人生和歌集 -風ー(1)

多谷昇太

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風吹かず…止みて終わるか?

我はすね者?

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廊下をば人のしば通るさはあれど我に来ぬべき見舞客ばかり
※廊下を入院患者やらその見舞客などがよく通ります。また同室の患者らには家族始め見舞客がよく訪れます。だが私には間違っても誰も来ません(除く、姉。久しくご無沙汰していた、プータロー然とした私に…何から何まで。ホント、姉には頭が上がりません)。

すね者の独り身ままのあさましさなど聞かばしもさ在るとなくに
※1.いい年こいて独り身…などと揶揄され笑われ、あるいはカップルを見せつけられたりすればなおさらむきになって独身…という分けではないのです、もちろん。若い時に「ランボーのごとき海外放浪」に挑戦したがその体を成さず、負目負目と帰国してしまったという経験をしていて、それをずーっと引きずっているような生き方をその後しばらくしてしまった…というあたりが正解かも。つまりこの文筆活動やら絵画制作という〝自分にしか目の行かない生活〟にかまけてしまった。そうこうする内に気が付けば年は50になんなんとしていたし、妻帯はもはや…だったし、それはともかくわが老後への備えを自覚・準備し始めた頃に、この「超ロングストーカー」という、ちょっと余人には誰も経験されないような災禍に突入してしまった分けです。20年弱をつきまとい、人を〝寝かせない〟〝生活させない〟という〝エルム街のフレディ行為〟をし続ける連中、ヤクザども…。ここまで行くと気違いを通り越して〝けちがい〟です。おっと、話がついこちらの方に脱線しましたが要はこのいい年をこいて一人身を云いたかった分けで、今いるこの4人部屋に於ては私以外の他の3人には常時(かしょっちゅう)各々のご細君が訪れるわけですが、私にはそれがありません。ここに居る患者らはすべてガンで人生の重大な岐路に立たされている人ばかり。そこにおける連れ合いのフォローする様、その真摯さ加減を見させられるにつけ、今のわが身の情けなさを思い知るばかりだったのです。
※2.「うつせみの世にすね者といふらむは夫子(つまこ)もたぬをいふにやあらむ」by樋口一葉。飽くまでも病のための短命だったがゆえですが思えばかの樋口一葉もついに独身のままでした。死の床にいて果して彼女はそれについてどういう感慨を持ったでしょうか?ちなみに彼女こそは私をして文筆活動に勤しめさせた大きなファクターのひとつです。ランボーと共に。
※3.いや、この※の添え書きが過ぎてまったく和歌が進みません(笑い)。しかし「人生和歌集」の名に免じてご容赦ください。

【わが和歌の、文芸活動の師(私が勝手に師事しただけですがね…)、樋口一葉】


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