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龍昇編

11、龍昇と春蘭

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「あ……。龍様、お帰りですか?」

「あ……。ええと、春蘭殿だったか。部屋をありがとう」

 雪華が去り、龍昇が一人で妓楼の一室から出ると顔なじみの少女が通りがかった。花瓶を抱えた見習いの少女――春蘭は幼い顔に大人びた苦笑を浮かべる。

「妓楼の女に、敬称はいりませんよ。雪華様は先にお帰りになられたんですね」

「ああ。……また怒らせてしまった」

「また? ……雪華様と喧嘩なさったりするんですか? あまり怒ったりしなさそうな方ですけど……」

「俺が一方的に怒らせてる……のかな。……そうか。君の前では雪華は怒ったりしないんだな」

「はい。お優しい方ですよ。龍様の前では違うのですか?」

「……いや。優しい人だよ。俺が、怒らせるようなことばかり言うだけで」

 最近はそうでもないが、再会した当初は冷ややかな顔や苛立った顔ばかり見ていたせいか、どうしてもその印象が残っている。内心で詫びつつ訂正すると、春蘭はまじまじと龍昇を見上げる。

「……龍様は、雪華様のことがお好きなのですね」

「え……」

 少女のいきなりの指摘に龍昇は目を見開いた。春蘭は目を細めて龍昇をまぶしそうに見る。

「雪華様のことをお話しされると、とても優しいお顔になります。雪華様が、大事なのですね」

「……ああ。向こうは俺のことを、嫌っているようだが」

「本当にそうでしたら、ここにはいらっしゃらないと思いますが……」

 思わず弱音を漏らすと、呆れたように笑われてしまった。ばつが悪く首を掻くと、春蘭は独り言のようにつぶやく。

「雪華様は、いいなぁ……。一人の殿方に、こんなに想って頂けて……」

「え……。いや、君にだって、そういう男がいつかは――」

「……龍様。妓楼の女に『いつか現れるそういう男』のお話をされるのは無粋ですよ。わたしたちが選べるわけではありませんから」

「あ――。そう、か……。そうだな。すまない」

 己の失言を龍昇は即座に悔いた。彼女たちの事情も考えず、配慮のない発言をしてしまった。だが春蘭は首を振ると、なんでもないことのように告げる。

「いえ。差し出がましいことを申しました。……そういえば、先日はお菓子をありがとうございました。雪華様に差し上げるものではなかったんですか?」

「彼女が全部食べるわけではないから。せっかく作ってもらったものだし、お裾分けをしようと思って。美味かったか?」

「はい。大変おいしゅうございました」

 春蘭がにこりと笑み、年相応の笑顔に龍昇もほっとする。だが春蘭は笑みをふっと翳らせると寂しそうに続けた。

「……龍様とこうしてお話しできるのも、あと少しですね」

「え……」

「わたし、来月からお客を取ることになったんです。そうしたら、他の妓女のお相手とお話しすることはできなくなりますから。龍様は一応、藍良姐さんのお客様ということになっていますし」

「ああ……。そうか……」

 龍昇の目には年若く見えていたが、春蘭もそれなりの年齢だったらしい。
 見習いを卒業しようとしている少女に、いつも何かと世話になっている、雪華も妹のように可愛がっている少女に、龍昇は迷いながらも提案する。

「……春蘭。君が負っている借入金は、どのぐらいの額なんだ? 君にも藍良殿にも何かと世話になっているし、君さえ良ければ俺が肩代わりしても――」

「…………」

 龍昇の言葉に春蘭が目を見開いた。龍昇の顔をまじまじと見つめたあと、きゅっと唇を閉じて真顔で告げる。

「……龍様。そんなことを軽々しく言っては駄目です」

「え……」

「龍様は、どこかのお大尽様ですか? それとも豪商の跡取り息子? 目立たないようにされているようですけれど、分かります。龍様はきっと、大変なお金持ちでいらっしゃるんですね」

 春蘭の口に苦笑が戻る。だが強い意思を宿した目が龍昇を真摯に見つめた。

「……でも、心に決めたお相手がいるのにそんなことを言っては駄目です。妓楼では浮気はご法度はっと。他のおんなを買おうだなんて、雪華様が悲しみます」

「そんなことは――。それに、そういう意味では……」

「分かっております。けれど、雪華様とわたしが知り合いであるのに甘えて龍様にお助け頂くのは、わたしの矜持きょうじが許しません」

 龍昇は再び己の失言を悟った。そこにいるのは借金のかたに売られた力ない少女ではなく、自らの意思と覚悟を持った一人の女性だった。その彼女を侮辱しかけたことを悔いると、それをゆるすように春蘭が優しく微笑む。

「ですから、せめて……お話しできるうちは、たくさんここにいらして下さいな。わたしはそれで、十分です」

「そうか。……君は強いな」

 これではどちらが年長者なのか分からない。龍昇もそれ以上引き留めることはせず頷くと、春蘭は穏やかな笑顔で告げた。

「龍様。……雪華様のこと、大切にしてあげて下さいね。わたしにとっても、もう一人の姐さんのような大事な方なんです」

「ああ。……約束する」


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