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第40章 武装法人の次なる武器 – 魔法の導入
しおりを挟む勝利の凱旋から数日が経ったというのに、都市カストリアの熱はまだ冷めていなかった。
朝の市場には活気が満ち、通りを行き交う人々の会話には、必ずと言っていいほど一つの名が混じる。
――二階堂商会。
盗賊団を討ち破った噂は、単なる武勇伝にとどまらず、瞬く間に周辺の村々へと広がっていった。
「商会が守ってくれる」
「ここなら、家族を置いても安心だ」
そんな言葉が、確信を帯びた声で交わされている。
それは恐怖による支配ではない。秩序と対価、そして約束によって築かれた信頼だった。
執務室の扉を閉めると、外の喧騒が嘘のように遠のく。
机の上には、束ねられた報告書が山のように積まれていた。
「社長。志願者が、想定の三倍に膨れ上がっています」
リュシアが差し出した書類の束は、見た目にも重い。
その声音は冷静だが、内に抑えきれない緊張を含んでいた。
「農村の若者、都市の職人、行き場をなくした傭兵……。身分も経歴もばらばらですが、全員が二階堂商会に雇ってほしいと列を作っています」
漣司は一枚目を手に取り、視線を走らせた。名前、年齢、技能、志望動機。
簡素な紙面だが、そこに書かれているのは人生を賭ける覚悟そのものだった。
名簿は想像以上に分厚く、ページの端は何度もめくられたせいで指の熱を吸い、わずかに湿っている。
「……悪い話じゃないな」
そう口にしながらも、漣司の表情は浮かれなかった。
一拍置き、はっきりと言い切る。
「命を預かる以上、口約束や気分で済ませるわけにはいかない」
リュシアは静かに頷いた。
「……戦場で勝っただけでは、終わらないということですね」
「ああ」
漣司は書類を机に戻し、背もたれに深く体を預ける。
「法人とはそういうものだ。勝って終わりじゃない。人を集め、育て、守り、そして得た利益を還元する。その循環を回し続けてこそ、組織は生き残る」
それは、ただの武装集団ではなく会社としての宣言だった。
リュシアの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
冷静な瞳の奥には、疑いようのない信頼が宿っていた。
「社長……あなたと二階堂商会なら、この世界で不可能とされてきたことすら、制度として成立させてしまうでしょう」
その言葉に、漣司は小さく息を吐く。
「……だからこそ、次だ」
武装法人二階堂商会。それは今、単なる戦う組織から――
この世界に新しい常識を持ち込む存在へと、静かに進化を始めていた。
◇
会議室の長机を囲み、主要メンバーが集まっていた。ロイは庶民代表として真剣な顔で言う。
「庶民たちも喜んで志願してます。ただ……戦場に出るのは怖いって声も多い。訓練や装備の整備は急務かと」
「そうだな。常備軍として鍛える必要がある。武装法人の社員教育みたいなものだ」
漣司は頷き、机の上の地図を広げる。
「戦場で分かったことがある。白兵戦だけでは限界がある。数が多い敵を正面から押すのは、人的資源の浪費にすぎん」
その言葉に皆が身を乗り出す。
「じゃあどうするの?」
とミナが尋ねる。
「戦術と兵器だ」
漣司は指で地図を叩きながら説明する。
「投石機、クロスボウ、攻城槌。日本の歴史を振り返ってもわかるが、個々の力ではなく、組織力と兵器の運用こそが勝敗を決める。物流と補給は血流、兵器は筋肉だ。法人に置き換えれば、資金繰りと設備投資にあたる」
ミナは机に身を乗り出し、目を輝かせて訊ねる。
「なんか難しいけど……要は、効率よく勝つってことね?」
漣司は軽く頷き、真剣な目を仲間たちに向けた。
「その通りだ。無駄を省き、力を集中させる。それが戦いを制する鍵だ」
◇
漣司は、ふと口を閉ざした。
議論の熱が引いたその一瞬、脳裏に焼き付いて離れない光景がよみがえる。
――戦場で見た、あまりにも異様な現実。
炎が意思を持つかのように空から降り注ぎ、稲妻が咆哮とともに大地を引き裂いた瞬間。剣や斧では届かぬ距離から、戦況そのものを書き換える力。
(あれが……魔法か)
戦の最中、何度も目にしていた。
だが、あまりにも常識から逸脱していて、理解することを本能的に拒んでいたのだ。
しかし――もう目を背けるわけにはいかない。
「この世界には、俺のいた前の世界には存在しなかった兵器がある」
漣司はゆっくりと言葉を選び、仲間たちを見渡した。
「それが――魔法だ」
会議室に、重たい沈黙が落ちる。紙の擦れる音すら止まり、全員がその言葉の意味を噛み締めていた。
最初に空気を崩したのは、ガロウだった。後頭部をがりがりと掻き、豪快に笑う。
「火の玉だァ? そんなもン、俺の斧の方がよっぽどデカいゾ!」
だが、その強がりを即座に切り返す声がある。
「いや、そう単純じゃないでしょ……」
ミナだ。半眼で呆れたように肩をすくめながらも、その表情には微かな高揚が混じっている。
「実際、侮れないわよ。私も簡単な炎魔法くらいなら使えるけど……剣と違って、距離も関係ないし、使い方次第で戦い方が根本から変わるもの」
指先に、ちろりと小さな火が灯る。
照明代わりにも、焚き火の代わりにもなる程度の、ささやかな炎。
だが、それが人の意思で生まれた火であることに、誰もが息を呑んだ。
「火を起こすにも、灯りをともすにも使えるし……戦場じゃ、なおさらよね」
ミナは炎を消し、楽しげに笑う。
その様子を見ながら、ロイが真剣な面持ちで口を開いた。
「リュシアさんも魔法は扱えますが、専属の魔導士はまだ二階堂商会にはいないですね」
その言葉に、リュシアがかすかに微笑む。
「社長らしい決断です。混沌を恐れず、新しい枠を作り上げる……経営者として、指揮官として、最も困難で、最も価値ある選択です」
漣司は、その言葉を受け止めるように、深く息を吐いた。
剣と銃、斧と槍だけでは、いずれ限界が来る。
この世界で生き残り、仲間と組織を守り続けるためには――。
(武装法人は、武器を更新しなければならない)
それは単なる戦力増強ではない。
二階堂商会という組織そのものを、次の段階へ押し上げる選択だった。
漣司の瞳に、静かな決意の火が灯る。
「法人は、知恵も武器にする。魔法を研究し、制度に組み込み、武装法人を真に武装させる」
◇
午後の光が傾きはじめた頃、都市カストリアの中央広場に、ひときわ目を引く新たな掲示板が設けられた。
重厚な木枠に張られた大きな羊皮紙。その表面には、迷いも躊躇も感じさせない、力強い筆致が刻まれている。
『武装法人二階堂商会 魔導士募集!我らが都市を守り、未来を切り開かんとする者よ、集え』
その一文を目にした瞬間、広場の空気がわずかに変わった。
人々は歩みを止め、掲示板を仰ぎ、ざわめきが波紋のように広がっていく。
「魔導士を雇うのか……本気なのか?」
「兵だけでなく、魔法まで……商会はどこまで強くなるんだ」
「これで本当に、都市最強になるのかもしれん……」
そのざわめきの渦から、ほんのわずかに距離を置くように――
ひときわ小柄な影が、静かに足を止めていた。
深く被ったフードの隙間から、白金色の髪が一筋、夕陽を受けて零れ落ちる。
それは炎にも、月光にも似た、不思議な輝きを帯びて揺れていた。
フードの奥から覗く琥珀色の瞳は、喧騒にも人混みにも向けられない。ただ、ただ真っ直ぐに掲示板を見据えている。
――まるで、その文字の向こう側を見通すかのように。
少女の唇が、ゆっくりと吊り上がった。
「ほう……武装法人とやらが、魔導士を募るとな」
低く、しかし澄んだ声。どこか時代錯誤めいた古風な口調が、夕暮れの風に溶ける。
「面白き世となったものじゃ」
誰に語りかけるでもなく、誰の同意を求めるでもない。
だがその一言だけで、なぜか周囲の空気が張り詰めた。気づいた者は誰もいない。
ただ、確かに――その小さな影がそこに在るだけで、広場のざわめきは微妙に調子を狂わされていた。
都市はまだ知らない。この瞬間が、静かな転換点であることを。
誰もまだ知らない。
この少女――ルーチェ=ヴァルノア。
その名が、やがて二階堂商会という巨大な船に乗り込み、組織を、都市を、そして世界そのものを大きく揺るがす波となることを。
沈みゆく夕陽が、彼女の白金の髪を炎のように染め上げる。
その背に影を落としながら、運命は音もなく動き出していた。
静かに。だが、決して止められぬ速度で、新たな物語の幕開けを告げていた。
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