人生和歌集 -風ー(1)

多谷昇太

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乱&pinterest

慧眼 仏法僧

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和歌一首…雑歌40.慧眼

仏法僧と闇夜に鳴くるブッポウソウ僻目で見るな険しきものぞ

詞書:正邪不明、曖昧模糊で有耶無耶な今の世…と思う一方で、はっきりエコーチェンバーに相別れる昨今の世でもある。この混沌の世で真理を見抜く〝慧眼〟はいかに得べきや?得るはげに険しからむ。
※次ページのこの絵を見た途端に真理を求める〝必死なる〟慧眼を思い浮かべました。

              【↓pinterestより】



和歌一首…雑歌50.歩き巫女

古の歩き巫女見る思ひもすまだしきままに暮らすがかはゆし

詞書:梁塵秘抄「我が子は十余になりぬらん巫(こうなぎ)してこそ歩くなれ…まだしとて問いみ問わずみなぶるらんいとおしや」往時貧者の娘は食い詰めた親に捨てられ往々にして歩き巫女(つまり春を売る女)となった。この不況連れに増すだろうことが労しい。

   【↓from pinterest※和歌の内容とは何の関係もない素敵なイラストです】



和歌一首…雑歌51.藤太巫女

聖(ひじり)こそ世俗の好む的なれや不況の世なり増すが悲しかり

※「聖(ひじり)こそ」は「巫女とふは」の方が良かったかも知れません。かの梁塵秘抄に同情(あるいは揶揄)を込めて歩き巫女(要するに春を売る女)の記載が多いのです。これからの不況一辺倒の世に鑑みてかく詠みました。
詞書:梁塵秘抄に「鈴はさや振る藤太巫女目より上にぞ鈴は振るゆらゆらと振り上げて目より下にて鈴振れば懈怠(けたい)なりとてゆゆし神腹立ちたまふ」とあります。恐らく同業の巫女が揶揄を込めて詠んだものでしょう。巫女に(こそ)欲情するとか、昔も今も男どもの欲情パターンは同じなようですが、「みなせ」に既掲載したわが拙著「渋谷少女A・イントロダクション」からして容認できません。

     【↓pinterest※和歌内容とは全く関係ない素敵なモデルさん】


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