【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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飛路編

24、皇女への依頼


 開戦から十日。斎・シルキア両軍の競り合いは、斎の優勢だろうと思われた当初の予測に反し、一進一退の状況にあった。

「思ったより、持ちこたえるな……。シルキア軍に補給が来るのは、もう少し後だと踏んでいたんだが」

「向こうさんも準備は整えてきてんだろ。ちょこちょこ兵士斬っても、頭を崩さねぇとどうにもならねぇぞ」

 首を鳴らした航悠は、軍に紛れ込んだこの数日で多くの戦果を収めていた。同じく戸惑いながらも初陣を飾った飛路が、複雑な顔でうなずく。

「シルキアからの鉱物輸入が途絶えて、斎は慢性的な武器不足だ。戦が他の地域にまで広がったら……防ぎきれないかもな」

「禁軍の兵たちも、代わりの武具はあまり持ってないみたいだった。剣も弓矢も足りないって。早く決着を着けないと……」

 状況はどうやら、こちらが思っているよりも深刻なようだった。そんな中、天幕の外がにわかに騒がしくなる。
 二人の報告を聞いていた雪華は入口の布をまくる。

「なんだ……?」

「失礼いたします! 私は右軍・副将軍の位を拝命しております周と申します。至急、朱香紗様にお目通り願いたく馳せ参じました。お寛ぎのところ、あいすみませぬがお時間をたまわれますでしょうか」

「副将軍…?」

 朱香紗、と名指しにされて天幕内の空気が強張る。航悠や部下たちに見つめられ、雪華はひそかに唾を呑み込んだ。

「……許す」



 入室を許されて天幕へと入ってきたのは、武人にしては細身の男だった。そういえば、将軍に会った時に横に立っていたような気がしなくもない。

「失礼いたします。香紗様におかれましてはご機嫌麗しく――。……っ。宗将軍の……」

「…?」

 雪華に頭を下げようとした副将軍が、片隅に控えた飛路を見てはっと息を呑んだ。だがそれを不自然に押し隠し、男は深々と頭を下げる。

「能書きは良い。今はただの平民だ。それで……何か用か」

「はっ。……香紗様もお察しかと思われますが、戦況は現在シルキアとこう着状態に陥っており、いまだ先が見えぬ状況にございました。しかし、このままでは双方がいたずらに消耗していくのみ。そこで我が主上がシルキアへ親書を送り、停戦の交渉を打診したところでございます」

「本当か。それでシルキアは、なんと?」

「交渉に応じる準備はあると、早馬が。当然条件はありましょうが、早い段階で戦を終結させたいがはシルキアも同じなようです。そこでさっそく明日、シルキア陣内で和議の交渉が交わされることとなりました」

 それは突然に降って湧いた、シルキアからの歩み寄りだ。龍昇はシルキア国王と、どんなやり取りを交わしたのだろう。

 なんにしても、早期に戦を終わらせられそうなのは賢君のやり方だ。
 突如として機密情報を告げられた違和感は、戦の終結を期待する気持ちで霧散した。そんな雪華に、副将軍は真顔で向き直る。

「明日にはこの陣に、主上直筆の親書が届きます。そこで、シルキアへの受け渡しの使者を――ぜひ、香紗様にお願いしたい」

「………え……」

「な……っ」

 雪華と飛路。目を見開いたのは同時だったが、続く反応は飛路の方が早かった。

「なん……っ、ですか、それ…! そんなの普通、この軍の責任者である将軍や陽連から呼んだ高官が行くものでしょう! なんで雪華さん……香紗様に! この方は、政治の表舞台からは退かれた! 今はもう平民でしかないんだぞ!? 誰のせいでそうなったと思って――!」

「飛路。落ち着け」

 飛路の激昂に、雪華は逆に冷静になった。副将軍も何の理由もなしに自分のもとまで来たわけではないだろう。

「周副将軍とやら。それは皇帝……いや、皇帝陛下の意思か?」

「…………。いえ……」

「では、シルキアからの要求か。おおかた皇女を引き渡せとか書いてあったんだろ」

「そのような愚劣な文言はございませんでした。ただ、実際に交渉に応じる役人とはまた別に、使者には相応の身分の者を望むと――」

「そう言って、体良く人質にでもするんだろ!? 見え見えじゃないか! あんたたちは、捕まるのが怖いから外部の人間を――先の皇女様を、身代わりに立てるだけだ。そんなのオレたちが認めるわけないだろ!? ……帰れよ! 帰って、恥知らずな将軍をシルキアの陣に連れて行け!」

 飛路の激昂は止まらない。今にも副将軍に掴みかかりそうな彼は、はっと気付いたように動きを止めた。

「……そうだ。皇女って限定されてるわけじゃないんだ。なんならオレが行ったって――」

「――飛路! 話をされているのは私だ!」

「……っ」

 一喝されて、飛路がぐっと押し黙る。おそらくは図星を指されて平伏してしまった副将軍を見下ろし、雪華は息を吐く。

「周副将軍。部下が、すまなかった」

「いえ――」

「使者の件、あい分かった。……私が行こう。適任だろう」

「…!」

「まことでございますか……!」

 飛路が口を挟む間もなく了承を告げると、副将軍がばっと顔を上げる。飛路の視線を振り切るように雪華はうなずいた。

「ああ。親書が届いたら、ここに来てくれ。すぐ出発できるよう準備しておく」

「ありがとうございます……!」

 飛路に有無を言わせる間を与えず、周副将軍を天幕から退出させる。あとに待っていたのは、予想通りの烈火だった。


「雪華さん!! どうしてあんなこと……!」

「仕方ないだろう。誰かが行かなきゃいけないんだ。指名されたなら、応えてやるのが筋というものだ」

「そんな……!」

「それに……ここに来て、少しは私も役に立てそうだしな。こうすることが、必然だったようにも思う」

 飛路の激昂とは裏腹に、雪華は自分でも驚くほど冷静だった。諜報活動に比べると直接の戦闘能力が乏しい雪華にとっては、やっと役目を与えられた気分だった。
 自己犠牲をする気はまったくなかったが、元皇女として多少は斎の民のためにもなるだろうか。

「でも……! だからって、こんなことを望んでたわけじゃない! こんなことのために、オレは――!」

 ――朱朝の再興を願っていたわけではない。仲間もいる場でそう口走りそうな飛路を、雪華は静かに制した。

「飛路」

「聞きません! 聞かない…! 罠に決まってる。行ったら、捕らえられる!」

「そんなヘマはしない。もしそうなっても、必ず逃げ出してみせる」

「そんなの無理だ! シルキア人に囲まれて、シルキアに連れられて――手が届くわけないだろ!」

 かぶりを振りながら飛路はなおも雪華の選択を拒絶する。雪華の前に立ち、必死で彼女を引き留める。

「あんた本当は、掴まっても仕方ないって思ってんだろ。それでもし本当にそうなったら、屈辱を受ける前に自分で命を絶つつもりだろ…!」
                            
「買いかぶりすぎだ。私はそんなに潔い人間ではない。胡朝に命を捧げるつもりも毛頭ない」

「嘘だ……! 皇女として責任をまっとうしたなら、そうしてもいいって顔してる」

「…………」

「どうして受け入れるんだよ! どうしてそんな、全部分かったみたいな顔してるんだよ……! ここであんた一人切り捨てるなら……そんな覚悟をしてまで行くって言うなら、どうして、共に来て共に死ねって言ってくれないんだよ!? あんたに命じられたら、オレが一人で行ったって構わないのに!」

「飛路……」

 腹の底からの叫びに、胸がずきりと痛んだ。――これが、怖かった。

 シルキアはこちらの内情も分かっているのだろうが、皇女を名指ししてきたわけではない。つまりは前大将軍の息子である飛路がおもむいても、斎の面目は保たれるというわけだ。
 飛路もそれに気付いている。しかし周副将軍があえて雪華を名指ししてきたのは、龍昇ではなく今この場にいる武人の総意ということなのだろう。

 至急に用意できる人材の中で、それなりの身分を持った者。将軍や副将軍が外れれば軍の動きに関わるから、必然的に武人以外の者となる。
 前大将軍の嫡子と、前皇朝の皇女――武人として、そして胡朝の兵として、どちらを生き残らせるのが得策かは火を見るより明らかだった。
 そして雪華も、飛路を赴かせたくはなかった。自分の命を、天秤にかけても。


「っ……」

 腹の底が、ぐっとせり上がる。それは矢面に立たされることへの恐怖からではなく、ふいに込み上げてきたものだった。

「……雪華さん?」

 先日もだったが、ここ半月ほど調子がおかしい。陣を構えた頃から、頭がぼうっとしたり軽い吐き気を覚えたりするのだ。風邪でもなさそうなのに。

「おい……あんた、体調悪いのか? そんな調子で使者なんて――」

「違う。色々考えて少し頭が痛くなっただけだ」

「駄目だ。絶対行かせない。いきなり出てきてあんた一人に荷を負わせるなんて、間違ってる!」

「…………」

(どうしてこいつは、これほどまでに朱朝を、私を――。……そんなだから、なおさら…行かせられない)

 雪華は目を閉じて首を振ると、冷徹に言い捨てた。

「もう決めたことだ。お前一人だけの意見は、聞けない」

「ッ……。雪華さんの分からず屋! とにかく、オレは絶対に認めないからな! 絶対だ…!」

 わざと冷たく突き放すと、激昂した飛路は足音も荒く天幕を出て行った。ふうと息をつくと、かすかな吐き気がスッと消える。
 飛路の背を見送り、航悠がのそりと立ち上がる。

「……いいのか?」

「仕方のない奴だ。……子供じゃないんだ。頭が冷えれば、分かるだろ」

「おや」

「…?」

「『十分子供』から、『子供じゃない』に格上げになったな。ずいぶん変化したことで」

「……っ。それは」

 揚げ足を取られ、うっすら赤くなる。航悠は小さく苦笑するとひらりと手を振った。

「みなまで言うなって。しっかしあいつも趣味悪ぃな。なんだってわざわざいばら道を行くかね」

「どういう意味だ」

「そういう意味だが、何か?」

 得意げに片目をつぶる航悠に軽く肘鉄を入れると、大げさに身をよじる。
 それを適当にあしらいながら、雪華は傷付いた目でこの場を去っていった飛路のことを想った。


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