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第1章 麻倉 斗和
#18
しおりを挟む「笠井さん、笠井さん。施術、終わったよ」
「ん……。あぁ、終わったか。って、俺は寝ちまってたのか!?」
座っていた椅子から立ち上がりそうなほど勢いよく飛び起きた笠井さんの顔は、さっきよりも血色が良くなっていて今の動きひとつだけ見てもさっきよりキレがあるように思えて笑えた。
「あはは。リラックスしてくれてたみたいで良かったよ。顔色もさっきより良くなってるし筋肉も体全体の筋肉もだいぶほぐれたと思うよ。そのまま立ち上がってもらって、さっきまで痛かった場所を確認してもらってもいい?」
「あ、あぁ……。確かに痛くないな……。体も軽い気がする」
「へへ、良かった良かった。笠井さんのお役に立てて良かったよ。あ、でもね。少し気になった箇所があったから、これ。紹介状書かせてもらったよ」
「紹介状……?」
「うん。僕と親交のある大きな病院の先生に向けた書類なんだけど、笠井さんの右足にね、放置しておくとマズイ病気になる手前の症状を見つけたんだ」
「病気だと? 俺は昔から体だけは頑丈だぞ?」
僕の手元から書類を奪うように取り、笠井さんは慌てた様子でそこに書かれているものを読んでいく。次の瞬間、気が動転しているのかそれを破りそうに掴んだ笠井さんの右手を慌てて掴んだ。
「あー待って待って! 笠井さん! それ、破っちゃダメなやつ!」
「デタラメなこと書いてんじゃねぇぞ!?」
「大丈夫。今は病気になってない状態だから。その状態で仕事を続けるとマズイってこと。入院とかにはならないはずだし、検査するだけなら2時間ぐらいで終わると思うから笠井さんの仕事が休みの日に診てもらうことを強く勧めるよ。胡散臭い僕から言われても説得力が無いかな?」
「あぁ。認めねぇな! 体の疲れは取れてるが、ここは医者じゃねえだろ。俺の体は俺が一番よく分かってる」
笠井さんのことはまだまだ知らないことばかりだけれど、彼が僕の言うことを素直に聞こうとしないことぐらいは分かってきた。僕はポケットからスマホを取り出してLINEのアプリを開いた。
「分かった。じゃあ今からその今話に出てた大きな病院に勤めてる先生に聞いてみるね」
「無駄だ。体の痛みを無くしてくれたことには感謝はしてるが……」
「ちょっと待ってね……。笠井さん、あ! もしもーし」
『もしもし? 久しぶりね! 斗和くん。どうした? 急に』
「ハルカ先生、久しぶり。今からさ、あるクライアントの足の状態のレントゲン写真をスマホに送ろうと思うんだけど、それを見てハルカ先生の気になった箇所を教えてくれてもいい?」
『うん? 別にいいけど。斗和くんが見せる写真ってことは何か重大なものが映ってる系?』
「ううん、そういうわけでもないんだけどね。百戦錬磨のハルカ先生がこれを見るとどう映るのかなって思ってさ。はい、送ったよ。写真」
『お、きたきた。ちょっと待ってね。確認中』
「うん。よろしく」
電話越しにスマホが震えた音が聞こえ、もぞもぞと動く物音が一緒に聞こえてきた。今の物音は布団や毛布が擦れた時に聞こえるような音だ。勘違いかもしれないが、もしそうだったとしたら彼女の暮らしは相変わらずのようだ。時刻はもう軽く12時は回っている。視線を笠井さんの方に向けると、彼はまるで石になっているみたいに微動だにせず僕を見つめている。
『そうね、情報は少ないけど、これだけ見たら疲労性歩行難肢炎の前兆になっている状態の足だと思うんだけど』
「うん、ちょうど僕も同じように思ってたんだ。じゃあハルカさん、その病気の主な特徴を3つ挙げてくれないかな?」
『うん? そんなの斗和くんだって知ってるでしょ?』
「まぁね。でもちょっと復習がてら思い出そうかなと思って。ほら、その病名ってなかなか聞かないものじゃない」
『まぁ珍しい病気であるのは確かね。日々、学ぶ姿勢があるのは素晴らしいことよ。私も自分に言い聞かせながら言ってみるね。特徴の1つ目は普通の人なら溜まらない筋肉箇所に疲労や力の負荷がかかること。2つ目は、痛みはほとんど現れない。ただし、発症すると想像を絶する痛みがその箇所に襲いかかる。そして3つ目は、歩くことが出来なくなる。最悪の場合、切断をしなければいけなくなるといったところね。どう?』
「ありがとう。バッチリ思い出せたよ。けど、どうして切断をしないといけないの?」
『発症した場合、神経が少しずつ腐っていって最終的に発症箇所が壊死してしてまう。それが他の部位に転移する可能性が出てくる。だから、よっぽどの場合だけど、そういう辛い診断結果を患者に伝える場合もあるってところかな』
「ありがとう。名医のハルカ先生」
『何? 今日はやたら褒めてくれるじゃん。褒められても何も出ないよ』
スマホをスピーカーモードに変え、ハルカ先生との会話のやりとりを全て笠井さんに聞いてもらっていると、笠井さんは眉間に皺を寄せてとても険しい顔で僕のスマホを何も言わずにひたすらじっと見つめていた。
「実はね、この通話を全部今言ったクライアントにも内容を聞いてもらってたんだ。だからね、実際の診断結果を伝えたくてさ」
『え? 患者さんにもこの話聞かれてたの? いいの?』
「おい。名医のハルカ先生」
笠井さんの低かった声が一層低みを増した声でハルカさんを脅すように彼女をスマホ越しで呼んだ。
『ん? 患者の方ですか?』
「あぁそうだ。笠井という者なんだが、さっきこの男と話していた内容は事実なのか? 病気の名前も聞いたことのないようなものだったが」
『笠井さん。初めまして。斗和くんと親交があり、病院を経営しているハルカと申します。笠井さんに伝えるのは辛いですが、この話が本当にあなたの足のレントゲン写真であれば、私はすぐにでも入院と手術を勧めます』
「……この男はそもそも信用できるやつなのか?」
僕を見つめながら問いかける笠井さんに対し、ふふふと少しだけ笑った声がスマホから聞こえてきた。
『笠井さん、そこにいる斗和くんは日本で一番患者のことを思いやってくれる先生ですよ。それに嘘をつくこともありません。事実しか言いません。それが凶と出る時もあったみたいですけどね。敬語も使わなくて見た目もチャラチャラしている男だけど、頼りになる先生であることは間違いありません。笠井さんも信じてみては?』
思いもよらない言葉の応酬に笠井さんはその太くて凛々しい眉毛を見事に曲げて困っている。僕でさえハルカさんにそこまで褒めてもらえるとは思いもしなかった。正直、嬉しくてニヤニヤしている顔が2人に見られていないか心配になる程だ。
「……あんたのことも信用していないのが現状だが」
『電話越しに話しているだけですものね。でしたら、南総合療養病院とスマホなどでお調べください。そこのホームページに代表である私のことが1から10まで掲載されています』
「笠井様。こちら、南ハルカ先生の紹介文です」
すかさず雫さんがハルカさんの情報が載っているサイトを、いつも愛用しているタブレットで画面いっぱいに映して笠井さんに見せつけるように渡した。写真に映っているハルカさんは10年以上前のものだから実物とは異なることもあるということを僕は知っているが、さすがに今の状況では言う必要も無いし言ったらどうなるかは大体想像がつく。うん、とても恐ろしい。
「……なるほどな。確かにその南って名前のつく系列の病院や施設は俺でも知ってる。そこの代表が言っていることなら信じてやる」
『ありがとうございます。そこの代表が斗和くんのことも一目置いていますので、どうか彼に歩み寄る姿勢を見せていただけると私も嬉しいです』
ふふふと電話の向こうからハルカさんの笑い声だけが聞こえ、物音ひとつ鳴らない部屋で笠井さんにじっと顔を見つめられる。それでも、その目はさっきみたいな鋭い目つきではなく、少しは僕を認めてくれているような目をしているように思えた。
「敬語も使えないチャラチャラして女々しいやつかと思っていたが、今は女々しいやつだと理解を改めるよ」
「女々しいは撤回してくれないんだね、笠井さん」
「そんなに細い腕や足では頼りなく見られるぞ。俺みたいなゴツゴツした体になれとまでは言わないが」
「あはは。それは色んな人に言われるよ。そうだよね、ナヨナヨしているようにも見られるかもしれないから筋トレも頑張ってみるよ」
笠井さんに笑顔を向けると、彼はフッと鼻を鳴らしながら笑った。どんな形であれ、笠井さんを笑顔にできたことが今は一番安心している。
『斗和くん、それは私からもお願いしたいかも。私より細い足をしてるから羨ましさ半分、心配半分になる時もあるから』
スマホからもハルカさんから指摘を受ける始末。食べるものはちゃんと食べているし、ある程度体を動かしたりしているんだけどな。体質的に筋肉がつきにくい体なのは否めない。
「そうだね。見た目から頼りがいのある人になれるように頑張るよ」
『お願いします! あ、それと笠井さん』
「何だ?」
『さっき斗和くんが見せてくれたレントゲン写真、本当に笠井さんのものなら近いうちにこちらの病院へお越しくださることをお勧めします。できれば早く、10日以内だといいかと思いますが』
「……それは何故だ? そんなに俺の足は危険な状態なのか?」
『今はまだ痛みが少なく、発症していない状態ですが、箇所が箇所なだけにいつその足に抱えたものが笠井さんに牙を剥くか分からない状態です。お仕事は何をされていますか?』
「……建築業だ」
『でしたら尚更、病院へお越しください。今の段階ですと、治療に時間も料金もそこまでかかりません。放っておくと取り返しのつかない状況になる可能性もありますので……。いかがですか?』
腕を組み、口をムッと噤んでいる笠井さんは少しの沈黙の後、「分かった」と言ってハルカさんの病院へ行くことを決めた。幸いにも今の現場での仕事が終わるのが明日や明後日くらいで終わるようで、それが一区切り着いたらハルカさんの病院へ通うことを決めた。
『それでは笠井さん。当日はお気をつけてお越しください』
「分かった。よろしく頼む」
『斗和くんもありがとうね。笠井さんの治療が上手くいったら、キミが送ってくれたレントゲン写真のおかげだからね』
「いやいや、僕は気づいたことをハルカさんに伝えただけだから」
『相変わらず謙虚だね。それでは、私はこれにて失礼します』
「あぁ」
「ありがとう、ハルカさん。ごめんね、急に電話して」
『いえいえ! また困ったらいつでも連絡して』
「うん、分かったよ。ありがとう。じゃあまたね」
『はーい! またねー!』
ハルカさんらしく明るい声色のまま通話が切れた。笠井さんも納得してくれて良かった。あとはハルカさんの所での治療が上手くいくことを願う。
「おい、斗和」
「ん? どうしたの、笠井さん」
「悪かったな。世話をかけてしまって」
「えぇ? でんぜん気にしないでよ。僕も笠井さんの体が良くなることが一番だって考えてるんだから」
間違いなく笠井さんの表情や声がさっきよりも柔らかくなっていた。それに、急に謝られたものだから僕も妙に慌ててしまい第一声を噛んでしまった。まぁ多分、笠井さんはそういうところはツッコまないはず。イメージだけど。彼さんにつられるように僕の頬はさっきよりもさらに緩んだ。
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