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航悠編

37、誓いよりも

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 開戦から十日。斎・シルキア両軍の競り合いは、斎の優勢だろうと思われた当初の予測に反し、一進一退の状況にあった。

「思ったより、持ちこたえるな……。シルキア軍に補給が来るのは、もう少し後だと踏んでいたんだが」

「向こうさんも準備は整えてきてんだろ。ちょこちょこ兵士斬っても、頭を崩さねぇとどうにもならねぇぞ」

 首を鳴らした航悠は、軍に紛れ込んだこの数日で多くの戦果を収めていた。同じく戸惑いながらも初陣を飾った飛路が、複雑な顔で頷く。

「シルキアからの鉱物輸入が途絶えて、斎は慢性的な武器不足だ。戦が他の地域にまで広がったら……防ぎきれないかもな」

「禁軍の兵たちも、代わりの武具はあまり持ってないみたいだった。剣も弓矢も足りないって。早く決着を着けないと……」

 状況はどうやら、こちらが思っているよりも深刻なようだった。そんな中、天幕の外がにわかに騒がしくなる。
 二人の報告を聞いていた雪華は入口の布をまくる。

「なんだ……?」

「突然の来訪、失礼する。尚航悠殿に、折り入って頼みがある」

「あ? ……ああ、あんたか。どうした?」

 天幕を開けて入ってきたのは、禁軍の武将だった。
 何度か顔を合わせたこともある、偉丈夫だ。髭面のその男が、のっしと航悠の前に腰を下ろす。

「少し追加で依頼をしたくてな。すまないが、少々二人にしてもらえるか」

「分かった。……お前ら、ちょっと外出ててくれ。ああ、雪華は残っていい」

「……いいのか?」

「こいつは俺に継ぐ立場の者だ。問題ないだろ?」

「ああ、構わぬ」

 人払いをして天幕に三人だけになると、航悠は真顔で武将を見つめる。

「それで? 追加で何を頼みたいって?」

「すまぬが……再び、シルキアの陣に内偵を送り込んでもらえるか。知っているとは思うが、戦況があまりかんばしくない」

「みたいだな。こっちも把握している。今は少しでも、あっちの情報を得たいってか」

「軍の方でも何人か送り込んではみたのだが……警戒が厳しくなっている。できればそなたたちの手を借りたい」

 軍の内部にも腕利きの密偵役はいるだろうが、成果は上げられていないのだろう。詳しく状況を聞いた航悠が顔を上げる。

「いいぜ。……と言いたいところだが、開戦前に比べると潜り込むのは格段に厳しくなってる。少人数で行って収穫なしで帰ってくる可能性も高いが、それで良ければ引き受けよう。……あ、もちろん追加料金は請求するけどな?」

「それはもちろんだ。……助かる。今は、少しの情報でも欲しい」

 最後にちゃっかりと釘を刺した航悠に、武将が重々しくうなずく。長居する時間はないのか、鎧を鳴らして立ち上がると武将は太い腕で天幕の布を払った。

「詳しい話は追って連絡する。それでは、頼んだぞ」



「航悠……。あんな二つ返事で引き受けて、良かったのか?」

 武将が去ったあと、雪華は不安な気持ちで相棒を見上げた。航悠は首の後ろを掻きながら雪華を見下ろす。

「頼まれたんなら、仕方ねぇだろ。そもそもが、こっちが違法なもんを請求してんだ。断る権利なんざ実際ねぇんだよ」

「……戸籍と、土地か。それはそうだが……でも、誰を行かせるんだ? 今までとは危険度がまるで違うぞ」

「ん? 俺。一人でいい」

「……え……」

 さらりと返された答えに雪華は虚を突かれ、ぽかんと航悠を見つめた。すぐに我に返るとまなじりを吊り上げる。

「な――、馬鹿な……! 首領が抜けて、いいわけないだろ…!」

「ここ一番だからこそ、だろ。シルキアの陣に入るってよりは、あっちにいるツテから情報を集めるのが主にはなると思うが。どっちにしろ、潜り込むなら人数は少ない方がいい。かといって飛路や青竹には、まだ荷が重い。松雲は密偵はあまり得意じゃねぇからな。なんかあってもたいていの奴にゃ負けねぇし、俺が適任だろ?」

「それなら、私だって――!」

 行かせられるわけがない。たった一人で、そんな危険な場所になど。
 航悠の袖を掴み、雪華は必死で言いつのる。

「馬鹿。俺とお前、どっちも抜けたらそれこそやべえだろうが。どっちかは残らねぇと」

「なら私が行く。大柄なお前よりは忍び込みやすいはずだ」

「駄目だ。斎で屋敷に忍び込むのとは違うんだ。情報を得ることよりも、その前後で敵に遭遇して戦うことの方に重きが置かれるかもしれねぇだろ。一人二人ならまだしも、お前に何人もシルキア兵が斬り殺せるのか?」

「っ……」

 冷静な目で問われ、雪華は言葉に詰まる。
 ……答えは、否だった。とっさに人を殺せるかという意識の問題もあるが、単純に戦闘能力の問題でもある。自分には、この任務は適していない。
 唇を噛んで黙り込んだ雪華の頭に手を乗せ、航悠が言い聞かせるように告げる。

「適材適所、だろ。分かったなら、こっちをしっかり守っててくれ」

「…………」

 ――嫌だ。そう言いたい。けれど、言えない。
 誰かが行かなければ――報酬は、遠ざかる。仲間の多くが望む、この国でまっとうに生きるという道が。

(また……私の、手の届かないところに……)

「…………」

 食い入るように無言で航悠の隻眼を見つめ続けていると、頭に置かれていた手が頬に落ち、目元を拭った。

「……んな泣きそうな顔すんな」

「誰がだ。どこに目が付いてるんだ、お前」

「あーはいはい。心配しなくても、やばかったらさっさと帰ってくるし前みたいなヘマはしねぇよ」

「本当だろうな」

 軽く言う航悠に念押しで問いかけると、相棒は片目を緩ませてうなずいた。

「本当だ。なんなら誓ってやろうか?」

「誓いなどいらん。……言葉より、行動で示せ」

「……了解」

 言うやいなや、顎を持ち上げられて唇を塞がれた。突然の行為に雪華は目を見開くが、航悠の背にしがみつくとその温かさを刻みつける。
 やがてゆっくりと唇が離れると、額を厚い胸板に預けてつぶやいた。

「必ず……帰ってこい」

「ああ。お兄さんに任せなさいって」

「……馬鹿」


 その翌日、「じゃあ行ってくる」という軽い言葉と共に、航悠は陣をあとにした。


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