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プロローグ
#1
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「実は今日、死のうかと思ってたんです」
「うん。電話していた時の声色で薄々、だいぶ思い詰めてるなと思ったよ」
「だから私の家まで来てくれたんですか?」
「まぁね。僕、その人の心の声は聞けないけれど、その人が何を考えてそうなのかは大体予想ができるんだ」
僕は今、人の命を救っている途中らしい。救出現場は常連客の家という、普通の人なら滅多にないシチュエーション。けれど、僕の場合はそんなこともない。ストレッチマットの上でうつ伏せに寝そべる京子ちゃんは、ネガティブな感情や凝り固まった老廃物を吐き出すように気持ち良さそうな声を出している。人命救助という名前の全身マッサージを始めて5分、すでに彼女は体の中にある疲れを吐き出してくれている。
「先生は私の中では超能力で魔法使いですからね」
「それはまたスペックの高い人間だ。いや、人間じゃないのか」
「私、やっぱりこのマッサージがないと生きていけない気がする」
「ダメだよ。僕がいなくなったら死んじゃうみたいなこと言ったら」
「え? 私、すでに先生がいないと死んじゃうと思うけど」
「京子ちゃんがいなくなったら、僕もすごく寂しくなるからダメだよ。死んじゃ」
「じゃあ先生、毎日マッサージに来てくれるの?」
京子ちゃんは目を輝かせながら上体を起こし、体を捻って器用に僕の方をじっと見つめている。その瞳を見ていると、そろそろ今回の施術は終わりかなと思えた。その瞬間、彼女の家のドアが壊れそうなほど勢いよくバタァン! と豪快な音を立てて開かれた。そこには腕を組み、仁王立ちでこちらを見つめている僕の助手の姿があった。
「はい、京子ちゃん! そこまで! 先生はアナタの彼氏じゃないの。先生を困らせちゃダメ!」
「むぅー、雫さん。いつからいたの? あと、ドア。勢いよく開けすぎだって。壊れちゃったら弁償してくれるの?」
「壊れない程度に警告させようとしたつもりだったんだけどね。あと、先生も。口説くような言い方でお客様と話したらダメです!」
「口説いてないよ。思ってることを言ってるだけだよ」
「先生はそれだけで相手を惑わせてしまうんです!」
ドアを開けた勢いのまま僕に詰め寄る彼女は僕の頼れる助手だ。名前は雫(しずく)。僕よりは7つほど歳下だけど、明らかに僕よりもしっかりしていて、いつも僕の近くにいて僕の仕事のサポートをしてくれている。まぁサポートと一言で言っても、彼女のそれは多岐に渡り、今日は僕とクライアントとの距離感を保つ役割を担ってくれている。まぁ僕自身がその距離感を分かっていない常識知らずの人間だから彼女にはいつも苦労と迷惑をかけている。
「京子ちゃん。今日はマッサージだけ?」
「ううん。今から先生はどうやったら私と一緒に食事に行ってくれるかをカウンセリングしてくれるところだよ」
「冗談を言えるくらいにはメンタルは大丈夫なのね!」
ヘラヘラと笑いながら話す京子ちゃんの目には施術前よりも随分と光が戻っているようで安心した。その彼女とは正反対で、そのまま火を吹きそうなほどの勢いで彼女を煽る雫さんは僕の知る限りでは平常運転だ。まぁ雫さん自身も京子ちゃんが元気になっているのは分かっているはずだ。それで安心しているからこそ、京子ちゃんに対して勢いよく言葉を届けられるわけで。いわゆるツンデレってやつかな。いや、知らんけど。
「うん。京子ちゃん。最近色々あったのは体が教えてくれたよ。首周りと下半身の筋肉がだいぶ固まってたから大分ほぐしといた。あと、キミは肩甲骨の辺りに疲れが溜まりやすい体質だから、体が重くなってきたなって思ったら体と心が疲れてるサインだと思って」
「ありがとう。先生は私の中で一番のお医者さんだよ。体はもう、随分楽になったよ」
「ははは。そんなに嬉しいことを言ってくれて僕も嬉しいよ。けど、まだどこか疲れてるところがあるように見えるけど」
「うん。私はまだ、カウンセリングの途中だと思ってるんだけど」
「と、言いますと?」
「先生。さっきも言った通り、今日一緒に食事に行ってください」
「あぁ、心の整理はまだついてないだろうからね。いいよ、今日……」
「ダメです!!」
僕の言葉を遮るように、いやぶった切るように雫さんの言葉が割って入った。雫さんはここがアパートの一室だということを忘れていないだろうか。ヘタしたらクレームが入りかねない声量だぞ。と思った矢先、隣に住む住人だろう、壁をどんどんと、力強く2回叩く音が鈍く響いた。これには雫さんも、京子ちゃんも驚いた様子で口を閉じて2人とも同じように両手で口を押さえた。2人して同じ動きをするものだから、やっぱり2人はなんだかんだで仲が良いんだろう。
「ちょっと、雫さん。人の家で叫ばないでよ。苦情が来たら責任、取ってもらうよ。それに、何であなたに否定されるの?」
「あのね京子ちゃん。先生はあなたの彼氏じゃないって言ったでしょ。勤務時間外。カウンセリングももう終わってる時間。何より患者はあなただけじゃないの。申し訳ないけど」
声を小声にしながらも滑舌はよく、早口でまくし立てる雫さんは腕を組んで京子ちゃんを威嚇するように的確に伝えていく。そんな雫さんから逃げるように京子ちゃんは僕を見つめている。
「そんな目で先生を見てもダメだよ」
「いや。雫さん、いいよ。分かった。京子ちゃん。食べよう。一緒に食事」
「……ほんと!?」
「うん。ほんと」
「先生……」
京子ちゃんは、ぱっと表情が明るくなり今にも涙を流しそうなほど瞳を潤ませて僕を見つめる。
「ただし、条件がある」
人差し指を一本立てた僕の指に視線を移した京子ちゃんは、さっきほぐした首が取れてしまいそうなほど、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。
「はい! なんなりと!」
「食事は僕らの店で食べる。あと、今日は温かいお風呂に入って自分のベッドに入って寝る。これに頷けるなら一緒に食事をするよ」
「もちろん!」
二つ返事で首を振る京子ちゃんを見て、雫さんは小さくため息を吐いた。
「ごめんね。雫さん。雫さんも時間外の手当出すから」
「そういう問題じゃありません。先生はそうやってカウンセラーとクライアントとの距離感を逸脱する回数が多すぎます」
「キミの言い分もよく分かる。けどね、僕は知ってるよ。京子ちゃんの精神状態が安定した時に見せたキミの安心した顔。あれは病気の友人が快方に向かった時に見せる顔だ。京子ちゃんが冗談を言った時、キミも安心したでしょ?」
「ま、まぁ思ったより重症じゃないんだとは思いましたけど……!」
「ほらね。それに、これでも一応、僕がクリニックの院長だ。異論は認めないよ。もし今日の夜、予定があるならそっちを優先して構わないからね」
「……もう! 分かりましたよ! でも、食事は私が作ります。今日の当番は私なので」
「あ、ほんと? ありがとう。それならお言葉に甘えて今日は雫さんの自慢の手料理を頂くとしよう。京子ちゃんもいいかな?」
「そうね。正直、先生のポトフが食べたかったけど、雫さんも料理が上手だからしょうがないからそれでいいよ」
「文句を言う人は食べなくてもいいからね!」
「雫さん、また声、大きくなってるから」
徐々に声量が大きくなる雫さんを京子ちゃんが止めながら僕たちは僕の職場で僕の家である「Tsukakoko」へと車を走らせた。2人して助手席を取ろうとしていたものだから、仲良く後部座席に座ってもらった。
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