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第四章 得度式と鏡僧侶
どうか兄貴のように支えてやって
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むしろわずか2、3回の面談だけでよくぞ俺の実体を見抜いたものと感心するばかりである。それにそもそもなぜ、彼がこうも俺のことを気づかってくれるのか、それがわからなかった。ただ単に引き渡せばいいのに?と思ってしまうのだ。ここに限らず俺はいつでもどこでも自分というものに重きを置かない、いや置けない人間だった。それは彼の宮沢賢治のように「自分は勘定に入れず…」などという殊勝なものでは決してなく、「自分なんて…」とする自信のなさのあらわれだった。だから自分のことでこうも人が気を使ってくれるとこそばゆくて仕方なく、いたたまれない気持ちになってしまうのだがそれを知ってか知らずか山本師は「ですから修業とか云うよりは兄貴のようにそばに居てやって、支えてやる、というくらいの塩梅でちょうどいいかと思われます。人との接触がなかったぶん彼はいまだ本物ではない。国から飛び出したのもひょっとしたらそれが原因だったのかも知れない。俗に云う不如意なこと、困難なことから簡単に逃げ出してしまう、潔さに似た意志薄弱さ、自分勝手さが目につく。実際私との初めての面談の場ですら、もう俺は止める、サマネイはやらない、と云い出す始末ですから、ハハハ。嘗て会社勤めの折りにいた新入社員の、フラフラしたのを思い出さされました。ハハハ」などともっぱら俺への手加減と、同時に大きな目による庇護を暗に求めてくれたようだ。いちいちうなずいて聞いてはくれた鑑師だったがどうも山本師の意を汲みきれずに、みずからの尺度をもって彼の話を了としたようだった。すなわち仏道修業という尺度からする俺の至らなさ加減を彼が述べたものと取ったようである。
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