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ジェダイト編

22、傷痕ごと、すべて

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「ん……」

 ジェダイトに口付けされたのは、あの最初の夜だけだ。雪華を驚愕させ、抵抗を封じ込めるためだけに行われたそれは、ぬくもりも何もなかった。
 そしてそのあとは一日に一つ胸に赤い痣を残すのみで、それ以外はかたくなに触れてこようとはしなかった。

「っ……」

 けれど今、おびえるように押し当てられている唇は――なんと温かいのだろう。
 遠慮がちに頬に添えられていた手が肩をすべり、腰へと落ちてくる。代わりに褐色の頬に手を添えると、ジェダイトはぴくりと身じろいだ。

「……怖いか」

「いや……。ただ、慣れなくて……。おかしいな、本国でも何人も抱いてきたはずなのに。今初めて、人に触れたような気がする」

 小さく苦笑したジェダイトが、瞳に憂いを浮かべる。視線が合うと、恐れるように問いかけた。

「あなたは……怖くないか。絶対に、乱暴にはしない。それでも――」

「……何も感じないと言ったら、嘘になるな。でも……あんたの方が、震えてる」

「っ……。意地が悪いな……」

 指摘すると、ジェダイトが気まずげに視線を逸らす。
 手を引かれて、寝床と呼ぶにはあまりに簡素な敷布の上に腰を下ろすとジェダイトがひざまずいた。そして先ほどのように、深々と頭を下げる。

「……なんだ」

「雪華殿。謝って済むことではないが――これまでの数々の非礼、深くお詫びいたします。加えてそのご温情に、心からの感謝と忠誠を」

 ジェダイトは平伏し、裁きを受ける罪人のようにしばらくそのまま動かなかった。その肩に手をかけると、雪華は顔を上げさせる。

「……それはもういいよ。それより――『殿』は余計だ。雪華でいい。なんか……嫌だろ。上下関係があるみたいで」

「では、今宵のみは。……雪華」


 艶めく声色でつぶやいたジェダイトが、雪華の足を取り、うやうやしく靴を脱がせた。
 何をするかと見ていると、その次にもたらされた行為に雪華は目を見開く。

「……っ。おい……」

 ジェダイトが、雪華の足の指に唇を押し当てた。想定外の事態に思わずビクッと震えてしまう。

「馬鹿、何して……っ。汚いだろ…!」

「…………」

 ジェダイトはひざまずいたまま、顔も上げずに足の甲に口付けを降らせ続ける。形の良いその唇を開くと、親指が濡れた口内に包み込まれた。

「っ…!」

 丁寧に、だがねっとりと、熱い舌が指腹を這いまわる。それは生まれて初めての感触だった。
 足の指を一本ずつしゃぶられ、指の股に舌が及ぶと雪華は思わず叫んだ。

「そんなこと――、しなくて、いい…!」

 這いつくばって足を舐めるなんて、そんな、奴隷のような――

 羞恥と嫌悪感で理性が抵抗するのと裏腹に、足の先から今まで感じたことのないような疼きが湧いてきて雪華は困惑した。
 思わず足を引っ込めようとすると、ジェダイトの舌が下衣を割ってふくらはぎへと伸びてくる。疼きが腰に近付き、雪華は眉を歪める。

「っ……」

「嫌…か?」

 寄る辺のない子供のような目で見上げられ、二の句が継げなくなる。
 ふくらはぎに舌を這わせる端正な顔から、雪華は目を逸らした。真っ赤な顔でかろうじて抵抗する。

「そんな、ところ…舐めるものじゃ、ないだろ……っ」

「なぜ。……俺はあなたに、尽くしたい。今までの無礼を思えば、これぐらい当然だ」

「そういうことではなく……っ」

 さっき温泉に浸かって洗ってきた後で、良かった。
 一瞬そんな考えが頭をもたげたが、ジェダイトの舌は止まることなく雪華の足を這いまわり続ける。

「んっ……。んあ……っ」

「……雪華」

 膝までたどり着くと、顔を上げたジェダイトがようやく唇に口付けてきた。
 ゆっくりと舌を絡めながら、丁寧過ぎるほど丁寧な動きで上着を脱がされ、羞恥の時間が終了したことに雪華はほっと息をついた。

 ――のも、束の間。

「っ……、あ…!」

 外気にさらされた首筋や胸元に、ジェダイトは再び唇を滑らせはじめた。
 足よりもよほど敏感な皮膚に口付けられ、くすぐったさに思わず声を漏らしてしまう。執拗に喉元に触れられると、知らず顎がのけ反った。

「ふ……、……っ」

 ジェダイトの動きは、あくまでも優しく丁寧だ。雪華の髪をき、舌と唇で肌に触れながら手のひら全体でさするように愛撫してくる。
 その心地よさに、溶けてしまいそうになる。だがそうではないこの男の姿も、雪華は知っている。

「ずいぶん、丁寧じゃないか……。あまり時間をかけすぎると……眠ってしまうぞ?」

「あなたがそうしたいなら、それでもいい。でも……失礼。もう少し、続けるつもりだ」

 胸のサラシを取り払い、ついでに下衣と下穿きも下ろされて、生まれたままの姿を薄闇にさらす。
 さすがに湧いた羞恥にそこを手で覆うと、雪華は視線を逸らしてつぶやいた。

「あんたも、脱げ……」

「いや、俺はこのままで――」

「私ひとり素っ裸にするつもりか? ……そういえば、上着を脱いだところを見たこともないな」

「…………」

 ジェダイトは眉を寄せ、なぜか迷っているようだった。じっと視線を注ぎつづけると、意を決したように黒い上着に手をかける。
 ほどなくして彫刻のように美しい褐色の上半身が現れ、黒衣を脱ぎ落としたところで雪華は目を見開いた。

「……っ。これは……刺青、か…?」

 ジェダイトの左肩から肘にかけて、褐色の肌を舐めつくすように黒い紋様が刻まれている。
 蛇が巻き付いているようにも、ツタが絡んでいるようにも見える。精緻なそれは美しくはあるが、禍々しさも感じさせるものだった。二の腕を押さえ、ジェダイトが苦々しく告げる。

「……奴隷の証だ。アーシム達の体にも、同じものがある」

 ジェダイトは刺青を見下ろし、そこを指でなぞりながら苦く笑った。

「肩の円は太陽で、肘から伸びているのが蛇。太陽は人の魂を、そこから続く流線は人生と自由を表す。それらを蛇が喰らい、未来永劫、支配しつづける。……そういう図案だ。自由身分になってから、人に見せたのは初めてだ。できれば……見せたくなかった」

「…………」

 これが、ジェダイトの体を縛り付け、自由の身となったあとも心を縛り付けたもの。かたくなに肌を見せなかった彼が隠し続けた黒い鎖。
 それをまじまじと見つめると、ジェダイトは居心地悪そうに上着を手にする。

「見苦しいものを見せた。忘れてく――」

「待て。……そのままでいい。あんたが嫌じゃなければ」

「しかし……」

「恥じるな、ジェダ。あんたの意思で彫ったものじゃない。卑屈に思う必要はない。……私の腹の火傷と一緒だ。ただ、肌に刻まれた。それだけじゃないか。どうしても嫌じゃなければ――その腕で、私に触れてほしい」

「っ……」

 胸を隠していた手をほどき、二の腕の刺青にそっと触れる。なめらかな質感のみを伝えるそこは、かすかに震えていた。
 触れられることを、まだ恐れているのだろう。体にも――心にも。

「……続けてくれ」

 促すと、ジェダイトは雪華をかき抱き、『きす』の雨を降らせた。





「……ん……、……はぁっ……」

「……雪華……」

 手の指もすべてしゃぶりつくされ、何度目とも知れぬ口付けが胸の間に落とされた。
 両の胸が、唾液で鈍く光っている。腹といわず背中といわず、上半身と下肢をくまなく愛撫され肌が鋭敏になっている。

 ここまでジェダイトの思うままに愛撫させてきたが、さすがに雪華も限界だった。まだ触れられていない秘所がキュッと疼き、早く刺激を、早く熱をと訴えている。

(私ばかり喘がされているな……)

 まだ下衣に包まれているジェダイトの腰を、雪華は膝頭で軽くつついた。遠回しに催促すると、息を詰めたジェダイトが顔を上る。

「ああ……失礼した」

「ん……」

 顔を見て察してくれたのか、ジェダイトの手が膝にかかる。だがその顔が今度は内腿に落とされそうになり、思わず起き上がった。

「ちょっと……待て! 舐めるのは、もういいから……!」

「……嫌か?」

「嫌、というか…触れば、分かるだろ……」

 ものすごく恥ずかしいが、これ以上焦らされるのは耐えられない。顔を逸らしながらつぶやくと、ジェダイトはようやく足の間へと触れてきた。

「んっ……」

「あ――」

「いつまで……待たせる気だ……」

 この男と離れてから固く閉ざされていたそこは、すでにしとどに濡れていた。そっと触れたジェダイトが、感嘆したように顔を上げる。
 引き込まれるように何の抵抗もなく指がもぐりこみ、抜き差しされる感覚に雪華は湿った吐息を上げた。

「すごい…な。ここまでなったのは……初めてだ」

「言うな。……仕方ないだろ。あの時とは、状況が違うんだ」

「そうだな……。……俺もだ」

 腰紐をほどき、ジェダイトが下衣を脱ぎ落とす。
 褐色の美しい裸体の中心……そそり立ったそれに、恐怖ではなく――あさましい情欲が湧き上がった。

 あれほど何度も犯されたが、雪華は一度たりともジェダイトの雄をはっきりと見たことがなかった。見ようともしなかった。それは雪華の心と体を痛めつける凶器でしかなかったから。
 だが今、薄く染まった美しい顔と褐色のなめらかな胴体、そして刻まれた黒い刺青に連なるそこを見て、恐怖は湧いてこなかった。その場所も彼という人間の一部だと初めて感じることができた。

「あ……、しまった」

「なんだ?」

「敷布が……。これではあなたの背中が痛い」

 薄い敷布に雪華を横たえようとしたジェダイトが、はっとしたように動きを止めた。
 たしかに、ここに寝て揺さぶられたらかなり痛そうだ。だが――もう、待てない。

「私は気にしないが……気にするなと言っても、無理なんだろうな。……いい。あんたがそのままでいろ」

「え――。っ……」

 仰向けになったジェダイトの腰に静かにまたがると、雪華は硬く勃ち上がっているその根元を掴んだ。
 何度か自分の入り口になすり付け、息を吐くとゆっくりと腰を下ろす。


「ん……、く……」

「雪華……っ」

 亀裂を割り開くその瞬間になって、かすかな恐怖が首をもたげた。けれど目を開き、真下の男を見下ろすとそれは綺麗に霧散する。

 開かれる痛みは、つゆほどもなかった。散々に愛撫されたのもあるが――きっと体が、この男を覚えていた。

「は……。言っとく、がな……あんたが言ったように、そこまで男慣れはしてないんだからな。うまくは、動けないから……んっ……、手伝え……」

「っ……。……ああ」

 すべてを収めて上体を倒すと、褐色の胸に頬を寄せた。そのままじっと、その温かさを感じる。
 顔を上げると、ジェダイトが穏やかな顔で雪華を見つめていた。

「……温かいか」

「ああ……。あなたの肌は……気持ちがいいな」

「そうか。……ふふ、私もなかなか新鮮な気分だ」

 思えばジェダイトを、上から見下ろすことなどこれまでなかった。
 この体勢を選んだのは、どこか不安だったからかもしれない。見下ろされると、思い出すのではないかと。

 けれどいま胸を占めるのは、穏やかな情欲と、確かな熱をもった互いの肌の心地よさだけだった。

「……ん……」

 美しい顔の横に手をついて、ゆっくりと動き始める。胸や腹は、ジェダイトの肌に重ねたままだ。激しくは動けないが、今はこれでちょうどいい。
 何度も行為は重ねたのに、肌の熱さをじかに感じるのはこれが初めてだ。素肌が触れ合い、えも言われぬ陶酔感に酔いしれる。

「っ……、雪華…」

「ん……、なんだ…? 女に動かれるのは……嫌いか」

「いや……。なんというか……俺の方が、抱かれているみたいだな」

「これはこれで、結構疲れるんだがな。んっ……、あ、おいっ……!」

 密着した下腹の間に、ジェダイトが手を差し込んだ。指があやまたず、雪華の芯をとらえる。

「っ…! あ…っ、…あ……!」

 すでにたっぷりと濡れていたそこを律動に合わせてこすられ、鋭い快感が背筋を駆け上がる。思わず動きを止めると、下から強く突き上げられた。

「っ……、悪い。やっぱり……! 動いてもいいか」

「……いいよ。好きに動け。……んっ……、ふ、あっ……!」

 背中を抱きすくめられ、羽交い締めにされると下から強く穿うがたれる。その腕の強さに、恐怖ではなく安堵を感じた。
 ジェダイトはかなり動きづらいはずだ。けれど雪華の体を放そうとはしなかった。密着したまま、じりじりと追い上げられる。

「っ……、は、ぁ……。ああ……、はぁ……」

「……っ。声が……」

「え……?」

「声が……違う」

「違う…?」

 吐息混じりの低い喘ぎが押し出され、与えられる深い快楽に浸っているとふとジェダイトがつぶやいた。
 聞き返すと、雪華の唇を指でなぞって彼は目を細める。それは笑っているようにも悔やんでいるようにも見えた。

「あの頃は、あなたに嬌声を上げさせても悲鳴のようだった。でも今は――」

「……今は?」

「……甘い。あなたは、本当はこんな声をしていたんだな……」

 自分こそが甘ったるい声でそんなことを告げ、ジェダイトが色めいた吐息を漏らす。雪華は途端に耳まで赤くなると、そのうっとりとした空気を散らすように口を開いた。

「あんた……背中は…痛く、ないのか…?」

「分からない……。そんなもの、感じない。あなたしか……感じられない」

「っ……、恥ずかしいことを……。ん――、あ…、そこっ……」

 動きに制限のある中、器用に雪華の中の感じる場所を突きながら、ジェダイトが歯を食いしばる。初めて見る余裕のないその顔に、ふと笑いが込み上げた。

「気持ちいいか……?」

「っ……、ああ…。……溶けそうだ。今までしたセックスとは、何もかも比べ物にならない」

「そうか……。……悪くは、ないだろう? 目的もなく……ただ求め合うのも」

「……ああ」

 雪華から唇を重ねると、舌を絡めながら腰の動きを合わせる。そのうちどちらにも話をする余裕はなくなり、荒い吐息と肌がぶつかる音と水音だけが響き始める。

「悪い……、そろそろっ……」

「ああ。……私もっ、もう――。……っ、ん、…んっ…!」

「――ッ!!」

 達する寸前で、ジェダイトが強く腰を引いた。太腿に熱いしぶきが降りかかり、その刺激で雪華は体を震わせる。

「あ…!!」

 短い呻きを上げ、雪華は褐色の胸へと崩れ落ちた。


「は……っ、…っ……、はぁ……」

「……っ、……ふ……」

 熱い肌を重ねながら、しばしの間、荒い呼吸を整える。
 後ろ髪を梳かれ、ゆっくり顔を押し上げると白濁が太腿を伝い落ちて行った。とっさに指でそれを受け止め、その感触に苦笑がこぼれる。

「ずいぶん、多いな……。あれから、していなかったのか?」

「っ……。当然だ。そんな状況では――」

 ジェダイトが、夜目にもはっきりと分かるほど一瞬で赤くなった。雪華は指を拭くと小さくふき出す。

「それもそうか。……私と一緒だな」

「……そうか。だが……俺の方が、早かった。女性より早く達するとは痛恨の極みだ」

「……ふ。そこまでか? 順番を競うものでもないだろう。常に男に主導権があると思ったら、大間違いだ。二人で同じ熱を共有できたなら……それでいい」

「……そうだな」



 汗が引くまでしばらくの間、二人、肌を重ねていた。
 押し当てた頬の下で、ジェダイトの心臓が力強く動いているのが伝わる。壊れ物を扱うように雪華を抱きしめたジェダイトは、手を滑らせるとそっと頬を包み込んだ。

「…………」

 雪華の頬を撫でさすり、指先がまぶたと鼻梁を通って唇をなぞった。手のひらに刻み込むかのように触れられて、雪華は思わず目を細める。

「……くすぐったい」

「悪い。でも……覚えていたいんだ。全身で」

 髪を梳き、肩から胸、そして腰へとジェダイトの手が滑っていく。もう一度優しく引き寄せられると、静かに……そして長く、唇を重ねた。

「雪華。……ありがとう」

「……礼を言われるようなことではない」


 ジェダイトの腕から解放され、肌を離す。お互い少し苦笑して見つめ合うと、服を着始めた。

「そろそろ、行くよ。明日は…いやもう今日だな。別の者が手引きする。ここで……お別れだな」

「……そうだな。何から何まで、世話になった。礼のしようもない」

「先刻の約束を守ってくれれば、それでいい。強制はできないが……死ぬなよ」

「ああ。必ず守る。……そうだ。これをあなたに」

「……耳環じかん?」

 しっかりとうなずいたジェダイトが両耳を探り、金色の耳環を雪華の手に乗せた。
 細かい紋様が彫り込まれた、高価そうな品だ。常にジェダイトが身に付けていたもので、彼によく似合っていた。

「俺が奴隷になる前から持っていた、唯一の物だ。おそらく死んだ母が与えたのだと思うが――」

「な……。そんな大事なもの、貰えない」

 その由緒を聞いて、雪華はそれをジェダイトに返そうとした。だがその手を押しとどめ、雪華の手を握りこむとジェダイトは澄んだ碧の目で見つめる。

「いいんだ。あなたに、持っていてほしい。感謝と、俺の忠誠の証に」

「…………」

 手のひらに託されたその『証』に、雪華は数秒間沈黙し、ジェダイトの瞳を見つめ返してうなずいた。

「分かった。じゃあ……借りておく。次会うときに、返す。だから……死ぬな」

「……っ。……また会うと、言ってくれるのか……」

「また、すぐに会えるさ。……あんたが有能ならな」

「ふ。……厳しい御方だ」


 そろそろ、空が白み始める頃合いだ。
 いつまでもここに留まってはいられない。未練を断ち切るように立ち上がると、雪華は小屋の扉に手をかける。

「……ではな」

「はい。……あなたも、ご無事で」

 最後に見たジェダイトの顔は、これまでにないほど穏やかで、安らいだものだった。





 そして翌日の午後。予定通り、暁の鷹は国境付近へと進軍を始めた。
 そのさなか、数頭の馬をそっと列から離れさせた。遠ざかっていく影は、徐々に見えなくなっていく。

 馬上から遥かシルキアの方角を眺め、雪華と航悠はどちらともなくつぶやく。

「……行ったか」

「ああ。国境を越えれば、あとは大丈夫だろう。この戦……早く終わるといいな」

「そうだな。戦なんざ、結局何も生み出しやしねぇからな。国土も民も疲弊するばっかりだ」

「斎も、シルキアもな……」


 この先にある、彼の故郷を想像してみる。
 灼熱の砂漠、褐色の肌の人々、そして歌うような言葉。

 美しい国であったらいい。
 そして、目に映るもの以外も美しい国になってほしいと思う。……彼のように。

 触れ合った理由わけは、きっと恋でも愛でもなかった。まだそこまで、自分たちは関係を育めなかった。もしかしたら、ただの同情だったのかもしれない。
 けれど何一つ後悔はしていなかった。きっと、次に会った時には――


「……行こう。仲間が待ってる」


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