人生和歌集 -風ー(1)

多谷昇太

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海を渡る風

さびしき女(をみな)

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つまりいでたちはどうあれ彼女も我々と同じ求職者の身の上だったということです。この彼女の往時の状態を例えるに、遙か後世の今の我が国の世情で云うなら、炊き出しに連なるホームレスの列にネクタイ・背広姿で入るようなものであり、畢竟白眼視されるに至った…とでも云えたでしょうか?しかしそんな服装云々よりも彼女には今の自分の境遇に戸惑うような、それを飲み込めないでいるような、一種プライドの高さごときものがあって、畢竟それが自他に対して実にアンバランスであり、不調和を催している感があったということです。これを称するに〝悲しみのトリスターナ〟とでも云うのでしょうか、自分の今の境遇だけに沈み続けるような、他人に悉皆目の行かない、謂わば松山や前の日本人グループと巡り合う前の、ちょうど私のような雰囲気を持つ人だったのです。それでも私の場合は松山や明関夫妻などに感化されたお陰で自分のみに沈むことは避け得ました。しかし彼女にはそれが出来ない様子。すればそこに他人が入り込む余地のありよう筈もなかった。当アルファポリスに既掲載の「1974年フランクフルトの別れ」時と同様なる感慨を彼女にも抱きましたが、違うのは、この彼女には我々日本人グループに(言葉は悪いが)何とかして、例え取り入ってでも加わって、自分の身の上を打開しようとする気概と云うか、可愛気(かわいげ)がまったくなかったのです。我々日本人グループは誰も彼もが今日明日をどうにかしようとする切羽詰まった身、我々に飛び込んで来ない人まで気遣う余裕などなかった(それに第一男ばかりだった)。それでも私は一所懸命フォローをしたのですが、浮き上がった彼女はやがて自ら離れて行ったのでした…。

祝つバイト久しき焦り消へ失せぬかの折りよりも嬉しかりけり

松山氏や明関夫妻と行動を共にしていた時に戻ります。実はあのあと幾許もなく〝神様〟ターナーから私と松山に朗報がもたらされたのです。今日も今日とてターナー参りに明関夫妻と赴いたおり、"Hey, you guys have one application."という待ちに待ったひとことを松山氏と私は聞くことが出来た。その折の嬉しさと云ったら…まさしく上記した歌の通りでした。

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