【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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ジェダイト編

1、深み

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「実はな、異国の人と少し親しくなって」

「異国? ……へえ、どこの人?」

「シルキア人だ。陽連に外交で滞在していてな……たまたま知り合った」

 ぱっと頭に浮かんだのは、眉目秀麗な異国の男性だった。数え切れるぐらいしかまだ時を共にしていないが、最近のどんな出来事よりもその印象は鮮烈だった。
 雪華の言葉が予想外だったのだろう。目を見開いた藍良が興味深げに身を乗り出す。

「ふぅん。それはまた、珍しいわね。シルキア人か……どんな人?」

「そうだな……なんとも言いがたい人だが、とりあえずものすごく美形だ。肌は褐色で、髪は銀で……でも瞳は綺麗なみどり色をしている」

「なんか、想像つかないわね……」

「うん、まぁそうだろうとは思う。斎国語が堪能たんのうでな、色々と話をしたよ。あちらの国のことを聞いていたら、ちょっと行ってみたくなった」

「そう。……ふーん、へえ~」

「……?」

 説明しているうちに、ジェダイトとの印象深いやり取りを思い出して声が少し昂ぶった。そんな雪華を、藍良がなんとも言えない笑みで見つめる。

「あんたがそんな風に男のことを熱く語るの、初めて聞いたわ。……そう、そんなに美形なの」

「え。ああ……」

 熱く語ったつもりはないが、美形なのは否定しない。雪華がうなずくと、藍良は形の良い唇をにやにやと歪ませる。

「そして話も合うと。……あんた、惚れたわね?」

「……は? いや、そんなことは全然――」

「自覚なしか。相変わらずね。……でもその人、仕事で来てるってことはいつかは帰国するんでしょ。寂しくないの?」

「え……。そんなのは最初から分かってることだろ。別に、そういう気持ちで会ってるわけじゃない。ただ友人として、話を聞かせてもらってるだけだ」

「でも、シルキアって異国人の女は入国できないんじゃなかったっけ。つまり相手が帰っちゃったら、二度と会えないってことでしょ」

「……そうだな」

「それでも、少しも離れがたいとは思わない?」

「…………」

 藍良の言葉に雪華は返答に詰まった。ジェダイトが帰国したら、もう二度と会うことはない――それを、今になって初めて気付かされたような気がする。

 好意はきっとあるが、恋情があるわけではない。このまま二度と会わないとしても、雪華の人生が大きく変わるわけでもない。それでも……いくばくかの寂しさは、存在する。
 雪華は小さく苦笑すると、素直な心情を告げた。

「そうだな……。会わなくても何が変わるわけではないけど、少し寂しいかな。せっかく話ができるようになったのに」

「そう。……そうね。仕方ないことだけど、ちょっと寂しいかもね。――そこで、あんたに提案よ」

 今の今までしんみりした表情を浮かべていた藍良が、細い指をびしりと立てた。紅を引いた唇を、妖艶にしならせる。

「思い出に、一度ぐらい寝てみるのもいいかもしれないわよ」

「は――、はぁ…!?」

 この女――さらりととんでもないことを言ってくれる。思わず声がひっくり返り、雪華は額を押さえる。

「あのな、藍良……だから彼とはそういうのじゃ――」

「そんなの、あんたの言うこと聞いてたら分かるわよ。でもそうじゃないから、しちゃいけないってこともないでしょ。あんただってそういうの、こだわりなさそうだし。恋愛感情がなくたって寝たことはあるでしょ?」

「まぁ……うん」

 過去にはそういうことも、何度かはあった。大体はそのあとに面倒なことになったため、今はしようとは思わないが。
 身持ちが大して良くないのは自覚している。そんな雪華をからかうこともなく、藍良は淡々と続ける。

「別れる前に寝てみて、いい記憶を残すっていうのもありだと思うけどね、あたしは。その人のこと、もっと知ることができるし。まあ寝てみたら最悪!ってことも、沢山あるけどね。いろんな意味で本性が見えちゃうから」

 さすが、場数を踏んでいる女は言うことが違う。雪華は藍良に「最悪!」と言わしめた男たちを想像して苦笑いを浮かべた。

 藍良の言うことは、一理ある。肌を合わせてみて初めて分かることも、中にはあるだろう。性欲だけでなく、その人の人となりも。
 そして雪華は、そんな行為をすることに大したこだわりを持ってはいなかった。
 妊娠とか病気とかいった危険を回避できるなら、体を重ねることはさして難しいことではない。しかし――

「……いや。やめとくよ」

「あらそう。誘っても、なびかなさそう?」

「さあ……文化も違うし、それはどうか分からない。問題は、私の方だ」

「?」

 首を振った雪華に藍良がきょとんとした眼差しを向ける。かの人の、凛とした黒衣の立ち姿とそれに相反する柔和な笑顔を思い浮かべ、雪華は瞳を伏せた。

「一度のつもりで寝たら、深みにはまりそうだ。それに彼とは……そういう風に向き合いたくはない。少しもったいないとは思うが」

 誘われたわけでもないのにもったいないとは傲慢な言い草だが、雪華は苦笑でその話題を締めた。そして日の傾きで時間の経過に気付き、立ち上がる。

「悪い、長居していたな。そろそろ支度だろ?」

「あ……ええ。そうね」

 ちょうど階下から誰かが上ってくる音が聞こえ、雪華は慌ただしく薫風楼を辞した。夕暮れに活気づいてきた花街を眺め、家路につく。
 藍良はその後ろ姿を見送ると、今までに見たこともないような顔で異性を語った親友に向けてつぶやいた。

「『深みにはまりそう』って――もう十分、本気になってるじゃない……」


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