久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第伍話──箪笥

【拾参】奈落ノ底

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「その人形師の作る人形は、屍蝋なんだ」
 参道を歩きながら、慶司はボソボソと語った。
「水天宮には子授けや安産祈願に訪れる人が多い……けれど、皆が無事に産まれる訳じゃない。水子供養に来る人も多いんだ」
 生と死が隣り合わせなのは世の摂理である。神に授かった子をまた神に返すために訪れる者がいるのも理に適っている。
「そんな人に、あの人形師は声を掛けるらしい」

 ――生を受けられなくとも、ずっとお子をあなたの手元に置く方法がございます――

「どんな方法かは知らない。知りたくもない……」
 慶司は空恐ろしいとばかりに肩を震わせた。
「深川を追い出されたお玉は、行き場なく水天宮に来たらしい。そこで、あの人形師は声を掛けた」
「…………」
「お玉は人形師のところへ身を寄せたそうだ。けれど……お玉は自ら命を断った」
 慶司の言葉は淡々としていた。お玉の命を奪った原因が自らにあるとは考えていないのだろう。
「お玉は生前、人形師に頼んでいたそうだ」

 ――あたしはあの人の人形になると約束したんだ――

 ハルアキはゴクリと唾を呑む。
「つまり……」
「引き取らない訳にいかないだろ、幼い頃から憧れた、私の人形なんだから」

 全身を虫が這うような不快感に襲われ、ハルアキは足を止めた。
 この結末を、予想はしていたはずだった。しかし、お玉、人形師、そして慶司の、三者三様の思惑を踏まえると、狂気に満ちた澱のようなものが彼の心を蝕んでくる。

 お玉が自らになることを望んだのは、決して慶司への愛情ではない。自らを捨てた男に対する当てつけに相違ない。
 その怨みを形にした人形師の心境は、果たして女という存在を哀れむ正義感であろうか? ……いや、触れてはならない部分に、恐ろしく深い闇を抱えているのであろう。
 そして、慶司。
 己の不幸を正当化するあまり、常軌を逸している。

 ハルアキの口から出たのは、乾涸びた声だった。
「今度こそ人形を奪われぬよう、両親を殺したのか?」

 この時、ハルアキは事件の異常性に囚われ、根本的な間違いを犯した。
 催眠状態にある者に核心に迫る言葉を聞かれせれば、夢現が解けてしまう。

 「殺した」という言葉を聞いた途端、慶司はビクンと大きく体を震わせた。
「殺した……」
 彼は小さくそう繰り返した後、両手で頭を抱え叫んだ。
「うわあああああ!!」

 禁句を口にしてしまった……そう悟った時には、通りを行く人々の注目を集めていた。
「これはまずいぞ……」
 咄嗟にハルアキは、通り脇にある魚屋の天水桶の陰に身を隠す。そしてすぐさま変化へんげを解き、子供の顔をそっと覗かせた。
 周囲の商店や民家からも次々と人が出てきた。叫び続ける慶司を囲むように、人だかりができつつある。「警官を呼べ」という声も聞こえる。
 ハルアキは困った。
如何いかがすれば良い?」

 こんな時、頭に浮かぶのは彼の保護者の顔である。
 誤認逮捕歴三回の彼ならば、迷わず「逃げましょう」と言うに違いない。
 だが……とハルアキは目を細めた。警官が来るのは時間の問題。そうなれば、慶司は自宅へ連れ戻されるだろう。
 そこには今、零がいる。
 不法侵入の現行犯で、今度こそ、四度目の逮捕をされるだろう。
「それは困るぞ……」
 こうなったら、警官が来るよりも先に、妖退治を終わらせてしまうしかない。

 ハルアキは魚屋の脇の用水路を飛び越え、一目散に久世慶司の屋敷へと走った。


 ◇


 井戸の底は、奈落のように静かだった。

 江戸の井戸は湧水ではない。その多くが埋立地であるから、海水が混じっているのだ。
 そのため、江戸幕府は水道の整備をした。とはいえ、大正の今のように、蛇口を捻れば水の出る様式ではない。井戸と井戸とを樋で繋ぎ、井戸の底の桶に水の溜まる仕組みとしたのだ。

 ここの井戸は、桶の手入れがしやすいようにか、底が広くなっている。だが今は使われていないとみえ、チロチロと地下水が染み出て、石の敷かれた床を濡らす程度である。
 四畳半ほどの空間を囲う石壁には階段があり、そこが箪笥と繋がっていた。

 それでも、陽の当たらぬこの場所は凍えるほどに冷え切っている。通気口だろうか。天井に空いた穴からほんのりと光の射す場所にあるは、椅子に腰を預け、綿帽子の奥から真っ白な顔を零に向けていた。
 彼女の左右に置かれた葛籠と化粧台は、湿気のせいで黴びて黒ずんでいる。それと対照的な絢爛豪華な衣装が、この存在の異常性を示していた。

 朽ちない死体――この世の摂理に逆らうモノは、意志を持つかのような視線で、じっと侵入者を見据える。

 その姿は、零に産女うぶめを連想させた。自らは死しても、我が子を生かそうとする母としての執念が、彼女をこのような姿で保っているのではあるまいか。
 我が子を守るために、自らの存在を隠し、それを暴こうとした慶司の両親を死に至らしめたのではあるまいか。
 膨らんだ腹を打ち掛けで隠した姿は、十月十日を守り抜いた強固な愛そのもののように生々しい。

 視線を外した途端に、彼女は立ち上がり、こちらに向かってくる――そんな幻想に囚われて、零は身動きできない。
 それは小丸も同じようで、唸り声も立てず、五感を研ぎ澄ませている。いかなる場面に於いても、彼の主を守ろうとしているのだ。

 産女は果たして、零に何を託そうというのか。

 そうして、どれほどの時が過ぎただろうか。零はある事に気付く。
 ――彼女の目は、零の方を向いているだけで、決して見てはいない。
 当たり前のことだが、命のないモノが意志を持つ場面を幾度も見てきた零にとって、これは非常に重要なことだった。

 ……もしかしたら、我々は大きな思い違いをしていたのかもしれない。

 その予感は瞬く間に零の脳裏を支配し、背筋を冷や汗が伝った。
 ――果たして、この屋敷に巣喰い、久世伯爵一家を惨殺するに至らしめた妖は、このお玉であり、産女なのだろうか――?

 彼女から目を外さぬよう、零は懐の短刀に手を伸ばす。漆黒の鞘を手に取り、顔の前でそっと刃を引き抜く。

 だが、鈍い銀色の短刀が姿を現しただけだった。

 ――これでは、勝てない。

 そんな彼を嘲笑うかのように、お玉の体に変化が起こった。
 大きな腹を締め付けぬよう、胸の近くに巻かれた帯が揺れた――いや。
 金蘭緞子の打ち掛けの奥で、腹が蠢いている。
 その揺れで、無表情なお玉の顔がガクリと横を向いた。綿帽子が湿った床に落ちる。
 その間にも、腹はどんどん膨らんでいく。

 ……そして、弾けた。

 刹那、響き渡る産声。
 お玉が、出産したのだ。

 ――オギャア、オギャア――

 甲高い声が石壁に反響し、奈落の底を満たした。それは、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。

 一方、お玉の亡骸は、無惨に裂けた腹を上にして、無機物のように床に転がった。
 これは、産女ではない。無数の赤子の魂を腹に埋め込まれた、ただの人形。

 零は叫んだ。
「小丸! 一旦退避しましょう」

 彼は悟った――これこそが、人形師の罠であると。
 この赤子たちは、人形師が集めた、この世に生を得られなかった水子の無念。そのように概念的で、正体のないものが相手では、陰の太刀も役に立たない。その上、この数……零の手に負えるものではない。
 それを承知した上で、人形師は彼をここに導いたのだ。

 零もハルアキも、人形師について調べてはいなかった。
 「悪魔」――ハルアキがそう告げるも、その正体を探るのを後回しにした。

 ――まさか、この事件の真相がそこにあったとは――!

 零はお玉に背を向け階段へ踏み出そうとした。
 ところがその足を、小さな手が掴んだ。
 目を向ければ、複数の赤子が彼の足にしがみついているではないか。
 その顔が、一斉に彼を見上げた。

 それらの面容に、目鼻はない。
 小さな口だけが丸く穴を穿ち、耳障りな声を発して薄い唇を震わせている。

 すぐさま小丸が駆け付ける。鋭い牙で赤子を引き離すものの、次々と湧き出す赤子の数に追いつかない。
 見れば、既に床じゅうに、赤子がみちみちと満ちている。
 零を守ろうと必死の小丸の背にも赤子の手が伸びる。そして彼の姿は、瞬く間に赤子の波に沈んだ。
 零は相棒に手を伸ばす。
「小丸、戻れ!」
 金色の光と化した相棒は、彼の手の内に逃げ込むと、髑髏の根付と収まった。

 だが、このままでは零も小丸と同じ運命を辿るだろう。
 彼に残された手段は、ただひとつ……。

 零は首に掛けた紐を引き、懐からを取り出す。
 「いつわりの鏡」と彼が呼ぶ、掌ほどの白銅鏡。
 それを頭上に掲げ、奈落に蠢く全ての赤子をその鏡面に納める。

 この鏡は、『この世とあの世の狭間』――太乙の領域へと妖を導くものだ。
 ……ただし、そこから出られる魂は、ただひとつ。
 零がこれらの赤子を全て抹消できなければ、彼は永遠に異空間に囚われることとなる。

 ――まぁ、それも悪くない。

 妖の存在を捉え、鏡面が光を発する。「門」が開いてしまえば、こちらのもの……!

 ところが。
「オギャアアア!!」
 零の頭上から産声が降ってきた。
 何十という小さな体がひとかたまりに脳天に落ちれば、零といえど無事では済まない。
 首元で嫌な音がした。それと同時に、鏡を持つ手から力が失われる。
 零の手から離れた鏡面は光を失い、赤子の渦の底へと沈んでいった。
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