111 / 113
【番外編】皇太子への報復 後
しおりを挟むそれからも皇太子は顔を合わせるたびに口説こうとしたが、ヘンリーの対応は雑になっていくばかりだった。ついには、避けられるようにまでなってしまっていた。
皇帝である父が身体の衰えを理由に退位をほのめかしはじめたため、皇太子に焦りが滲む。
宮廷舞踏会でヘンリーの姿を見つけると、皇太子は一目散に近づいていった。普段は、顔に傷があるからとヴェールを被った公爵夫人をパートナーに連れているが、どうやら今日はヘンリー一人で参加しているようだ。噂によれば、第二子を妊娠中だとか。
公爵夫人がいないほうが、皇太子には都合がいい。
公爵夫人がいると、ヘンリーは他人を近づけないからだ。いつもどおりにこやかなのに、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせるため、公爵夫人といるときのヘンリーに話しかける勇気のある貴族はほとんどいなかった。
ヘンリーをつかまえて、焦れた皇太子は第一声から噛みついてかかる。
「イングリッド公爵、私の生誕パーティーになぜ来なかった?」
「体調を崩しておりました」
白々しい嘘をつくヘンリーを前に、皇太子は嫌な予想がひとつ頭に浮かんだ。どうか当たっていてほしくない。そう願いながら、皇太子は窺うようにヘンリーを見上げた。
「イングリッド公爵、さては私のことを嫌っているな?」
「そんなことはないですよ」
「正直に申せ」
「嫌っているというより恨んでおります」
「ほら! やっぱり! なぜだ!」
嫌な予想が当たっていた。次期皇帝の後ろ盾になる云々の前に、皇太子個人を嫌っているのならもはやどうしようもない。
どうか、どうか、取り返しがつくような理由であってくれ。皇太子は、判決が言い渡されるのを待つ被告人のような気持ちだった。
「あなたがかつて僕の大事な人を言葉で傷つけたからです」
ヘンリーの言う〝大事な人〟というのは、大切に大切に邸宅に囲っている公爵夫人以外の何者でもないだろう。ヘンリーと同世代である皇太子は、それだけでピンときてしまった。ヘンリーが見知らぬ令嬢と結婚したと聞いてからずっと胸に渦巻いていた疑問が、いま晴れたのだ。
皇太子は声量を抑え、ヘンリーに詰め寄る。
「怪しいとは思っていたが、やはりそなたの妻はニーナ・ハイデルなのだな!?」
「憶測でものを言うのはおやめください」
「いま確信したのだ! そなたが言っているのは皇太子妃候補選定の茶会でのことだろう!? あれは! そなたが彼女を好いていると勘付いていたから、候補から外させねばどのような目に遭うかと……!」
「それはありがたいお心遣いですね。しかしほかに断りようがあるのでは? わざわざ彼女の容姿について言及する必要がありましたか?」
ヘンリーは皇太子の指摘に対し、返答を濁すことはなかった。謎に包まれた公爵夫人の正体について、皇太子の推理は当たっていたのだ。
ニーナ・ハイデルがヘンリーにつきまとっていると皆が口をそろえるなか、昔から皇太子は逆だと思っていたのだ。ニーナ・ハイデルを見つめるヘンリーのまなざしは尋常ではなく、強い執着が見えた。最初はニーナ・ハイデルへの恨みかと思っていたのだが、それが紛れもない好意だとしたら――ニーナ・ハイデルが皇太子妃になるために奮闘する間、皇太子はずっと地雷原でタップダンスをしていたようなものだ。
かつて常に突き刺さっていた怨念のこもった視線の正体に気づいてしまい、皇太子は背筋が凍りそうだった。
「うっ……容姿を理由に皇太子妃候補から外したことは悪かったと思っている。しかしほかに上手く断る言葉が浮かばなかった。私は口下手なのだ。申し訳ない」
「口下手ではなく無神経というのでは?」
「容赦がないな。……私はそなたに、私の代で是非とも力になってほしいと思っている。どうしたら許してもらえるだろうか? 奥方への謝罪に赴けばよいのか?」
「皇族の権勢が皇帝陛下の代で弱まっているから、貴族派たちに対抗するため中立派のイングリッド公爵家を味方につけたい、と?」
「なかなかはっきり言うではないか」
誰だ。ヘンリー・イングリッドを穏やかで優しいなどと最初に言ったのは。真逆ではないか。皇太子は恨みがましい気持ちになった。
「妻に直接の謝罪は不要です」
「私と会わせたくないだけだろう」
ヘンリーはにっこり微笑む。どうやら正解のようだ。
「では皇太子殿下が、オークションに裏から手を回して手に入れた首飾りを譲ってください。まさか、皇族の特権を使って横から奪い取られるとは思いもよらなかったので、落胆いたしました」
「あれを狙っていたのか?」
「妻が、欲しがっておりましたので。僕が落札すると決めたら、それは決定事項なのです」
「わ、わかった。望みどおりにしよう」
妙な威圧感に負けて、皇太子はつい下に出てしまう。しかしこれで過去にニーナ・ハイデルを傷つけた件が許されるなら、首飾りもプライドもどうでもいい気がした。
命の手綱を握られているかのような空気から解放され、皇太子はスキップせんばかりの足取りで立ち去っていく。イングリッド公爵家を後ろ盾につけるためにヘンリーを口説こうとしていたことを、すっかり忘れていたのだった。
皇太子から譲り受けた首飾りをダリアの首にかけながら、ヘンリーはそれを入手した経緯をかいつまんで説明する。
首飾りがかかった姿を鏡で見つめ、うれしそうにはしゃぐダリアを見てヘンリーは目を細めた。あまり高価なものを欲しがらないダリアが珍しく欲しそうにしていたから、ヘンリーは何がなんでも絶対に手に入れようと決めていたのだ。
ダリアはただオークションの目録を眺めて、「ヘンリーとエドワードの瞳の色に似ていてきれいだわ」と言っただけなのだが。
「――……と、皇太子殿下が僕に宰相やら外務大臣やらのポストを提案してきたんだ」
「ヘンリーは皇太子殿下から頼りにされているのね。あんたってぽやぽやしてるわりに意外と優秀だってことかしら。外務大臣って、外国にたくさん行くのよね? いいわね。私も行ってみたいわ」
「じゃあ、外務大臣になろうかな」
ダリアの言葉ひとつでころりと考えを変えたヘンリーは、翌日さっそく皇太子を訪ねた。
「皇太子殿下。次期外務大臣のポストはまだ空いていますか?」
「他国の水は身体に合わないんじゃなかったのか?」
「僕がそんなこと言いましたか?」
「いや……私の記憶違いだ。次期外務大臣にはそなたを推しておこう」
果たして強い味方を得たのか、それとも常に背中に剣先を突きつけられることになるのか、皇太子はなんとも微妙な気持ちになるのであった。
おわり
151
あなたにおすすめの小説
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】初恋の彼に 身代わりの妻に選ばれました
ユユ
恋愛
婚姻4年。夫が他界した。
夫は婚約前から病弱だった。
王妃様は、愛する息子である第三王子の婚約者に
私を指名した。
本当は私にはお慕いする人がいた。
だけど平凡な子爵家の令嬢の私にとって
彼は高嶺の花。
しかも王家からの打診を断る自由などなかった。
実家に戻ると、高嶺の花の彼の妻にと縁談が…。
* 作り話です。
* 完結保証つき。
* R18
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる