83 / 92
第伍話──箪笥
【拾壱】箪笥ノ中
しおりを挟む
……翌日、山茶花御殿の玄関ホール。
メイド姉妹の妹のキヨが取り次いだ電話の先で、桜子は困った様子でこう言った。
「申し訳ないんだけど、今日、お休みさせて欲しいの」
「おや、珍しいですね」
受話器に零がそう返すと、彼女の後ろで甲高い声がした。
「桜子おねえちゃんとね、上野の動物園に行くの! ゾウさん見るの、楽しみだなぁ」
土御門サナヱ――『怪盗・鴉揚羽』の真の姿である。
今は大家の遠縁の子と称し、桜子の下宿の隣室に、彼女の護衛兼お目付け役として住んでいる。
「大家さんが急用で、今日一日預かって欲しいって頼まれたんだけど、事務所に連れて行こうとしたら、どうしても動物園に行きたいって聞かないのよ」
桜子は幼い声の相手をしながら、零に切々と訴える。
……実は、それが零たちの策略なのだが、彼女は知る由もない。
今日、慶司の屋敷に棲む「怪異」と決着を付ける。しかし、その場に桜子が居合わせるのは危険なため、彼女を連れ出すよう、ハルアキを通して鴉揚羽に頼んだのだ。
勘の良い彼女は、ただ休みを取らせるだけでは訝しんで先回りをしかねない。桜子には悪いが、安全の為には仕方がない。
鴉揚羽は、ハルアキが伝えた通りに動いてくれている……後でどんな代償を請求されるかは分からないが。
舞台は整った。腰にぶら下げた髑髏の根付を撫でながら、零は桜子に言った。
「今日は動きはありませんよ。どうぞゆっくり、その子と遊んできてください」
「イーッだ!」という鴉揚羽の不機嫌な声を黙らせるように受話器を置き、零は事務所に戻る。そこで、ハルアキはたっぷりと蜂蜜を溶かした紅茶を啜っていた。
「目覚ましには苦い紅茶も悪くない」
「何か言ってました? 彼女」
鴉揚羽の事である。零はハルアキの向かいに座って、自分のティーカップにとびきり渋い紅茶を注いだ。
「来月開かれる白山神社の紫陽花祭りへ連れて行けと言っておった――そなたと二人がいいらしい」
零は紅茶でむせ返った。
「何で……ゴホッ、私なんです?」
「察せぬは罪ぞ」
戸惑う零に細い目を向け、ハルアキはティーカップを一気に呷った。
◇
その後、二人は柴又へ向かう。帝釈天を過ぎ、竹藪が見えてきたところで、二人は別の方向へと向かいだした。そしてそれぞれ、屋敷が見える位置に身を潜ませる。
時は、昼少し前。
そろそろ出てきてもいい頃だ。
先だっての老婦人たちの会話である。
――食事の際は外に出掛ける。
その時を待っているのだ。
だが、彼が出てきたのは、昼もとうに過ぎた午後一時近く。
玄関の戸が開閉する音がしたと思うと、ヨレヨレの背広を羽織った慶司が、芝垣に開いた門から出てきた。
竹藪に身を潜ませて彼をやり過ごした零は、素早く玄関に移動した。錠前に向き合い、右手の中指と薬指で挟んだ式札を鋭く振り下ろす――すると指先に一瞬だけ、金色の刃のようなものが現れた。
それは錠前を貫通したように見えたが、零――いや、零に扮したハルアキは知っていた。
天一の刃は、斬りたいと思ったものだけを斬る。
要するに、外からは分からないように錠前を壊したのだ。
式神自体を召喚せず、体の一部、もしくは能力だけを召喚するやり方は、鴉揚羽の真似だ。安倍晴明たる彼が、陰陽師とも名乗れぬ小娘の方策を真似るというのは、彼が常に向上心を持っているからである……とはいえ、鴉揚羽本人の前ではやりたくない。
零の姿をしたハルアキは、そっと戸に手を掛ける。そして、一寸ほど開いて錠前の具合を確認した。
「うまくやれよ、名無し」
と彼は小声で呟き、久世慶司の後を追った。
◇
一方、本物の零は、ハルアキが去った後、すぐに玄関にやって来た。
格子戸を細く開き、隙間に身を滑らせると、後ろ手に戸を閉める。
彼を迎えたのは、淀み切った空気。湿気と埃の匂いに交じって、床から履い上がるような嫌な冷気が肌を刺す。
ゾワゾワと肌を粟立たせる感覚は、雨戸が閉め切りで暗いからひんやりするのではない。得体の知れぬ怪異が、彼の侵入を察知した――そのように感じた。
ハルアキには言わなかったが、零は疑問に思っていた。
――この屋敷に巣食う怪異は、零やハルアキを拒絶していない。一度は桜子と、もう一度は警官に扮してハルアキと訪れた時も、何も起こらなかった。
そして今も、薄暗い廊下に降りる冷気は、零に敵意を向けてはいなかった。
慶司が頑なに隠そうとしているモノが、己を見つけてほしいと招いているのか。はたまた、そのモノの背後にある「悪魔」が、手ぐすねを引いて待っているのか。
闇に沈む廊下の奥を見通しても、零にはその判断が付かなかった。
ただ、ひとつの判断材料として、ハルアキが内包する「賢者の石」がある。
賢者の石を持つ者――ホムンクルス同士は互いにその存在を感じ合うらしい。
そんな彼が、零の作戦を否定しなかったのだから、ここにホムンクルスの存在はないと判断していいだろう。
そうとすれば、この静寂は、お玉の「意識」が零に彼女の存在を知らせようとしているもの……とはいえ、その思惑は計り知れない。十分に警戒すべきだ。
零は下駄を脱ぎ、廊下に踏み出す。
慶司が戻ってくるまでに、決着を付けねばならないのだ。モタモタしている暇はない。
零に扮したハルアキの役目は、慶司の足止め。昼食に出た彼が帰宅するのを出来るだけ遅らせ、時間稼ぎをするのだ。話し掛ける必要はない。警戒すべき零の姿が視界にあれば、家に寄せ付けたくないがために遠回りをするだろう……という作戦である。
だが、それにも限度がある。
手っ取り早く終わらせるため、零は相棒を呼び出した。
――犬神・小丸。
煙草入れの根付を床に転がすと、白銀の焔が立ち、一気に膨張する。そして犬の形を顕した――いや、狼だ。首を低くし、前脚を踏ん張ったその額には、焔の紋章。
零は前屈みにその首筋を撫でてやると、小丸は目を細めて受け入れた。
「さて、妖のところへ案内してください、小丸」
彼の役割は、憑依された者から妖を追い立てる、言わば猟犬のようなものだ。猟犬にはまた、その鋭い嗅覚で獲物を探し出す役目もある。
小丸は鼻をフンフンと鳴らしながら、廊下を奥へと真っ直ぐに進んでいく。
千年も姿を変えずに、主に従うこの忠犬は、零の相棒であり、唯一の家族でもある。
「やはり、奥に何かがいますか?」
零が問うと、小丸は小さく「クン」と返事をした。そして、廊下の突き当り――奥座敷への襖をすり抜けた。犬神は式神の一種であるから、実体がないのだ。
置いてけぼりを喰らった零は、苦笑しつつ襖を開く。
――そして、笑みを消した。
雨戸の閉め切られた、薄暗い部屋。
その部屋は寝室として使われており、畳に万年床が敷いてある。
その奥に、箪笥。
畳に踏み出した途端、痛みを伴う冷気が零の足を竦ませた。洞窟の底に貯まった冷水に素足を突っ込んだような感覚だ。冷気は足から背を抜け、脳天を貫く。
以前、この部屋に踏み入れた時、この冷気はなかった。それが今、箪笥の奥からあふれ出てきている。
お玉は彼を拒絶していないと思っていたが、それは思い違いだったようだ。
この気配はむしろ、内に引きずり込んで取り殺そうとしているもの……。
これまで拒絶しなかったのは、取り殺す隙を狙っていたに過ぎないのだろう。零は今ひとり――格好の餌食とばかりに、牙を剥きだしたのかもしれない。
零は傍らの壁のスイッチを押した。何度か点滅した後、室内が裸電球に照らされる。
小丸は部屋の中央で足を止め、毛を逆立てて唸っていた――箪笥に向かって。
彼の鋭い嗅覚は、箪笥の奥にあるモノを存在を、既に感知しているのだ。
「…………」
殺意を肌に感じつつも、進まない訳にはいかない。
それが、彼の使命なのだから。
零は冷気の中を進み、箪笥の前に立った。
桐板と飾り金具で拵てある、嫁入り道具としてはごく一般的な形の洋箪笥。上部を観音開きが占め、下に二段の引き出しが付いている。その様子は、先日見た時と何ひとつ変わっていない。
何度か呼吸し心を落ち着ける。そして、観音開きの取手に手を伸ばし、そこで動きを止めた。
小丸の様子を窺うに、もしかしたら、以前はなかったモノがこの中に現れているかもしれない。
そう考え、零は帯に挟んだ短刀を抜いた。だが「陰の太刀」と呼ぶその刀身は、鈍い銀色をしているだけだった。
対峙した妖の正体を見極めないと本来の姿を見せない……彼自身がこの短刀に掛けた制約だ。
やはり、妖と対峙し、正体を見極めなければ、太刀は本来の姿を見せないようだ。
短刀を鞘に納め、観音開きに手を掛ける。そこで何度か呼吸をし、零は一息に扉を引いた。
だが、寒々しい電灯の明かりは、箪笥の中に何もないことを示しただけだった。
拍子抜けした心地で零は呆然とがらんどうを眺めた。過度の緊張が解けて、零は小丸をグチリと見下ろす。
「何もないではありませんか」
しかし小丸は、剥いた牙を納めない。既に怪異の術中とばかりに、唸り声を上げている。
零は箪笥に目を戻した。
先日覗いた時と同じ、何ひとつない空間。
――しかし、確かに、冷気はここから発生している。
零とハルアキの推理が正しければ、ここに隠し部屋へ繋がる入口があるはずだ。
「小丸、何か分かりませんか?」
相棒に問いかける。すると小丸は、箪笥の引き出し部分に鼻先を擦り付けた。
「こんな狭いところから入れるとは思えませんけどね……」
そう言いつつ、かがみ込んで引き出しを引く。簡単に開いたそれは、やはり空だった。
――しかし。
引き出しの隙間から、濃い冷気が流れ出てくる。
「…………」
半信半疑ながらも、零は二段の引き出しを引き抜き、顔を近付けた。
そこにあったのは、丸穴。
石組みで囲われた、井戸と思わしきものだ。
冷気の源は、これに違いない。
しかし、引き出しから中に入るのは不可能だ。
零は手を入れ、観音開き部分の底板を押してみる。するとそれは簡単に持ち上がった。
これで判明した。
慶司が隠したかったものは、この井戸。井戸を隠すために、台所の土間に蓋をし、箪笥で井戸を覆ったのだ。
――この奥に、お玉はいる。
メイド姉妹の妹のキヨが取り次いだ電話の先で、桜子は困った様子でこう言った。
「申し訳ないんだけど、今日、お休みさせて欲しいの」
「おや、珍しいですね」
受話器に零がそう返すと、彼女の後ろで甲高い声がした。
「桜子おねえちゃんとね、上野の動物園に行くの! ゾウさん見るの、楽しみだなぁ」
土御門サナヱ――『怪盗・鴉揚羽』の真の姿である。
今は大家の遠縁の子と称し、桜子の下宿の隣室に、彼女の護衛兼お目付け役として住んでいる。
「大家さんが急用で、今日一日預かって欲しいって頼まれたんだけど、事務所に連れて行こうとしたら、どうしても動物園に行きたいって聞かないのよ」
桜子は幼い声の相手をしながら、零に切々と訴える。
……実は、それが零たちの策略なのだが、彼女は知る由もない。
今日、慶司の屋敷に棲む「怪異」と決着を付ける。しかし、その場に桜子が居合わせるのは危険なため、彼女を連れ出すよう、ハルアキを通して鴉揚羽に頼んだのだ。
勘の良い彼女は、ただ休みを取らせるだけでは訝しんで先回りをしかねない。桜子には悪いが、安全の為には仕方がない。
鴉揚羽は、ハルアキが伝えた通りに動いてくれている……後でどんな代償を請求されるかは分からないが。
舞台は整った。腰にぶら下げた髑髏の根付を撫でながら、零は桜子に言った。
「今日は動きはありませんよ。どうぞゆっくり、その子と遊んできてください」
「イーッだ!」という鴉揚羽の不機嫌な声を黙らせるように受話器を置き、零は事務所に戻る。そこで、ハルアキはたっぷりと蜂蜜を溶かした紅茶を啜っていた。
「目覚ましには苦い紅茶も悪くない」
「何か言ってました? 彼女」
鴉揚羽の事である。零はハルアキの向かいに座って、自分のティーカップにとびきり渋い紅茶を注いだ。
「来月開かれる白山神社の紫陽花祭りへ連れて行けと言っておった――そなたと二人がいいらしい」
零は紅茶でむせ返った。
「何で……ゴホッ、私なんです?」
「察せぬは罪ぞ」
戸惑う零に細い目を向け、ハルアキはティーカップを一気に呷った。
◇
その後、二人は柴又へ向かう。帝釈天を過ぎ、竹藪が見えてきたところで、二人は別の方向へと向かいだした。そしてそれぞれ、屋敷が見える位置に身を潜ませる。
時は、昼少し前。
そろそろ出てきてもいい頃だ。
先だっての老婦人たちの会話である。
――食事の際は外に出掛ける。
その時を待っているのだ。
だが、彼が出てきたのは、昼もとうに過ぎた午後一時近く。
玄関の戸が開閉する音がしたと思うと、ヨレヨレの背広を羽織った慶司が、芝垣に開いた門から出てきた。
竹藪に身を潜ませて彼をやり過ごした零は、素早く玄関に移動した。錠前に向き合い、右手の中指と薬指で挟んだ式札を鋭く振り下ろす――すると指先に一瞬だけ、金色の刃のようなものが現れた。
それは錠前を貫通したように見えたが、零――いや、零に扮したハルアキは知っていた。
天一の刃は、斬りたいと思ったものだけを斬る。
要するに、外からは分からないように錠前を壊したのだ。
式神自体を召喚せず、体の一部、もしくは能力だけを召喚するやり方は、鴉揚羽の真似だ。安倍晴明たる彼が、陰陽師とも名乗れぬ小娘の方策を真似るというのは、彼が常に向上心を持っているからである……とはいえ、鴉揚羽本人の前ではやりたくない。
零の姿をしたハルアキは、そっと戸に手を掛ける。そして、一寸ほど開いて錠前の具合を確認した。
「うまくやれよ、名無し」
と彼は小声で呟き、久世慶司の後を追った。
◇
一方、本物の零は、ハルアキが去った後、すぐに玄関にやって来た。
格子戸を細く開き、隙間に身を滑らせると、後ろ手に戸を閉める。
彼を迎えたのは、淀み切った空気。湿気と埃の匂いに交じって、床から履い上がるような嫌な冷気が肌を刺す。
ゾワゾワと肌を粟立たせる感覚は、雨戸が閉め切りで暗いからひんやりするのではない。得体の知れぬ怪異が、彼の侵入を察知した――そのように感じた。
ハルアキには言わなかったが、零は疑問に思っていた。
――この屋敷に巣食う怪異は、零やハルアキを拒絶していない。一度は桜子と、もう一度は警官に扮してハルアキと訪れた時も、何も起こらなかった。
そして今も、薄暗い廊下に降りる冷気は、零に敵意を向けてはいなかった。
慶司が頑なに隠そうとしているモノが、己を見つけてほしいと招いているのか。はたまた、そのモノの背後にある「悪魔」が、手ぐすねを引いて待っているのか。
闇に沈む廊下の奥を見通しても、零にはその判断が付かなかった。
ただ、ひとつの判断材料として、ハルアキが内包する「賢者の石」がある。
賢者の石を持つ者――ホムンクルス同士は互いにその存在を感じ合うらしい。
そんな彼が、零の作戦を否定しなかったのだから、ここにホムンクルスの存在はないと判断していいだろう。
そうとすれば、この静寂は、お玉の「意識」が零に彼女の存在を知らせようとしているもの……とはいえ、その思惑は計り知れない。十分に警戒すべきだ。
零は下駄を脱ぎ、廊下に踏み出す。
慶司が戻ってくるまでに、決着を付けねばならないのだ。モタモタしている暇はない。
零に扮したハルアキの役目は、慶司の足止め。昼食に出た彼が帰宅するのを出来るだけ遅らせ、時間稼ぎをするのだ。話し掛ける必要はない。警戒すべき零の姿が視界にあれば、家に寄せ付けたくないがために遠回りをするだろう……という作戦である。
だが、それにも限度がある。
手っ取り早く終わらせるため、零は相棒を呼び出した。
――犬神・小丸。
煙草入れの根付を床に転がすと、白銀の焔が立ち、一気に膨張する。そして犬の形を顕した――いや、狼だ。首を低くし、前脚を踏ん張ったその額には、焔の紋章。
零は前屈みにその首筋を撫でてやると、小丸は目を細めて受け入れた。
「さて、妖のところへ案内してください、小丸」
彼の役割は、憑依された者から妖を追い立てる、言わば猟犬のようなものだ。猟犬にはまた、その鋭い嗅覚で獲物を探し出す役目もある。
小丸は鼻をフンフンと鳴らしながら、廊下を奥へと真っ直ぐに進んでいく。
千年も姿を変えずに、主に従うこの忠犬は、零の相棒であり、唯一の家族でもある。
「やはり、奥に何かがいますか?」
零が問うと、小丸は小さく「クン」と返事をした。そして、廊下の突き当り――奥座敷への襖をすり抜けた。犬神は式神の一種であるから、実体がないのだ。
置いてけぼりを喰らった零は、苦笑しつつ襖を開く。
――そして、笑みを消した。
雨戸の閉め切られた、薄暗い部屋。
その部屋は寝室として使われており、畳に万年床が敷いてある。
その奥に、箪笥。
畳に踏み出した途端、痛みを伴う冷気が零の足を竦ませた。洞窟の底に貯まった冷水に素足を突っ込んだような感覚だ。冷気は足から背を抜け、脳天を貫く。
以前、この部屋に踏み入れた時、この冷気はなかった。それが今、箪笥の奥からあふれ出てきている。
お玉は彼を拒絶していないと思っていたが、それは思い違いだったようだ。
この気配はむしろ、内に引きずり込んで取り殺そうとしているもの……。
これまで拒絶しなかったのは、取り殺す隙を狙っていたに過ぎないのだろう。零は今ひとり――格好の餌食とばかりに、牙を剥きだしたのかもしれない。
零は傍らの壁のスイッチを押した。何度か点滅した後、室内が裸電球に照らされる。
小丸は部屋の中央で足を止め、毛を逆立てて唸っていた――箪笥に向かって。
彼の鋭い嗅覚は、箪笥の奥にあるモノを存在を、既に感知しているのだ。
「…………」
殺意を肌に感じつつも、進まない訳にはいかない。
それが、彼の使命なのだから。
零は冷気の中を進み、箪笥の前に立った。
桐板と飾り金具で拵てある、嫁入り道具としてはごく一般的な形の洋箪笥。上部を観音開きが占め、下に二段の引き出しが付いている。その様子は、先日見た時と何ひとつ変わっていない。
何度か呼吸し心を落ち着ける。そして、観音開きの取手に手を伸ばし、そこで動きを止めた。
小丸の様子を窺うに、もしかしたら、以前はなかったモノがこの中に現れているかもしれない。
そう考え、零は帯に挟んだ短刀を抜いた。だが「陰の太刀」と呼ぶその刀身は、鈍い銀色をしているだけだった。
対峙した妖の正体を見極めないと本来の姿を見せない……彼自身がこの短刀に掛けた制約だ。
やはり、妖と対峙し、正体を見極めなければ、太刀は本来の姿を見せないようだ。
短刀を鞘に納め、観音開きに手を掛ける。そこで何度か呼吸をし、零は一息に扉を引いた。
だが、寒々しい電灯の明かりは、箪笥の中に何もないことを示しただけだった。
拍子抜けした心地で零は呆然とがらんどうを眺めた。過度の緊張が解けて、零は小丸をグチリと見下ろす。
「何もないではありませんか」
しかし小丸は、剥いた牙を納めない。既に怪異の術中とばかりに、唸り声を上げている。
零は箪笥に目を戻した。
先日覗いた時と同じ、何ひとつない空間。
――しかし、確かに、冷気はここから発生している。
零とハルアキの推理が正しければ、ここに隠し部屋へ繋がる入口があるはずだ。
「小丸、何か分かりませんか?」
相棒に問いかける。すると小丸は、箪笥の引き出し部分に鼻先を擦り付けた。
「こんな狭いところから入れるとは思えませんけどね……」
そう言いつつ、かがみ込んで引き出しを引く。簡単に開いたそれは、やはり空だった。
――しかし。
引き出しの隙間から、濃い冷気が流れ出てくる。
「…………」
半信半疑ながらも、零は二段の引き出しを引き抜き、顔を近付けた。
そこにあったのは、丸穴。
石組みで囲われた、井戸と思わしきものだ。
冷気の源は、これに違いない。
しかし、引き出しから中に入るのは不可能だ。
零は手を入れ、観音開き部分の底板を押してみる。するとそれは簡単に持ち上がった。
これで判明した。
慶司が隠したかったものは、この井戸。井戸を隠すために、台所の土間に蓋をし、箪笥で井戸を覆ったのだ。
――この奥に、お玉はいる。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや
静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。
朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。
「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。
この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか?
甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。