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16話・私と彼の恐怖の話
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カレーを作って、食べて。
食べてる途中から正直ちょっと意識が飛んでいた。レイスが気づいてくれて、寝たほうがいいといわれて、薬を飲んでから素直にベッドにダイブした。着替えるのも億劫で、そのまま寝てしまった。
カーテンの隙間からこぼれる朝日で目を覚ました。がりがりと頭をかく。週一度のバイトでこんなにつかれていたんじゃあ、正社員なんて夢のまた夢だ。
とうに諦めたはずの『普通』の生活。間々ならない現実が歯がゆかった。
「おはよう」
「おはよう、レイス」
ゆっくりとした声はここ数日で大分なれたもの。にこりと微笑んで笑いかけるレイスに小さく笑い返して、ぐっと伸びをする。
今日は、久々に図書館に行こうと思っていた。
レイスは文字が読めないから退屈かもしれないけれど、私が借りていた本の期限が明日なのだ。早めに返した方がいいし、外に出ること事体はレイスも意欲的なので、散歩の意味合いのほうが強い。
朝食には朝から重かったけど、昨日の残りのカレーを食べて、お昼過ぎに部屋を出る。図書館に併設のカフェテリアでお昼を済ませるつもりだったので、お昼は食べない。
そもそも私が起きるのがおそいので、朝と昼が一緒になっているのは素直にレイスに申しわけなかった。
図書館まではバスを使う。やっぱり目をキラキラさせているレイスを横に三冊ハードカバーの小説が入ったバッグを抱えて、うとうとする。バスや電車はどうにも眠くなる。
図書館前で降りて、図書館に入ればレイスはますます目を輝かせた。なにがそんなに面白いのかよくわからない。
「レイス、文字読めないよね? すぐに用事すませるから」
「俺のことは気にしなくていいよ。むしろこんなにたくさん本があるんだから、俺も色々探してみたい」
「え、でも、字、読めないよね?」
「……読める本もあるかもしれないし!」
「まぁ、図書館だから否定はしないけど……」
前向きなレイスを全面否定するのは申しわけなくて、尻すぼみになりつつそんなことを口にする。この図書館、外国語コーナー充実してたかな……? そのあたりのコーナーは使わないからよくわからない。
「えっと、あっちが外国語コーナーだよ」
「いってくる!」
とりあえずそっちを指差せば、走らない程度の早足でレイスが消えていく。よほど本が好きらしい。なら、なおさら読める本があればいいなぁ、なんて思う。
私は私で返却コーナーへ。司書さんに本を渡す。
「ああ、幾月さん、ご希望の本が入りましたよ」
「あ、ほんとうですか。借ります」
「もう文学コーナーにおいていますからとってくださいね。貸し出しはされていなかったはずです」
「ありがとうございます」
顔なじみの司書さんと軽いやり取りをして、目当ての本のコーナーへ。
作者別に分けられた棚をなんともなしに習慣でゆっくり見て回る。途中で借りたい本の作者の名前の棚で立ち止まり、新刊を探す。新刊コーナーには置いてなかったからここにあるはずなのだけど。
「あ」
あった。と、目当ての本をとろうとした、瞬間だった。
「あれ? 幾月?」
「っ」
酷く耳障りな、声が、響いた。
びくりとはねた指先。握り締めてごまかして、浅くなる息を意識的に深くする。振り返りたくなかったけれど、無視するのも怖くて、ゆっくりと振り返れば、そこには予想通りの人間がいた。
「久しぶりじゃねぇか」
「……久しぶり」
にやにやとした表情が気持ち悪い。染められた金髪が気色悪い。近寄ってくる男を全身が拒否している。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「こんなところであうとおもわなかったぜ」
それは、こちらの台詞だ。どうしてここにいるの。図書館になんて縁がないだろうと思うのに。
小学、中学、高校と同じだったそいつ。
ずっと、私を苛めていた相手。
大っ嫌いな人間。人に対してあまり、嫌い、という表現を使わない私が、使っても、苦手、で終わらせる私が、心底から嫌悪している男。
同じ空気を吸っているというそれだけで吐き気がするほど、嫌悪感のある相手。
名前も口にしたくないほど大嫌いな奴。
さっさとどこかいってしまえばいいのに、じろじろとこっちを見ている男は動く気配がない。
握り締めた手が震えている。もう、本なんてどうでもいい。はやくこの場所から逃げ出したかった。なのに、背中には本棚。目の前には男。横に動いても邪魔をしてくるのは、性格で知っていた。
きっと、私の手が震えていることもばれていて、それを面白がっている。
だって、さっきからずっと笑っている。にやにやと、気持ち悪い笑みを浮かべて私をみてる。いつだって、この男にとって私はおもちゃだった。小学生の頃から、ずっと。
高校の半ばあたりから姿を見なくなって、中退でもしたのかと思っていた。……正直、いい気味だと思ってた。この男だけは。幸せになる権利がないと。私は思っていたから。
それだけのことをされてきた。心のそこからこいつの絶望を願う程度のことは、されてきた。
仲間はずれなんてかわいい範囲。ものがなくなるのは当たり前。数人に取り囲まれて暴言をはかれるのは日常。階段から突き落とされたことが、何度あっただろう。それ以外にも、たくさん。たくさん。いわれてきた。されてきた。絶望したことなど数知れず、死にたいと思った回数は両手では足りない。
私が小説に夢中になった理由の一つ。原因の一つ。害悪の一つ。
小説を読んでいる間は、罵詈雑言を聞かなくてよかった。
図書室にいる間は、苛められなかった。
本だけが、クラスのつまはじき者だった私を受け入れてくれた。
憎悪の対象で、絶望の象徴だった。
今だって、できるなら睨み返してしまいたいのに。臆病な幼い自分が邪魔をする。逆らってはいけないと本能が刷り込まれている。
一歩、近づいてくる。大仰に、肩が跳ねた。笑みが深くなる。ああ、いやだ。逃げたい。逃げたい。逃げたい(たすけて)
助けはこない。だれも助けてくれない。みんな見てみぬふり。
虐めに加担はしても、私のことは助けてくれない。
私を指差して笑うみんな、大嫌い。指差されて笑われる、自分が、嫌い。
呼吸が速くなる。動悸がおかしい。逃げたいのに、足が動かない。生理的な嫌悪感。精神的な負荷。辛い、きつい、くるしい。だれか、だれか。
たすけて
だれか
――レイス
食べてる途中から正直ちょっと意識が飛んでいた。レイスが気づいてくれて、寝たほうがいいといわれて、薬を飲んでから素直にベッドにダイブした。着替えるのも億劫で、そのまま寝てしまった。
カーテンの隙間からこぼれる朝日で目を覚ました。がりがりと頭をかく。週一度のバイトでこんなにつかれていたんじゃあ、正社員なんて夢のまた夢だ。
とうに諦めたはずの『普通』の生活。間々ならない現実が歯がゆかった。
「おはよう」
「おはよう、レイス」
ゆっくりとした声はここ数日で大分なれたもの。にこりと微笑んで笑いかけるレイスに小さく笑い返して、ぐっと伸びをする。
今日は、久々に図書館に行こうと思っていた。
レイスは文字が読めないから退屈かもしれないけれど、私が借りていた本の期限が明日なのだ。早めに返した方がいいし、外に出ること事体はレイスも意欲的なので、散歩の意味合いのほうが強い。
朝食には朝から重かったけど、昨日の残りのカレーを食べて、お昼過ぎに部屋を出る。図書館に併設のカフェテリアでお昼を済ませるつもりだったので、お昼は食べない。
そもそも私が起きるのがおそいので、朝と昼が一緒になっているのは素直にレイスに申しわけなかった。
図書館まではバスを使う。やっぱり目をキラキラさせているレイスを横に三冊ハードカバーの小説が入ったバッグを抱えて、うとうとする。バスや電車はどうにも眠くなる。
図書館前で降りて、図書館に入ればレイスはますます目を輝かせた。なにがそんなに面白いのかよくわからない。
「レイス、文字読めないよね? すぐに用事すませるから」
「俺のことは気にしなくていいよ。むしろこんなにたくさん本があるんだから、俺も色々探してみたい」
「え、でも、字、読めないよね?」
「……読める本もあるかもしれないし!」
「まぁ、図書館だから否定はしないけど……」
前向きなレイスを全面否定するのは申しわけなくて、尻すぼみになりつつそんなことを口にする。この図書館、外国語コーナー充実してたかな……? そのあたりのコーナーは使わないからよくわからない。
「えっと、あっちが外国語コーナーだよ」
「いってくる!」
とりあえずそっちを指差せば、走らない程度の早足でレイスが消えていく。よほど本が好きらしい。なら、なおさら読める本があればいいなぁ、なんて思う。
私は私で返却コーナーへ。司書さんに本を渡す。
「ああ、幾月さん、ご希望の本が入りましたよ」
「あ、ほんとうですか。借ります」
「もう文学コーナーにおいていますからとってくださいね。貸し出しはされていなかったはずです」
「ありがとうございます」
顔なじみの司書さんと軽いやり取りをして、目当ての本のコーナーへ。
作者別に分けられた棚をなんともなしに習慣でゆっくり見て回る。途中で借りたい本の作者の名前の棚で立ち止まり、新刊を探す。新刊コーナーには置いてなかったからここにあるはずなのだけど。
「あ」
あった。と、目当ての本をとろうとした、瞬間だった。
「あれ? 幾月?」
「っ」
酷く耳障りな、声が、響いた。
びくりとはねた指先。握り締めてごまかして、浅くなる息を意識的に深くする。振り返りたくなかったけれど、無視するのも怖くて、ゆっくりと振り返れば、そこには予想通りの人間がいた。
「久しぶりじゃねぇか」
「……久しぶり」
にやにやとした表情が気持ち悪い。染められた金髪が気色悪い。近寄ってくる男を全身が拒否している。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「こんなところであうとおもわなかったぜ」
それは、こちらの台詞だ。どうしてここにいるの。図書館になんて縁がないだろうと思うのに。
小学、中学、高校と同じだったそいつ。
ずっと、私を苛めていた相手。
大っ嫌いな人間。人に対してあまり、嫌い、という表現を使わない私が、使っても、苦手、で終わらせる私が、心底から嫌悪している男。
同じ空気を吸っているというそれだけで吐き気がするほど、嫌悪感のある相手。
名前も口にしたくないほど大嫌いな奴。
さっさとどこかいってしまえばいいのに、じろじろとこっちを見ている男は動く気配がない。
握り締めた手が震えている。もう、本なんてどうでもいい。はやくこの場所から逃げ出したかった。なのに、背中には本棚。目の前には男。横に動いても邪魔をしてくるのは、性格で知っていた。
きっと、私の手が震えていることもばれていて、それを面白がっている。
だって、さっきからずっと笑っている。にやにやと、気持ち悪い笑みを浮かべて私をみてる。いつだって、この男にとって私はおもちゃだった。小学生の頃から、ずっと。
高校の半ばあたりから姿を見なくなって、中退でもしたのかと思っていた。……正直、いい気味だと思ってた。この男だけは。幸せになる権利がないと。私は思っていたから。
それだけのことをされてきた。心のそこからこいつの絶望を願う程度のことは、されてきた。
仲間はずれなんてかわいい範囲。ものがなくなるのは当たり前。数人に取り囲まれて暴言をはかれるのは日常。階段から突き落とされたことが、何度あっただろう。それ以外にも、たくさん。たくさん。いわれてきた。されてきた。絶望したことなど数知れず、死にたいと思った回数は両手では足りない。
私が小説に夢中になった理由の一つ。原因の一つ。害悪の一つ。
小説を読んでいる間は、罵詈雑言を聞かなくてよかった。
図書室にいる間は、苛められなかった。
本だけが、クラスのつまはじき者だった私を受け入れてくれた。
憎悪の対象で、絶望の象徴だった。
今だって、できるなら睨み返してしまいたいのに。臆病な幼い自分が邪魔をする。逆らってはいけないと本能が刷り込まれている。
一歩、近づいてくる。大仰に、肩が跳ねた。笑みが深くなる。ああ、いやだ。逃げたい。逃げたい。逃げたい(たすけて)
助けはこない。だれも助けてくれない。みんな見てみぬふり。
虐めに加担はしても、私のことは助けてくれない。
私を指差して笑うみんな、大嫌い。指差されて笑われる、自分が、嫌い。
呼吸が速くなる。動悸がおかしい。逃げたいのに、足が動かない。生理的な嫌悪感。精神的な負荷。辛い、きつい、くるしい。だれか、だれか。
たすけて
だれか
――レイス
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