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しおりを挟む――ひとしきり泣いてすっきりしたニーナは、舞踏会に戻らずに馬車に乗り込んだ。
ホールに行けばまた奇異の目や嘲笑に晒される。家に帰っても父親に叱責されるだろうが、自分の部屋という唯一の安息地で閉じこもることができるため、まだいくらかマシな気がした。
皇太子妃選定のお茶会で傷ついた心を癒やすためにも、しばらく一人になりたい。今日の舞踏会だって、本当は参加するつもりなどなかった。父親から「皇太子妃になれないのなら、ほかにハイデル家の利になりそうな家門の男を捕まえてこい」と家を追い出すようにして送り出されたのだ。
(やっぱり来るんじゃなかったわ)
皇宮で催された舞踏会だから、当然皇太子も参加していた。一人の令嬢の心を傷つけておいて、楽しそうにしている姿が癪に障る。
皇太子に対して何の感情も抱いたことがなかったのに、今は憎いとすら感じていた。
馬車の窓に寄りかかったニーナは、これからのことを憂いて瞼を閉ざすのだった。
――一方、舞踏会に戻ったヘンリーは、ニーナと共にホールから消えたことを心配していた友人たちに囲まれていた。
「ヘンリー! その顔どうしたんだよ。血が出てるぞ」
「またあの女にいじめられたのか?」
「そんなんじゃないよ」
ニーナに頬を張られて唇が切れたことを、ヘンリーはすっかり忘れていた。けれど、ニーナがつけた傷を見せつけるのは気分がいい。まるでニーナの所有印を刻まれたようで、誇らしい気持ちだった。
だから、いい気分を台無しにするようなことは言わないでほしい。
ヘンリーの笑顔から、だんだんと温度がなくなっていく。
「ニーナ・ハイデルとは距離を置けって何度も言ってるだろ?」
「ヘンリーが優しいからってつけあがってるんだよ。今度俺がひとこと言ってやる!」
「僕は平気だよ」
ヘンリーは殊更にっこりと笑みを深めた。
友人たちはその笑顔を見て「ヘンリーは優しすぎるんだよ」と言うが、ヘンリーが彼らとはもう付き合いをやめようと考えているなどとは露ほども思わないだろう。
「そういえば、クレマンティーヌ皇女殿下がヘンリーのことを捜していらっしゃったよ」
「ありがとう、ご挨拶に伺ってくるよ。それじゃあ僕はこれで。さようなら」
「? ああ、また鷹狩りに行こうな!」
踵を返したヘンリーにはその言葉が聞こえていなかったのか、振り返ることはなかった。
ヘンリーは人当たりがよく穏やかで、女性からも同性からも好かれ、友人は多いほうだ。
そして彼らは決まって、ニーナと距離をおくよう勧めてくる。友人たちはニーナとヘンリーの関係を、いじめっ子といじめられっ子だととらえているからだ。
小さい頃からずっとこの関係は続いている。
たしかに、はたから見ればいじめのように見えるだろう。ヘンリーが望んでニーナからの暴力や暴言を受けているとは、誰も想像できはしない。
ヘンリーがニーナに殴られるたびに、なぜされるがままでやり返さないのか、と自分のことのように怒ってくれる友人もいた。中には、ニーナを窘めてやろうという人もいた。しかしヘンリーは、反対にそういう人間から距離を置いてきたのだ。
誰からも理解されなくともよかった。
ニーナとの時間を邪魔さえしなければ、他人などどうでもいい。
だから少しの悪口くらいは見逃してやれても、ニーナとのことに口を出されるのは許せなかった。
ニーナから叩かれようと、物をぶつけられようと、踏みつけられようと、顎で使われようとかまわない。自分だけが彼女をわかってあげられる。自分だけが彼女の特別なのだと、最もそう感じられる格別な時間だからだ。
「――……クレマンティーヌ皇女……はぁ、しつこい女だな」
大階段の上に座す皇族たちを見上げたヘンリーは、笑顔を消した冷ややかな表情でぽつりとこぼすのだった。
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