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ヨハンセン・ヘイスティン・ヴェドニアを誑かす方法(3) ※
しおりを挟むノックの音で目を覚ます。
窓から差し込む陽の角度からして、もうすぐ昼になろうという頃だった。
「殿下、お目覚めでいらっしゃいますか? 本日は大臣たちとの会合の予定が入っておりますが」
侍従の声に起こされたヨハンセンが慌ててベッドから降りようとするのを、メリーティアは腕を引いて引き留めた。
「もう行ってしまうんですか……?」
「だが、今日の会合は絶対に出席しろと、母上がっ」
「わたしと一日こうしていましょう?」
メリーティアにべったりと密着され身体をまさぐられると、ヨハンセンのぐらぐらと揺れる心を表すように瞳が揺れる。
「その大事な会合で、誰がヨハンの意見を聞いてくれるの?」
会合には皇帝とユージーンも出席する。大臣たちが意見を求めるのはユージーンばかりで、ヨハンセンが的外れなことを言うと鼻で笑う者もいた。最終的に決定を下すのは皇帝だ。結局、いつもヨハンセンは形だけ出席するだけだった。いてもいなくても変わらない。
本当は会合になんて出たくなかった。
責任感だってない。母親が怖いから言うとおりにしてきただけだ。
世間では第一皇子と第二皇子で派閥ができているが、ヨハンセンはべつに皇帝になりたくなんかない。ユージーンのほうが向いていると思っているし、自分がそんな器ではないということは自分がいちばんわかっている。帝国を率いていく覚悟も自信もないのだ。
皇宮は息が詰まる。第一皇子の地位も、皇后の息子という立場も、いつも重責で押し潰されそうだった。
すべてのしがらみから解放されて、何のストレスもなくのんびりと過ごしたい。
そんなヨハンセンにとって、メリーティアの言葉は抗いがたいほどの甘い誘惑だった。
「あ……う……っ今日は! 体調が優れないから欠席すると伝えろ!」
扉の外の侍従にそう告げた瞬間、ヨハンセンは憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。初めて母親に反抗したのだ。達成感でいっぱいだった。
「メリーティア、今日も俺のことを愛してくれ。ずっと、ずっと」
「あっ……待ってヨハン。わたし、避妊薬がほしいの」
「避妊薬? それなら俺が飲んでるから問題ない。母上は女遊びは好きにしろと言うが、よそで種をまくような真似はするなと毎日避妊薬を飲まされているんだ」
「それなら余計な心配でしたわね」
「それに俺も子どもは欲しくない。……俺が子どもを上手く愛せるわけがないから。メリーティアだけがいればいい。お前がいればほかに何もいらない」
「ヨハン、わたしも同じ気持ちよ」
翌日も、その次の日も、ヨハンセンは皇子としての仕事を放棄した。
「殿下、皇后陛下が大変お怒りでいらっしゃいます」
「殿下の確認が必要な書類が山のように溜まっておりますよ」
「殿下、殿下、殿下――」
一カ月の間、ヨハンセンは寝室から出ずメリーティアと淫蕩に耽った。朝も夜もなく交わって、彼女に甘やかされているのは楽だった。メリーティアは等身大のヨハンセンをすべて受け入れてくれる。難しいことは何も考えなくていい。母親の顔色も窺わなくていい。ユージーンと自分を比べて落ち込むこともない。
「――殿下、領地のトルク川の堤防建設についてそろそろお決めにならなければなりません。どうかお部屋から出て来てはいただけませんか」
今日は侍従がなかなか引き下がらなかった。
メリーティアはヨハンセンの身体の上に寝そべりながら、ふたりのやりとりに耳を傾ける。
「トルク川はどうせ毎年氾濫するんだ。堤防なんか建設しても金の無駄だろう。いつものように土嚢を積めばいい」
「しかし――……」
これまでの呼び出し内容よりも、思いのほか大事な案件だ。今日はさすがにヨハンセンを行かせるべきか、と考えてメリーティアははたと思いとどまる。
ヨハンセンの言うとおり、彼の領地にあるトルク川は大雨が降ると毎年氾濫することで有名だ。
しかし近年、べつの同じような川に堤防を建設したところ、それ以降は大雨が降ってもほとんど氾濫することはなくなった。そのためトルク川にも堤防を建設しようという案が出ているのだろう。トルク川はヨハンセンの領地以外にも続いているため、三つの領地が資金を出し合ってはどうかと少し前に話し合いが行われたらしい。
メリーティアの記憶によれば、今年は稀に見る嵐がくるはず。トルク川は氾濫し、下流域は濁流にのまれ人にも農地にも甚大な被害が出たと聞いた覚えがある。おそらくヨハンセンの言ったとおり、対策は土嚢を積んだだけだったのだろう。
ヨハンセンに任せると、メリーティアが経験した未来が繰り返されるだけだ。
メリーティアが復讐したいのはヨハンセンであって、彼の治める領地の民ではない。
「――ヨハン、その仕事、第二皇子殿下に押しつけてしまうのはどう?」
「ユージーンに、俺の領地のことを?」
「あなたは何もしなくていいのよ。めんどくさいことも、つらいことも、いやなことも、何もしなくていいの。わたしと気持ちいいことだけしていましょう?」
「……そう、そうだな。どうせユージーンは自分の領地すら持ってないから暇を持て余しているだろう。みなに優秀だと褒められる頭で、きっとこの問題を上手く解決してくれる。――聞いただろう、この件はユージーンに任せる」
ヨハンセンがそう告げると、侍従が荒々しく扉を叩いた。礼儀を欠いた行いだが、それだけ必死になっているのが窺える。さらにガチャガチャとしつこく取っ手を引っ張るが、鍵がかかっているため開くことはない。
「殿下……! お考え直しください。このままでは殿下のお立場が危ぶまれますよ! その悪女の言うことに耳をお貸しになってはなりません!」
「うるさい! いいから言うとおりにしろ!」
侍従はしばらく粘ったが、部屋の中から艶めいた声が聞こえてくると渋々遠ざかって行った。
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