Tsukakoko 〜疲れたらここへ来て〜

やまとゆう

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プロローグ

#2

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 車を走らせて30分ほどで着いたここ、僕の職場で僕の家であるクリニック。名前は「Tsukakoko」だ。察しの通り、これは略称であり正式名称は「疲れたらここへ来て」という何ともユニークな名前だと思う。察しの通り、ここは僕がつけた名前ではない。ある人からもらった名前だ。赤レンガ造で建てられた外壁が特徴的で、トレードマークである黒猫が大きな口を開けているロゴマークが僕のお気に入りだ。後部座席を振り返ると、さっきまで歪み合っていていた2人が頭を合わせて気持ちよさそうに眠っている。僕はその微笑ましい景色をシャッター音の鳴らないカメラアプリでこっそりと写真を撮ってから2人の肩に軽く触れた。

 「はい。おふたりさま。目的地に到着しましたよ」
 「う、うーん」
 「ありがとうございます……。先生、戻ってくるの、思ったより早かったですね」

 むにゃむにゃと眠そうにしている2人を見ていると、どこか姉妹のように見えるのは僕だけではないはずだ。目覚めの悪い雫さんは目を擦りながら体勢を整えて車のドアを開けた。京子ちゃんも同じようにゆっくりと体を動かしてドアを開けた。普段はキビキビと動く雫さんのこうした抜けた所を見るのも夜の時間ならでは、だ。

 「先生。やっぱりここ、クリニックには見えないよ。どう見ても」
 「あはは。そうだよね。まぁ僕もそう思ってないからなぁ」
 「え? そうなの? じゃあどう思ってるの?」
 「そうだなぁ……。この世界にいる誰もが、疲れた体を癒せる憩い場みたいな所だと思ってるかな」
 「えへへ。先生は言葉のチョイスが優しいね」
 「そう? 思ったことを言ってるだけなんだけどな」
 「ほら。2人とも。早く中に入りますよ」
 「あぁ、うん。ありがとう雫さん。さ、京子ちゃん。行くよ」
 「はーい。今日はお世話になります」

 いつの間にか意識がハッキリとしている雫さんが僕の仕事道具を全部持ってくれていたので、僕がずっしりと重量感のあるバッグとストレッチマットを受け取ってから家のドアを開けた。中に入ると、ひんやりとした空気が僕の体を通り抜けていった。つい先週ぐらいまで夜でも蒸し暑い季節だったのに、いつの間にか秋が近づいている気候になっている。うん。僕の好きな季節がすぐそこにありそうで嬉しい。

 「ただいまー」

 家に帰ると、僕はいつものようにそう言ってここに帰還報告をする。

 「おかえりなさい」
 
 家に帰ると、雫さんがいつものように僕の帰還報告に答えてくれる。

 「おかえりなさい。先生、雫さん」

 今日はいつもと違い、京子ちゃんも僕の帰還報告に反応してくれた。リビングの照明をつけ、仕事道具をソファの上に置いていく。こうなってしまったら僕もオフのモードに入ってしまう。あぁ、今日はクライアントが来ているんだ。この場で着替えるのは流石にまずい。雫さんにも怒られる気がして、僕はソファに置いてある全身黒色の大きいサイズの上下スウェットに手を伸ばした。

 「先生、今日はここで着替えたらダメですよ」
 「分かってる分かってる」

 リビングを出るまで雫さんの鋭い視線が視界に入りながら僕は早足で脱衣所へ向かった。京子ちゃんは2年ほど前からここのクリニックに通ってくれるようになった常連さんだけれど、ここで僕らと一緒に食事をするのは1年ぶりぐらいに久しぶりだ。まぁそもそも21時を過ぎてもクライアントがここにいるのも滅多にないことだけれど。仕事着である黒のスラックスをするりと脱ぎ、ダボッとして大きめサイズの水色のカッターシャツのボタンを全て外しそれを脱ぐと、僕は今日の仕事から解放された達成感を胸いっぱいに味わう。肌触りが気持ちいいお気に入りのスウェットに袖を通しリビングへ戻ると、何とも香ばしいにおいが僕の食欲を刺激した。

 「お、雫さん。今日はチャーハンか。最高じゃん」
 「いえ。天津チャーハンです。あと、デザートには買い溜めしてあった巨峰のシャーベットを一つずつ」
 「え? いいの? それ、雫さんのお気に入りのアイスでしょ?」
 「いいんです。クライアントのケアということであれば。何の問題もありません。それに、精神面のケアが必要な時は甘いものを食べるのが効果的ですから」

 早口言葉のように滑舌良く話しながら、それと同じぐらい素早い手つきでフライパンに入っているご飯を炒めていく。京子ちゃんもお腹が減っているようで、雫さんが持っているそれに、文字通り釘付けになっている。

 「雫さん、腕の料理上げたね」
 「当たり前でしょ。2日に1回作ってるんだから。料理の腕だけじゃなくて料理のバリエーションも増えたからね」
 「雫さんの手料理を食べちゃったら、それこそ心身共に健康になっていくぐらい美味しいよ」
 「先生。それは褒め過ぎです。褒めても天津チャーハンは大きくなりませんからね」
 「あれ? バレてたか。それでも雫さんが作る料理が美味しいのはほんとのことだから」
 「……恐れ入ります」

 雫さんが照れている時、必ず人差し指で鼻の頭を3回撫でる。案の定、雫さんは右手の人差し指で鼻の頭を3回撫でて目線を再びフライパンの方へ戻した。目力のある鋭い目つきをしながらも、ちゃんと照れている雫さんはツンデレという言葉が僕の知るこの世界で一番似合う人だと思っている。

 「はい。出来ましたよ。2人とも」
 「おぉー! 今日も美味しそう。とろとろの餡がすごく美味しそうだね」
 「ほんとに。何かこれを見てるだけで元気になれそう。それにすごくいい匂いだし」

 雫さんが皿に並べてくれた天津チャーハンは、料理店で出されるものと引けを取らないほどの見た目といい匂いがした。これは食べる前でも確実に分かる。絶対に美味しいやつだ。香ばしい匂いと餡のほどよく濃くて甘い匂いが交互に僕の食欲を更に刺激してくる。スプーンとコップをそれぞれ3人分用意し、僕がそれぞれのコップに冷たいお茶を注ぎ、準備を整えた。

 「ありがとうございます。先生。じゃあ、お2人とも。食べる準備は出来てますか?
 「うん。雫さん、僕もう待ちきれないかも」
 「私も! もう食べていい?」

 はしゃぐ僕らを見て少し呆れたように長めの息を吐いた雫さんは、スプーンとコップをそれぞれ自分の手元までも持ってきて、その流れで手を閉じてその前で両手を合わせた。彼女の所作を追いかけるように僕も目を閉じて、その前で両手を合わせた。僕の横からも両手を合わせる音が聞こえた。

 「お待たせしました。じゃあいただきましょう」
 「いただきます」
 「いただきますー!」

明らかに1人だけテンションの違う声が隣から聞こえながら僕らはそれぞれスプーンの上に乗せたそれを口の中に入れていく。僕はそれを咀嚼する前に思った。これは絶対に美味い。まず、この風味が最高に食欲を刺激する。その後、雫さんの絶妙な味加減によって生み出された餡がそれに追いつくようにその味の波が来る。続けて甘くてほろほろの卵とパラパラとした食感の米が僕の口の中で溶けていく。あぁ、これは雫さんに夕食を作ってもらって正解だった。僕の作る天津チャーハンよりも遥かに美味い。隣の京子ちゃんもその味に感動しているようで、少女マンガのキャラクターみたいに目をキラキラと輝かせている。

 「な、何これ……! こんな美味しい料理食べたの、生まれて初めてなんだけど……」
 「京子さん、それはちょっと褒めすぎ。けど、そう言ってくれるのは嬉しい。ありがとう」
 「うん、本当に美味しいよ。雫さん。これは京子ちゃんのメンタルも癒してくれている逸品だね」
 「ありがとうございます。まだまだ先生の腕には程遠いですが」
 「いやいや。普通に僕の作るのより美味しいって。これ」

何事にも謙虚でいる雫さんらしい一言を言いながらも、頬が緩んでいる彼女の笑顔が、彼女の魅力を一層際立たせているように見えた。うん、今日はここで3人一緒に食事をするのは正解だったようだ。僕はそっと胸を撫で下ろすようにゆっくりと息を吐いて目の前にある逸品に再びスプーンを入れた。
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