人生和歌集 -風ー(1)

多谷昇太

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海を渡る風

就職決定!

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日本で某大手総合スーパーや某役所に就職出来た時よりもなお嬉しかったのです。松山氏も顔を赤らめて嬉しがりましたが私ほどではない。しかしその直後にターナーは明関夫妻には「"No, no offer yet"」と告げていて夫妻は私と松山の決定を見た直後でもあり一瞬でも沈んだ面持ちとなりました。それでもそれをすぐに隠すと我々2人の就職決定を喜んでくれたものです。このようなドラマが、往時経済発展に浮かれていた日本では、おそらく歯牙にもかけられないような、しかし我々日本人ボヘミアンに於ては一の大事が、ヨーロッパの小国スイスで繰り広げられていようとは、当たり前ですが誰も気づかないことだったでしょう。しかしこのような一場面一場面こそが、我々ヨーロッパで生きる日本人ボヘミアンたちにとっては、〝今〟生きているという赤裸々な生の証しだったのです。出国前わたしが詠んだ幼稚な詩が一編あります。

「応召せん」
いま世界の片隅で一人の男が、
自分の人生に戦いを挑もうとしている。している。
おのれのカルマを越えて、出生の願いを果さんとしている。している…。
それなのに俺と来たら、毎日毎日仕事場への行き帰りだけで、考えていることといったら、昼食や夕食のメニューなど、つまらないことばかりだ。平凡な日々の繰り返し、でしかない。
…これでいいの?…これで生きていると云える?

嫌だ。

あのね、俺は、俺は、必ず行くよ。一兵士として、戦場へね。
何も安逸に平々凡々として,
人生を過ごす為に生まれて来たんじゃない。
一回生起のこの人生…俺はあのランボーのように、そしてホイットマンのように、
表へ、世界へと飛び出して、おのれの魂の願いを再び確認してくるのだ。
おのれのカルマとの戦場へと、光と影が混沌としていている所へと、
俺は、行くよ…。

【脚注&挿絵添え文】出国前、18才時に詩作した折りの心境はまさに〝応召〟し〝出征〟するといった気概だったのです。しかしその先の戦況や結果がいかなるものになるのか、家族や友人を、おのれの未来さえも、すべてを失うものとなるのか、ということに悉皆気づくことのない青臭さだったのです(そのことは次章の「風を聞く」以下をお読みくだされば一目瞭然です)。まさに旧日本軍の末路そのもののような塩梅とはなってしまいました。つまり〝応召〟などと粋がってはみたものの、その実体はランボーのサンサシオンであったのであり、すればその末路が〝酔いどれ船〟となってしまったと云った方が的確だったでしょうか。いずれにせよ、自分で云うのも何ですがこの辺はまさに〝人生〟です。人生そのものの和歌集です。
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