【R18】100日お試し婚〜堅物常務はバツイチアラサーを溺愛したい〜

にしのムラサキ

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旅行の始まり

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 係長は二つ返事で明日からの有給の申請を受けてくれた。
 年末、なんとなく気は急くけれど、営業部は繁忙期から抜けていた。カレンダー配りはあるけれど、まぁそれはお正月休みに入る前になんとかなると思う。

「心配してたの。元気そうだけれど、それでもやっぱり」

 恐縮する私に、係長は言う。バツイチ歴のある彼女は、なにかと気を使ってくれていた。

「ご実家に帰るの?」
「あ、いえ。旅行に──」
「いいわね。現実なんか忘れてらっしゃい。でも」

 こてん、と首を傾げて係長は言う。

「そんなに急に、予約なんかとれたの?」

 私は曖昧に笑って、なんとか誤魔化した。

(たしかに、こんなに急に旅行の予約なんか取れるものかなぁ)

 けれど謙一さんはまったく気にしていないし、ていうかどこに行くかも教えてくれない。旅費もいらないと断られた。申し訳ないけれど、別の形でお返しするしかないだろう。
 しかし本当に、どこに行くんだろうか……。

 翌日、起きるとまず連れてこられたのは某有名百貨店。クリスマス一色のその入り口で、謙一さんは私の手を握って楽しげに言う。

「とりあえず、ブーツとコートを買おう。寒いから」
「寒い……?」
「あとはドレス」
「ドレス!?」

 訝しんだ顔をしてる自信がある。寒いところに行く? 北海道とか? ていうかドレスはなんのために?
 デパートに入るやいなや、コンシェルジュさんが出てきて対応してくれた。深々と下げられる頭。
 戸惑っているうちに貴賓室みたいなところに通されて、されるがままに採寸。

(……いつもこんな買い物をしているの……!?)

 コンシェルジュさんが複数の店舗から、ドレスにハイヒール、コート、ブーツを持ってきてくれた。
 謙一さんは「これも似合う」「あっちも似合う」と口出ししすぎてコンシェルジュさんに呆れられていた。
 ……いや、本当に似合うかどうかは不明なんですけれど。
 ストッキングやドレス用の肌着なんかも、おすすめされるがままに選ぶ。

(……な、なるようになれ~)

 もはや俎板の上の鯉だ。
 訳がわからないなりに、今更抵抗しても無駄だということくらいは分かる。
 デパートの中華屋さん(……なんて言っていいんだろうか、お高そうな中華ブッフェでした)でランチをして、そのまま駅へ。大荷物だしで、さすがにタクシーを使った。

「……新幹線だったりです?」
「ちょっと違うな」

 謙一さんはワクワクしてる雰囲気。これは電車に乗りますね。電車っていうか、列車かも?
 楽しそうな謙一さんを横目で見て、私は嬉しくなる。なんでだろう、彼が楽しそうだと私も嬉しい。
 駅の改札前に、駅員さんが立っていた。

「柳様、ようこそおいでくださいました」

 ニコニコとした初老の駅員さんの横に並んでいた、ホテルのポーターさんのような制服を着た若い男性が荷物を受け取ってくれる。
 やっぱり俎板の上の鯉な私は、お礼を言いつつこっそりと初老の駅員さんの名札を見つめる。金色の名札の、そこには。

(……駅長さん)

 駅長さんだ。駅長さんがお出迎えに……!?

「お久しぶりです」

 謙一さんは気安く駅長さんと会話している。知り合いみたいだった。

(どういう状況!?)

 何がなんだかわからないまま、駅長さんに案内されたのは地下にある「13.5番ホーム」。
 搭乗客らしいひとたちが、数組すでにホームで待っていた。それぞれ、ポーターさんが荷物を持って近くにいる。

「……あの、そろそろ教えていただけませんか」
「秘密だ」
「なにか特別な列車に乗ることだけは分かりました」

 謙一さんはそれには答えず、悪戯っぽく笑う。

「ここは、──専用ホームなんだ」
「専用?」

 謙一さんを見上げた、ちょうどその時。
 ぷあん、というホーンと共にライトが光る。そうして滑り込んできた、濃い緑色の車体。見たことが、あるような──って。

「……謙一さん、これ。あれですよね、なんだっけ……高級電車」
「……クルーズトレイン」

 恭しい口調で訂正された。とても大事なことだったらしい。

「それ」

 ニュース番組で見たことがある。
 たしか、一泊だけでもシーズンによって、ひゃ、100万近くはしたような……。

「え、あ、あの、いやいや、謙一さん」
「なんだ?」
「む、無理です無理、こんな高級なの乗れません……!」

 まるまる一両が、ひと部屋……だった気がする。詳しくは知らないけれど、とにかく予約が数年先まで完全に埋まってる、その高級寝台列車に、今から……の、乗る!?

「期待させて悪いが、一泊だけなんだ」
「いやいや、一泊だけでも大変なことですよ……!?」

 2人でいくらになる!? そ、想像したくない……!

(だからドレスだったんだ!)

 やっと合点がいった。
 多分、ディナーにしろなんにしろ、ドレスコードがあるんだと思う。

「付き合ってくれないか? 俺のワガママなんだ」

 な? と優しく微笑まれると、やっぱりどうにも弱い。もごもごと口ごもりながら、案内されるままに乗車して──しまうと、なんだかんだでテンションが上がってしまった。

「わ、お、お風呂! 電車なのに!」

 割と大きな檜風呂がどーん、と存在していた。繰り返すけど、これ、電車なのに!
 はしゃいで部屋を見て回る。磨き込まれた木製の家具が揃う。
 寝心地の良さそうなベッドがある寝室、真新しい畳敷きの和室、それらすべての部屋に大きな窓があった。
 同じく眺望の良い洋室には、深い緑色のソファ。間接照明も上品で、どこか瀟洒な洋館の一室といった佇まい。

「列車の旅も悪くないだろう?」

 ちょっと自慢げに謙一さんは言うけれど……。

「あの、この列車……たしか、何年か先まで予約で埋まってるんじゃ」
「実はな」

 謙一さんは目元を和らげて、よしよしと私を撫でた。なぜに。

「知人が、……まぁ有り体に言うなら鉄道好き仲間なのだけれど。彼が元々この、今日から4泊5日のクルーズを予約していたのだが、今日明日だけ都合がつかなくなったそうなんだ」
「はい」
「それで今日明日だけ乗せてもらえないか、だけワガママを……運営会社に大学の同期がいてな。もちろん俺が乗りたかったからだ」

 悪戯っぽく言う謙一さんだけれど、……なんとなくピンときた。
 普段、謙一さんはそんな横車を押すような真似はしない。仕事でも──まだあまり知らないけれど、プライベートでも、そうだ。
 私の──ため。

(こんなのは、非日常だ)

 ぐるりと辺りを見回す。
 こんな機会でもなければ、一生乗ることもなかっただろう、最高級の列車旅。
 奇しくも係長の言った通り──「現実」を忘れる、そんな旅行の始まり。
 要は……謙一さんは、私に一昨日のことを、ちょっとの間だけでも、忘れさせたいんだと思う。
 それだけ傷ついて……見えたんだと、思う。
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