうと思っていた。
空を飛ぶルーシェが、アルバート王子とマリアンヌを背にやって来たのは。
「殿下、どうしたのですか?」
ちょうどそこには学者のリヨンネがいて、離着陸場に降り立った紫色の竜を見て驚いて建物から出て来ていた。そう、北方の竜騎兵団からも少し離れた場所にある、竜達の観察拠点の建物である。
アルバート王子が、ルーシェの背から降りようとしている小柄な少女に手を貸している。
トンと少女は地面に足先をつけた。アルバート王子とその少女が並び立った時、リヨンネは驚いていた。
髪の色こそ違うが(アルバート王子は黒髪で、少女は金髪である)、王子と同じ鳶色の瞳をした整った顔立ちの少女だった。それは、アルバート王子によく似ていた。
それに、リヨンネは彼女に王宮でも会っていて、何度も一緒に遊んで差し上げていた。
「…………マリアンヌ姫」
呆然としたようなリヨンネの言葉に、彼女は少し困ったような顔で言った。
「……もう姫ではございません、リヨンネ先生」
リヨンネは口を開けたまま、アルバート王子とマリアンヌの顔を何度も交互に見ていた。
「ええっと、私の記憶が正しければ、マリアンヌ様はザナルカンド王国で王子殿下のお妃になっていると」
「ザナルカンドは落ちました」
「!!」
アルバート王子は淡々とリヨンネにそのことを伝えていく。
リヨンネが王都へ帰っていれば、兄であるバンクール商会長のジャクセンからその話を耳にすることが出来ただろう。しかし、リヨンネはこの観察拠点の建物の中にここ数日籠っていたようだ。それにザナルカンド王国の王城が落ちて一週間も経っていない中では、耳聡いリヨンネといえどもこの場所ではそれらの情報を知ることは出来なかっただろう。
ザナルカンド王国の王城が吹っ飛び、サトー王国の侵攻を受けているという話を耳にしたリヨンネは驚きつつも、マリアンヌが無事でいることに喜んでいた。
そう喜びつつも、リヨンネは首を傾げた。
「それで、何故、私の観察拠点に両殿下がいらっしゃるのですか?」
当然の質問である。
それに、アルバート王子は言った。
「しばらくの間、リヨンネ先生の下でマリアンヌを匿ってくれませんか」
紫竜に跨ったアルバート王子は、自分の後ろにマリアンヌを乗せた。彼女はぎゅっと兄王子の腰にしがみつく。
どこか優美な紫色の竜の姿を、眩し気に兵士や女官達は見つめ、見送る。
すぐさまルーシェは空に向かってふわりと舞い、それから一気に上昇した。
その姿が一瞬で小さくなる。
見送る人々は手を振る間もなく、ただただ、彼らの飛んでいく姿を見送る。
マリアンヌは何度も振り返り、城が小さくなるまで見ていた。
残された兵士や女官達にはこう言っていた。
「自分がこの城を出た後には、必ず皆も脱出するように」
マリアンヌが城に留まっていたから、女官達もまた逃げることなくその場に留まっていたのだ。
彼女に付き従っていた女官達は、責任感のある者ばかりであった。
兵士達もそうである。この城から退却しても良いと言うと、残っていた髭面の騎士の男は「分かりました」と言っていた。
王子の妃であるマリアンヌの言葉である。きっと皆、聞き届けてくれるだろう。
生きてさえいれば、再起も出来る。
紫色の竜ルーシェが、マリアンヌと王子を背に乗せ、白い雲の上に飛び出した時、ルーシェはピクンと身を震わせ、更にスピードを上げてその場から離れていく。
「どうした、ルー」
疾く遠くへ
遠くへ離れるために懸命に飛ぶルーシェは返事をしない。
ふいに、ピカリと空が真っ白に染まり、何かが地上へ落ちた。
星が落ちたのかと思われるような光り方だった。
次の瞬間、何かが落ちたところを中心に波状に強い衝撃が走り、空の雲も何もかもが吹き飛ばされていく。王子やマリアンヌの身にも強い風が吹きつけた。ルーシェの背に乗っていた王子もマリアンヌもただただ驚いて目を見開いていた。
「見るな、マリアンヌ」
「…………」
「ルー、行け。早くしろ!!」
見るなと言われたのだが、マリアンヌは振り返ってしまった。
マリアンヌは呆けたような顔で、それを見ていた。
城のあった方角には、何もない。
ただ、地面を抉ったような黒い巨大なクレーターがそこにはあった。幾条もの灰色の煙がシューシューと空へと立ち昇っている。
何もなくなっている。
「お、お兄様……お兄様」
か細い声が兄を呼ぶ。
つい先刻まで、いた場所だった。
そして彼女達を見送った兵士や女官達がいた場所だった。
「早く行くのだ。来るぞ」
「!?」
兄の言葉に、マリアンヌもまた悲鳴のような声を上げていた。
そう、いつの間にやら空を飛ぶルーシェの後ろに、黒い点のような影が幾つも現れ、それがルーシェを追い駆け始めていたのだった。
「撒けるか」
「ピルルゥ(頑張る)」
そう短い声でルーシェは鳴くと、更に上昇する。それに気が付いたもの達も慌てて上昇していくが、ルーシェの上昇の速さについて行けぬ者も出ているようだ。スピードによる圧がかかるが、アルバート王子やマリアンヌの周りにはいつものように、彼らの身を守るような空気の層をルーシェは張り巡らせていた。
やがてルーシェの身に向けて、魔法が放たれるが、素早く動き続けているルーシェの身にはかすりもしない。
迂回を続けながら、ルーシェは追手を撒こうとする。やがて長時間の飛行に耐えきれなくなったそれらが次第に数を減らして見えなくなったところで、ルーシェは王国へ戻る飛行ルートに乗った。
追手を後ろにつけたまま王国の、竜騎兵団の拠点へ戻るわけにはいかないからだ。
マリアンヌはその間、ずっと大人しく王子の背にしがみついていた。やがて、自分の見た光景を実感したのか、彼女は声を押し殺してずっと啜り泣いていたのだった。
アルバート王子は、救出したマリアンヌを王宮へ連れていくつもりはなかった。
戻れば、彼女はまた王達の手によって、駒としてどこかへ嫁がされるかも知れないし、ややもすればサトー王国へ引き渡しすらしかねないとまで、疑いの気持ちで見ていた。
日和見主義者の多い王宮である。
とても妹の身をそこへ預けたいとは思わない。
しばらくの間、マリアンヌをどこか別の場所で匿い、様子を見ながら、彼女が平穏に暮らせるように手を尽くそうと思っていた。
空を飛ぶルーシェが、アルバート王子とマリアンヌを背にやって来たのは。
「殿下、どうしたのですか?」
ちょうどそこには学者のリヨンネがいて、離着陸場に降り立った紫色の竜を見て驚いて建物から出て来ていた。そう、北方の竜騎兵団からも少し離れた場所にある、竜達の観察拠点の建物である。
アルバート王子が、ルーシェの背から降りようとしている小柄な少女に手を貸している。
トンと少女は地面に足先をつけた。アルバート王子とその少女が並び立った時、リヨンネは驚いていた。
髪の色こそ違うが(アルバート王子は黒髪で、少女は金髪である)、王子と同じ鳶色の瞳をした整った顔立ちの少女だった。それは、アルバート王子によく似ていた。
それに、リヨンネは彼女に王宮でも会っていて、何度も一緒に遊んで差し上げていた。
「…………マリアンヌ姫」
呆然としたようなリヨンネの言葉に、彼女は少し困ったような顔で言った。
「……もう姫ではございません、リヨンネ先生」
リヨンネは口を開けたまま、アルバート王子とマリアンヌの顔を何度も交互に見ていた。
「ええっと、私の記憶が正しければ、マリアンヌ様はザナルカンド王国で王子殿下のお妃になっていると」
「ザナルカンドは落ちました」
「!!」
アルバート王子は淡々とリヨンネにそのことを伝えていく。
リヨンネが王都へ帰っていれば、兄であるバンクール商会長のジャクセンからその話を耳にすることが出来ただろう。しかし、リヨンネはこの観察拠点の建物の中にここ数日籠っていたようだ。それにザナルカンド王国の王城が落ちて一週間も経っていない中では、耳聡いリヨンネといえどもこの場所ではそれらの情報を知ることは出来なかっただろう。
ザナルカンド王国の王城が吹っ飛び、サトー王国の侵攻を受けているという話を耳にしたリヨンネは驚きつつも、マリアンヌが無事でいることに喜んでいた。
そう喜びつつも、リヨンネは首を傾げた。
「それで、何故、私の観察拠点に両殿下がいらっしゃるのですか?」
当然の質問である。
それに、アルバート王子は言った。
「しばらくの間、リヨンネ先生の下でマリアンヌを匿ってくれませんか」
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