久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第肆話──壺

【拾肆】擬人

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 だが、大吉も怯んではいなかった。
 一瞬の動揺を振り払うように高笑いを見せてからこう宣う。
「貴様の式神ごときで、このワタシが倒せるとでも?」
「やってみねば分かるまい――朱雀すざく!」

 晴明の手から式札が飛ぶ。そして宙で黄金の焔と化すと左右に広がり、美しい鳥の姿に変化する。
 朱雀。その翼が放つ炎が、大吉の体を包んだ。

 間一髪、横っ飛びに逃れた零のすぐ前で、けたたましい悲鳴が沸き起こる。
「イヤあああああ!」
 炎の中でドレスが灰と化し、白い肌は黒く焦げる。
 だが、炎の勢いは長くは続かなかった。間もなく黒煙と共に霧散し、後には真っ黒な人影のみが立ち尽くす。

 ――その一瞬後。
 人影から湧き出るようにドレスが現れた。焦げた肌も水で洗い流すように白く戻り、数秒後には、元の大吉の姿に戻っているではないか。
 零は息を呑んだ――何だこれは⁉

「フフフ……ハハハ……!」
 天の上から蔑むような嘲笑がほとばしる。
「あんなんで、このワタシに傷を付けられると思ったの?」
 じっと睨む晴明に、大吉は一歩進み寄る。

「ホムンクルスはね、『死なない体』なの」

 晴明は答えない。その表情は、知っていながら試してみて、「やはり」と思っているように零には見えた。
「だから、おまえなんかにワタシが倒せる訳がないんだよ!」
 大吉は爪を見せるが、晴明の方が一瞬早かった。
「玄武!」
 彼の手から発した光の球から二本の鞭が伸びる――甲羅こうらから伸びる長い頭と尾だ。それが華奢な体に巻き付き、細い首をし折るが、
「ぎゃあああ!」
 と一声叫んだ後には、まるで通り抜けるようにするりと抜け出し、元通りの姿に戻っていた。
「何度も言わせないで。私は何をされても『死なない』の」

 大吉は尚も前に出る。
 もう晴明とは、手の届きそうな距離である。

「小賢しい結界を外しなさいよ。でないと、坊やもろとも消し去る事になるわよ」
 凶悪な光を帯びた赤い目が晴明を見下ろす。晴明はその目を見返しながら、机に立てた膝に腕を置いたまま動かない。

 ……すると、大吉の動きが止まった。
 そして、機械人形のような動きで首を後ろに動かす。

 彼女の視線の先にあったのは、零だった。
 彼の手には短刀が握られ、その刃は夜会服の中にすっぽりとめり込んでいる――あの紙も切れない刃が、である。

 零は言った。
「痛くないんですか?」
「…………」
「痛くないんですよね――体と魂が乖離かいりしているから」
 零が短刀を引き抜く。それは全く手応えなく、するりと背から現れた。
 冴えない銀色の刃は、一応血らしきもので濡れてはいるが、それを指に取ると、赤いインクを水で溶いたようなサラサラとした感触である。
「どうもおかしいと思ったんですよ。私の淹れる紅茶を飲み干す人は、見た事がありませんから」
 深い刀傷から、少しばかりのが滴る。だがすぐにその傷口は塞がり、夜会服の破れも同時に消え去った。
 それを見届けてから、零は大吉に顔を戻す。
「感覚がないのでしょう。この体――ホムンクルスとは魂の器、つまりは『形代』。あなた自身とは別物ですから、斬られようが焼かれようが、あなた自身は痛くも痒くもない。これと同じで」
 と、零が指先に示したのは、真っ二つに斬られたハートのジャックのカードである。
「それがバレないように、敢えて悲鳴を上げていたんですか――本当の正体が見破られないように」
 赤い目がスッと細まる。
「だとしたら、どうだと言うの? ワタシを倒す方法でも見付かったのかしら」
「手掛かりであれば」
 零は短刀を手拭いで拭く。そして赤く染まった手拭いを大吉に見せた。

「ホムンクルスとは、この赤い水の集合体なんじゃありませんか?」

「…………」
「そこに魂を落として、体を形作っている。水ですから、どんな形にもなれる。魂の自認する容姿を作る事は造作ないでしょう。先程、私の手を取ったように、感触を表現するのもお手の物だ。……ただ厄介なのが、式札と違い、魂そのものが露出していないという点です。水ですから、紙でできた式札と違い、切ろうが焼こうが、傷付けられるものではありません。とはいえ、水なんですよね……」
 と、零は手拭いを袖に戻す。

「どれだけ修復が早かろうが、器に穴があれば、少しずつは漏れていく」

「――白虎!」
 晴明が振り下ろした指先から一陣の疾風が奔る。それは大吉の腹に突入し、そのまま背中に通り抜けた。
 赤い飛沫が床に散る。大吉はよろめくが、すぐさま反撃に出る。
「だからどうだと言うの? その程度でワタシを止められるとでも?」
 鋭い爪が晴明を狙う。
「青竜!」
 キーンと硬質な音が響く。青き巨竜の鱗が爪を弾き返したのだ。

 だが……と、零は気付いていた。
 晴明が式神を召喚する時間が余りにも短い。
 ほんの一瞬、視認すら叶わぬほどの短時間に、効果を集中させている。昨日言っていたように、式神を操る力が弱まっている所以だろう。
 このままでは、大吉を倒す前に晴明が力尽きてしまう。さて、どうしたものか……。

 しかし、悠長に考えている猶予はなかった。
「おのれ……!」
 折られた爪はすぐさま生え替わる。それが再び晴明を襲うのは、彼が式札を構えるより早かった。
「――――!」
 咄嗟に飛び出し晴明を突き飛ばす。間一髪、零の背後を鋼の爪が通り過ぎた。
 床に転がった晴明は、既に力尽きかけていたのだろう、子供の姿に戻っている。その小さな体を背後に隠し、零は大吉と睨み合う。

「先程、あなたは私に、『材料』だから傷付けたくないと言われましたね。ならば、ここで暴れるのは得策ではないのでは?」
「何言ってんのよ、先に手を出してきたのはそっちじゃない。ワタシはこの部屋から出たいだけ」
「……だそうですよ。どうするつもりですか?」
 零が軽く振り返ると、ハルアキ少年は後生大事に一枚の式札を持っている。
「最後の一枚じゃ」
「……え? 今、何と?」
「『生きた形代』を使う」
「クロですか? しかし、彼はどこかに行ってしまいました」
「先程操った故、しばらくは使い物になるまい」
 だが、ハルアキにまるで焦る様子はない。零は眉をひそめる。
「では、何を形代に?」

 すると、ハルアキがニッと笑う。
「おぬしじゃ」
 零は目を丸くした。
「……それは、どういう……」
 だが反論より先に、ハルアキの手が動く。
 式札を挟み、ピンと伸ばした指を零に向けて振り下ろした。

「――天一!」
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