久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【拾壱】箪笥ノ中

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 ……翌日、山茶花御殿の玄関ホール。
 メイド姉妹の妹のキヨが取り次いだ電話の先で、桜子は困った様子でこう言った。
「申し訳ないんだけど、今日、お休みさせて欲しいの」
「おや、珍しいですね」
 受話器に零がそう返すと、彼女の後ろで甲高い声がした。
「桜子おねえちゃんとね、上野の動物園に行くの! ゾウさん見るの、楽しみだなぁ」

 土御門サナヱ――『怪盗・鴉揚羽』の真の姿である。
 今は大家の遠縁の子と称し、桜子の下宿の隣室に、彼女の護衛兼お目付け役として住んでいる。

「大家さんが急用で、今日一日預かって欲しいって頼まれたんだけど、事務所に連れて行こうとしたら、どうしても動物園に行きたいって聞かないのよ」
 桜子は幼い声の相手をしながら、零に切々と訴える。

 ……実は、それが零たちの策略なのだが、彼女は知る由もない。

 今日、慶司の屋敷に棲む「怪異」と決着を付ける。しかし、その場に桜子が居合わせるのは危険なため、彼女を連れ出すよう、ハルアキを通して鴉揚羽に頼んだのだ。
 勘の良い彼女は、ただ休みを取らせるだけでは訝しんで先回りをしかねない。桜子には悪いが、安全の為には仕方がない。

 鴉揚羽は、ハルアキが伝えた通りに動いてくれている……後でどんな代償を請求されるかは分からないが。
 舞台は整った。腰にぶら下げた髑髏の根付を撫でながら、零は桜子に言った。
「今日は動きはありませんよ。どうぞゆっくり、その子と遊んできてください」

 「イーッだ!」という鴉揚羽の不機嫌な声を黙らせるように受話器を置き、零は事務所に戻る。そこで、ハルアキはたっぷりと蜂蜜を溶かした紅茶を啜っていた。
「目覚ましには苦い紅茶も悪くない」

「何か言ってました? 彼女」
 鴉揚羽の事である。零はハルアキの向かいに座って、自分のティーカップにとびきり渋い紅茶を注いだ。
「来月開かれる白山神社の紫陽花祭りへ連れて行けと言っておった――そなたと二人がいいらしい」
 零は紅茶でむせ返った。
「何で……ゴホッ、私なんです?」
「察せぬは罪ぞ」
 戸惑う零に細い目を向け、ハルアキはティーカップを一気に呷った。


 ◇


 その後、二人は柴又へ向かう。帝釈天を過ぎ、竹藪が見えてきたところで、二人は別の方向へと向かいだした。そしてそれぞれ、屋敷が見える位置に身を潜ませる。

 時は、昼少し前。
 そろそろ出てきてもいい頃だ。

 先だっての老婦人たちの会話である。
 ――食事の際は外に出掛ける。
 その時を待っているのだ。

 だが、彼が出てきたのは、昼もとうに過ぎた午後一時近く。
 玄関の戸が開閉する音がしたと思うと、ヨレヨレの背広を羽織った慶司が、芝垣に開いた門から出てきた。

 竹藪に身を潜ませて彼をやり過ごした零は、素早く玄関に移動した。錠前に向き合い、右手の中指と薬指で挟んだ式札を鋭く振り下ろす――すると指先に一瞬だけ、金色の刃のようなものが現れた。
 それは錠前を貫通したように見えたが、零――いや、零に扮したハルアキは知っていた。
 天一の刃は、斬りたいと思ったものだけを斬る。
 要するに、外からは分からないように錠前を壊したのだ。

 式神自体を召喚せず、体の一部、もしくは能力だけを召喚するやり方は、鴉揚羽の真似だ。安倍晴明たる彼が、陰陽師とも名乗れぬ小娘の方策を真似るというのは、彼が常に向上心を持っているからである……とはいえ、鴉揚羽本人の前ではやりたくない。

 零の姿をしたハルアキは、そっと戸に手を掛ける。そして、一寸ほど開いて錠前の具合を確認した。
「うまくやれよ、名無し」
 と彼は小声で呟き、久世慶司の後を追った。


 ◇


 一方、零は、ハルアキが去った後、すぐに玄関にやって来た。
 格子戸を細く開き、隙間に身を滑らせると、後ろ手に戸を閉める。

 彼を迎えたのは、淀み切った空気。湿気と埃の匂いに交じって、床から履い上がるような嫌な冷気が肌を刺す。
 ゾワゾワと肌を粟立たせる感覚は、雨戸が閉め切りで暗いからひんやりするのではない。得体の知れぬ怪異が、彼の侵入を察知した――そのように感じた。

 ハルアキには言わなかったが、零は疑問に思っていた。
 ――この屋敷に巣食う怪異は、零やハルアキを拒絶していない。一度は桜子と、もう一度は警官に扮してハルアキと訪れた時も、何も起こらなかった。

 そして今も、薄暗い廊下に降りる冷気は、零に敵意を向けてはいなかった。

 慶司が頑なに隠そうとしているモノが、己を見つけてほしいと招いているのか。はたまた、そのモノの背後にある「悪魔」が、手ぐすねを引いて待っているのか。
 闇に沈む廊下の奥を見通しても、零にはその判断が付かなかった。

 ただ、ひとつの判断材料として、ハルアキが内包する「賢者の石」がある。
 賢者の石を持つ者――ホムンクルス同士は互いにその存在を感じ合うらしい。
 そんな彼が、零の作戦を否定しなかったのだから、ここにホムンクルスの存在はないと判断していいだろう。

 そうとすれば、この静寂は、お玉の「意識」が零に彼女の存在を知らせようとしているもの……とはいえ、その思惑は計り知れない。十分に警戒すべきだ。

 零は下駄を脱ぎ、廊下に踏み出す。
 慶司が戻ってくるまでに、決着を付けねばならないのだ。モタモタしている暇はない。

 零に扮したハルアキの役目は、慶司の足止め。昼食に出た彼が帰宅するのを出来るだけ遅らせ、時間稼ぎをするのだ。話し掛ける必要はない。警戒すべき零の姿が視界にあれば、家に寄せ付けたくないがために遠回りをするだろう……という作戦である。
 だが、それにも限度がある。
 手っ取り早く終わらせるため、零は相棒を呼び出した。

 ――犬神・小丸。
 煙草入れの根付を床に転がすと、白銀の焔が立ち、一気に膨張する。そして犬の形を顕した――いや、狼だ。首を低くし、前脚を踏ん張ったその額には、焔の紋章。

 零は前屈みにその首筋を撫でてやると、小丸は目を細めて受け入れた。
「さて、妖のところへ案内してください、小丸」

 彼の役割は、憑依された者から妖を追い立てる、言わば猟犬のようなものだ。猟犬にはまた、その鋭い嗅覚で獲物を探し出す役目もある。
 小丸は鼻をフンフンと鳴らしながら、廊下を奥へと真っ直ぐに進んでいく。

 千年も姿を変えずに、主に従うこの忠犬は、零の相棒であり、唯一の家族でもある。

「やはり、奥に何かがいますか?」
 零が問うと、小丸は小さく「クン」と返事をした。そして、廊下の突き当り――奥座敷への襖をすり抜けた。犬神は式神の一種であるから、実体がないのだ。
 置いてけぼりを喰らった零は、苦笑しつつ襖を開く。

 ――そして、笑みを消した。

 雨戸の閉め切られた、薄暗い部屋。
 その部屋は寝室として使われており、畳に万年床が敷いてある。
 その奥に、箪笥。

 畳に踏み出した途端、痛みを伴う冷気が零の足を竦ませた。洞窟の底に貯まった冷水に素足を突っ込んだような感覚だ。冷気は足から背を抜け、脳天を貫く。
 以前、この部屋に踏み入れた時、この冷気はなかった。それが今、箪笥の奥からあふれ出てきている。

 お玉は彼を拒絶していないと思っていたが、それは思い違いだったようだ。
 この気配はむしろ、内に引きずり込んで取り殺そうとしているもの……。
 これまで拒絶しなかったのは、取り殺す隙を狙っていたに過ぎないのだろう。零は今ひとり――格好の餌食とばかりに、牙を剥きだしたのかもしれない。
 
 零は傍らの壁のスイッチを押した。何度か点滅した後、室内が裸電球に照らされる。
 小丸は部屋の中央で足を止め、毛を逆立てて唸っていた――箪笥に向かって。
 彼の鋭い嗅覚は、箪笥の奥にあるモノを存在を、既に感知しているのだ。

「…………」
 殺意を肌に感じつつも、進まない訳にはいかない。
 それが、彼の使命なのだから。

 零は冷気の中を進み、箪笥の前に立った。
 桐板と飾り金具で拵てある、嫁入り道具としてはごく一般的な形の洋箪笥。上部を観音開きが占め、下に二段の引き出しが付いている。その様子は、先日見た時と何ひとつ変わっていない。

 何度か呼吸し心を落ち着ける。そして、観音開きの取手に手を伸ばし、そこで動きを止めた。

 小丸の様子を窺うに、もしかしたら、以前はなかったモノがこの中に現れているかもしれない。
 そう考え、零は帯に挟んだ短刀を抜いた。だが「陰の太刀」と呼ぶその刀身は、鈍い銀色をしているだけだった。
 対峙した妖の正体を見極めないと本来の姿を見せない……彼自身がこの短刀に掛けた制約だ。
 やはり、妖と対峙し、正体を見極めなければ、太刀は本来の姿を見せないようだ。

 短刀を鞘に納め、観音開きに手を掛ける。そこで何度か呼吸をし、零は一息に扉を引いた。

 だが、寒々しい電灯の明かりは、箪笥の中に何もないことを示しただけだった。

 拍子抜けした心地で零は呆然とがらんどうを眺めた。過度の緊張が解けて、零は小丸をグチリと見下ろす。
「何もないではありませんか」
 しかし小丸は、剥いた牙を納めない。既に怪異の術中とばかりに、唸り声を上げている。

 零は箪笥に目を戻した。
 先日覗いた時と同じ、何ひとつない空間。
 ――しかし、確かに、冷気はここから発生している。

 零とハルアキの推理が正しければ、ここに隠し部屋へ繋がる入口があるはずだ。
「小丸、何か分かりませんか?」
 相棒に問いかける。すると小丸は、箪笥の引き出し部分に鼻先を擦り付けた。

「こんな狭いところから入れるとは思えませんけどね……」
 そう言いつつ、かがみ込んで引き出しを引く。簡単に開いたそれは、やはり空だった。
 ――しかし。
 引き出しの隙間から、濃い冷気が流れ出てくる。
「…………」
 半信半疑ながらも、零は二段の引き出しを引き抜き、顔を近付けた。

 そこにあったのは、丸穴。
 石組みで囲われた、井戸と思わしきものだ。
 冷気の源は、これに違いない。

 しかし、引き出しから中に入るのは不可能だ。
 零は手を入れ、観音開き部分の底板を押してみる。するとそれは簡単に持ち上がった。

 これで判明した。
 慶司が隠したかったものは、この井戸。井戸を隠すために、台所の土間に蓋をし、箪笥で井戸を覆ったのだ。

 ――この奥に、お玉はいる。
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