幼なじみ公爵の伝わらない溺愛

柴田

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 ハイデル公爵は、くつくつと喉を鳴らして笑う。ヘンリーに対して自分が抱いていた、油断ならない男という認識は、ここからきていたのだろうとやっと合点がいった。

「それで昨日、ニーナが家に帰らなかったのだな? 貴様が本物のニーナを見つけ出し私に差し出すつもりだとどこかから嗅ぎつけて、ハイデル公爵家から捨てられる前に逃げたか。まあいい。殺す手間が省けた」

 ピク、とヘンリーの眉尻が引き攣る。

「なんだ? もう殺したか? 別にかまわんぞ。本物のニーナが帰ってきたのだから、あれにはもう用はない。……見目もよく教育の行き届いた小生意気な女は高く売れただろうが、貴様はニーナの秘密を洩らさないと約束してくれたからなぁ。まあトントンというところか」

 ヘンリーは、今度は顔に出さないよう拳をきつく握り締めた。手のひらに爪が食い込み、血が滲んでいるのが見なくともわかる。
 ――ああ、ニーナをこっそりと貰い受ける代わりに見逃してやろうと思っていたのに。残念だ。
 ヘンリーは胸の中でそう呟いた。

 立ち上がったハイデル公爵が、彼女の手を引っ張って立ち上がらせる。

「おおニーナ。お前は護衛騎士の男に無理やり連れ去られただけなのだろう? そうだろう? 少しばかり芋臭い見た目にはなったが、侍女たちに任せれば、一カ月もあれば元のような美しさを取り戻せる。なあに、コリン侯爵はニセモノのニーナを近くでまじまじと見たことはない。バレやしないさ。心配せず安心して嫁ぐといい」
「コリン……侯爵……? え……? 嫁ぐって……?」

 彼女と護衛騎士が暮らしていたロド帝国の最西端の村。そこは、コリン侯爵の領地の一部だ。「領主が視察にくるときは若い娘を家に閉じ込めろ」というのが領地民の間で暗黙の了解になるほど、いい噂を一つも聞かない悪徳領主だった。
 そんな下種な男のもとに、ハイデル公爵は本物の娘さえ嫁がせるというのだ。

「皇后に、……っ皇太子妃になるのではないのですかっ?」

 ハイデル公爵は、家門から皇后を輩出することを悲願としていた。だから家に連れ戻された暁には皇太子妃になるのだろうとばかり思っていたのに、一体どういうことなのかと彼女は狼狽える。ハイデル公爵家を出て、皇太子妃になってさえしまえば、また地獄から解放されるはずだった。しかし嫁ぎ先がコリン侯爵家では、地獄からまた別の地獄に移るだけである。

「皇太子妃候補からは外された。お前の身代わりがしくじったのだ。背が育ちすぎだという理由で皇太子妃候補から外されたと聞いたとき、私がどんなに恥ずかしかったか。貴族の令嬢らしく華奢で美しく育つよう食事量には気を遣えと言いつけていたのだがな。生まれの卑しいあいつのことだ。隠れて残飯でも盗み食っていたのだろうよ。さあ、早く垢を落としてくるのだ。コリン侯爵との結婚まで時間がないぞ。逃げ隠れる間に貴族としての振る舞いを忘れていないか確認もしないとならん。花嫁修業に閨の作法、教えることは山ほどある」
「嫌よ! 嫌……! あげるわ! ねえっ、ニセモノにニーナ・ハイデルの名をあげるから……っ、私は平民でもいいの! だから! 私を助けて……! ヘンリー・イングリッド!!」

 ハイデル公爵に連れて行かれる彼女の声が聞こえなくなるまで、ヘンリーは微笑んで見送った。

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