久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【拾弐】白昼夢

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 ――その頃、ハルアキは……。

 参道の立ち食い蕎麦屋。彼は久世慶司と並んで天麩羅蕎麦を啜っていた。

 零からは「足止めしてくれればいい」と言われていたのだが、この事件では桜子に手柄を奪われっぱなしのため、久世慶司本人から話を聞き出すことにしたのだ。
 ……とはいえ、引きこもりの彼に、自白を引き出すほどの話術はない。それどころか、零の姿を認識するや否や、慶司は家に逆戻りしようとしたものだから、彼には眠ってもらうことにした。

 眠ると言っても、意識を落とす訳ではない。式神・六合りくごうの能力で、催眠状態にしたのである。
 夢とうつつの狭間で、本音を聞き出そうというのだ。

 ……初めからこれをすれば良いようなものだが、そうしないのには彼なりの理由があった。
 探偵――そして「呪祓師」はあくまでナナシであり、ハルアキは傍観者でなければならない。
 とはいえ、不肖の弟子の未熟さに、手を出すこともあるのだが。

 出汁の染みた海老天を頬張りながら、零の姿をしたハルアキは、横で蕎麦を啜る慶司に目を向けた。
「あの箪笥の奥には、何があるんですか?」
 一応は、見た目の零に合わせた口調を繕う。ハルアキの姿に戻ってもいいようなものだが、この姿も悪くないという戯れだ。

 かたや慶司は、箸を止めて無表情に答えた。
「人形」
「人形?」
 ハルアキの脳裏に、昨日の零との会話が浮かぶ。
 それによると、その人形は花嫁の姿をしている。

 お玉が辰巳屋に残していった、花嫁人形のような……。

 ハルアキは慎重に言葉を選ぶ。核心を突く言葉を使えば、夢現ゆめうつつから醒めてしまう可能性があるからだ。
「その人形は、あなたにとって大切なものですか?」
 慶司はコクリと頷く。
「生まれてそ初めて、父に反抗して手に入れたんだ」
「お父上は厳しい方だったようですね」
「厳しい? そんな生易しいモンじゃない……」
 堰を切ったように、慶司は早口に語った。


 ――幼い頃、彼は人形遊びが好きだった。母が飾っていた人形をこっそり持ち出し、ひとりでままごとをするのだ。
 きょうだいも、親しい幼馴染みもない。家柄にこだわる両親が、彼の交友関係を狭めた結果である。
 ところが、彼の父はその遊びを「女々しい」と取り上げた。伯爵家の跡継ぎに相応しくないと。
 家中の人形は売り払われ、彼は孤独に落とされた。
 寂しさのあまり、自分で人形を作ることもあった。紙切れを継ぎ合せて形作ったあねさん人形。父に見つからないよう、洋服箪笥の隅に隠す。
 しかし、それも時間の問題だった。
 掃除の家政婦に見つかれば、父により彼の目の前で焼き払われた。
「このように軟弱でどうするのだ」
 代わりに与えられたのは、父の拳。
 それ以来、彼は自分の思いを口にすることができなくなった。

「……父の言う通りにするしかなかった。父の思う通りに動かなければ、また殴られる」

 父の顔色を窺う日々。彼の心から感情が消えていく。
 彼の手は人形から竹刀に持ち替えられ、箪笥の中身は三つ揃いと山高帽になった。身だしなみの世話は「女の仕事」と許されず、論語をそらんんじるまで読まされる日々。
 彼は自分が人形になったように感じた。

 深川へ連れ出されたのも、「男らしくあれ」という父の教育の一環だった。
 初めて目にした花街の宵。
 熱に浮かされた心地の彼は、若い芸者に心を奪われた。

「まるで、幼い頃に憧れた人形のように、お玉は美しかった」
 慶司は遠い目をした。

 二人きりにされた座敷。
 彼は自分の気持ちをお玉に伝えた。
「君のように美しい人を初めて見た」
「まあ、お上手なこと」
 客慣れしているお玉は愛想笑いで返したが、彼は真剣だ。
「顔に、触らせてくれないか?」
 震える手でそっと頬を撫でる。滑らかな白い肌は、ままごとで遊んだ母の人形より温かかった。
 髪を撫で、唇の感触を確かめる。まじまじとお玉の美貌を見ていると、彼女はくすぐったそうに目を逸らした。
「変な人だね」
 
 それから慶司は、幾度となくお玉の元に通った。その度に、彼女の頬を、髪を愛撫する。
 仕事だからと拒否はしないが、お玉は彼の様子が気味悪かったらしい。
「何がしたいんだい?」
 ある時、お玉は彼の手をはね除けた。驚いた彼は、「済まない」と謝った上で、たどたどしいながらも胸の内を話した。

 すると、お玉は言った。
「可哀想な人」

 彼女自身、男勝りな性格から「女らしく」とたしなめられてきたらしい。
 その苦しさを知っているから、お玉は彼に同情した。
「いいよ、あたしがあんたの人形になってあげる」

 初めは、上客を逃さないための方便だっただろう。
 しかし、彼の愛撫の優しさに、お玉の心は惹かれていった。

 そして……。


「――身篭ったとお玉から聞いた時、初めて『男らしくしなければ』と思った」
 慶司の昔語りを、ハルアキは黙って聞いていた。
 伸びきった蕎麦を箸に絡め、慶司は続ける。
「父に、お玉と所帯を持つと話した。けれど、鼻で笑われただけだった。そして、次に深川へ行った時には、お玉はいなくなっていたんだ」
 震える手の中で箸が折れる。周囲の視線を気にも止めず、慶司は言った。
「すぐに父の仕業だと分かった。けれど、言い返せなかった。臆病だったんだ。受け入れるしかないと思ったんだ……人形を燃やされた、あの時みたいに」

 ハルアキは彼の自分語りにウンザリしていた。
 責任も取れぬ娘を身篭らせた言い訳を、自分本位な感情に任せて語っているに過ぎない。
 すっかり冷めた丼を店主に返し、ハルアキは先を促した。
「じゃが、そなた……オホン、あなたは、彼女と再会した――人形師とは、どのようなご縁で?」
「手紙が届いたんだ。蛎殻町の水天宮に来いと。水天宮には一度、お玉と安産祈願に訪れた事があるし、お玉は事あるごとにお参りしていたらしい。その時に知り合ったという人形師の話は聞いたことがあった。だから、手紙を受け取った時、すぐさまお玉のことだと分かった」
「それで?」
 慶司は伸び切った蕎麦を飲み干し、丼を置く。
「人形師はこう言った。お玉との約束を果たしたから、引き取ってくれと」

 ゾクッと嫌なものが背筋を奔った。
 さすがにその言葉は、蕎麦屋の店先で聞くものではないと、ハルアキは勘定を置き、慶司を伴い店を出た。


 ◇


 ――そして零は、その「約束」と対面していた。

 井戸の底。
 湿度の高く冷え切った空間で、は静かに佇んでいた。
 金蘭緞子に文金島田の花嫁人形――いや。

 零の目は、人の背丈ほどのそのが、尋常ならざるものであることを認識した。
 生え際に浮いた産毛に、白い肌の奥を這う静脈……。
 全てが生々しく、かつ、今にも動き出しそうなほど瑞々しい。

 零は呟いた。
「これは……」
 お玉の生き人形――いや、屍蝋しろうである。
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