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第肆話──壺
【拾漆】贈リ物
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――そして、大正十年の春である。
この二年間、零もハルアキも、ただ時を過ごしていた訳ではない。
壺に封じた小人について、分からない事が多過ぎたために、手を尽くして調べていたのだ。
まず零は、「磨羯宮の大吉」と名乗ったあの存在が、十二月将と呼べるようなものではない事を見抜いた――陰の太刀が抜けなかったためである。
そもそも、占星術の基準となる十二月将というのは、ハルアキの操る十二天将と違い、人の操れる存在ではない。
……唯一。
十二月将のうちのひとつを、零は見た事があった――太乙である。
「あの世とこの世の番人」、即ち生と死を司る、この世の理そのものだ。
そんな存在を、人間ごときの意思で動かせるはずがない。
大吉は、彼女を操る何者かに騙され、己の正体と異なる自我を植え付けられていたのだ。
ならば、本当の正体は何か? といえば、全く手掛かりがない。相当な金を注ぎ込み、極楽堂の店主にも依頼したのだが、皆目見当が付かないのだった。
一方ハルアキは、「悪魔を滅消するまではここに居る事とする」と、どういう訳か事務所横の納戸に居着いた。
そこで彼は、「ホムンクルス」とその核となる「魂」について調べていた。
その結果、エリクサーをホムンクルスとして構成するには、核として「賢者の石」が必要であるというところまでは分かった。恐らく、その賢者の石に魂が封じられているだろう事も。
しかし、その壊し方が分からない。
どんな文献を調べても、賢者の石の精製方法はあっても、破壊の方法は書かれていないのだ。
……そもそも、賢者の石というのが伝説上の存在で、精製に成功したという例はこれまでにない。
伝説上では、エリクサーと同じくルビーのような赤い石で、この世のどの鉱物よりも硬いらしい。そんなものを、どうやって壊すのか……。
何度か封印をし直し、悪魔を封じたその壺は、居室の天袋の奥に隠してきた。
だが、居室にはキヨやカヨが掃除に入る。もし壺が見付かり何かあっては一大事と、先日発見した、事務所横の納戸の金庫に壺を移したばかりだった。
……まさか、桜子がそれを見付け、封印を解いてしまうとは……!
いや、恐らく、封印されているうちに「悪魔」が力を取り戻し、桜子を呼んだのだ。
元々、憑依されやすい体質の彼女である。妖封じの御守りは渡してあったが、普段コートのポケットに入れているようだった……春になり、外套の必要がなくなってからは、御守りは持っていなかったのだろう。憑依体質である自覚がないのだ。仕方あるまい。
だが、そこに付け込まれてしまった。壺の中から虎視眈々と、悪魔は隙を狙っていたのだ。
普段は納戸に引き篭っているハルアキが出掛け、尚且つ、事務机の引き出しにある金庫の鍵が自由になる瞬間を……!
桜の花弁がはらりと揺れる桜子の髪を彩る。
鮮やかな色のワンピースに覆われた脚を組み替え、悪魔は蠱惑的に目を細める。
「今度こそ、一緒に来てくれるわよね?」
零は動けない。
そして、正体も分からない、倒す術も知れないこの相手に、桜子という人質を取られては、白旗を揚げる以外に方法はないと思い至った。
目を閉じ、静かに息を吐く。
「分かりました」
「そう言ってくれると思ったわ」
途端に悪魔が声色を変える。それは紛れもなく桜子のものだ。
明るい笑顔を浮かべ、机からピョンと降りる。
そして零の腕を取り、甘えた様子で頬を寄せた。
「早く行きましょ。確か、浅草に行く約束よね?」
「え、えぇ……」
零は彼に絡めた桜子の左手首を確認する。案の定、傷は跡形もなく回復していた……悪魔の力は、二年前と同等なほどにまで取り戻されているに違いない。
桜子を助けるには、悪魔の策略に乗ったと見せかけて、油断を誘うしかないだろう。
ならば……と、零は笑顔を取り繕う。
「そうです、今日は桜子さんの誕生日と聞きましてね、ちょっとしたものですが、贈り物があるのです」
零はさり気なく彼女の腕を解き、応接の奥のコート掛けに向かう。そして、掛けられた桜子の帽子を手に取ると、フェルトのつばにブローチを取り付ける。
「桜子さんですから、やはり桜がお似合いかと」
零が差し出した七宝焼の小さな花弁を見て、桜子は満面の笑みを浮かべた。
「うわあ、嬉しい。覚えていてくれたのね」
……桜子の誕生日など今朝になるまで知らなかったし、そもそも、それがハルアキの出任せである可能性が高い。
それ以上に、桜子がこんな反応を見せるとは思えない。
これは偽物なのだ、まやかしであるのだ……。
そんな零の前で桜子は、帽子の飾りをしげしげと眺めてから頭に載せ、軽くステップを踏むようにくるりと回ると、ダンスを誘うように零の手を取る。
「今日は最高の日になりそうね」
……二人が扉から消えた後。
コート掛けで何かがカタカタと鳴っていた。
――髑髏の根付け。
帽子を取る際、零がこっそりと置いていったものだ。
犬神・小丸を封じたそれは、尖った顎骨を動かして、誰もいない事務所の中に健気にもその存在を知らせていた。
この二年間、零もハルアキも、ただ時を過ごしていた訳ではない。
壺に封じた小人について、分からない事が多過ぎたために、手を尽くして調べていたのだ。
まず零は、「磨羯宮の大吉」と名乗ったあの存在が、十二月将と呼べるようなものではない事を見抜いた――陰の太刀が抜けなかったためである。
そもそも、占星術の基準となる十二月将というのは、ハルアキの操る十二天将と違い、人の操れる存在ではない。
……唯一。
十二月将のうちのひとつを、零は見た事があった――太乙である。
「あの世とこの世の番人」、即ち生と死を司る、この世の理そのものだ。
そんな存在を、人間ごときの意思で動かせるはずがない。
大吉は、彼女を操る何者かに騙され、己の正体と異なる自我を植え付けられていたのだ。
ならば、本当の正体は何か? といえば、全く手掛かりがない。相当な金を注ぎ込み、極楽堂の店主にも依頼したのだが、皆目見当が付かないのだった。
一方ハルアキは、「悪魔を滅消するまではここに居る事とする」と、どういう訳か事務所横の納戸に居着いた。
そこで彼は、「ホムンクルス」とその核となる「魂」について調べていた。
その結果、エリクサーをホムンクルスとして構成するには、核として「賢者の石」が必要であるというところまでは分かった。恐らく、その賢者の石に魂が封じられているだろう事も。
しかし、その壊し方が分からない。
どんな文献を調べても、賢者の石の精製方法はあっても、破壊の方法は書かれていないのだ。
……そもそも、賢者の石というのが伝説上の存在で、精製に成功したという例はこれまでにない。
伝説上では、エリクサーと同じくルビーのような赤い石で、この世のどの鉱物よりも硬いらしい。そんなものを、どうやって壊すのか……。
何度か封印をし直し、悪魔を封じたその壺は、居室の天袋の奥に隠してきた。
だが、居室にはキヨやカヨが掃除に入る。もし壺が見付かり何かあっては一大事と、先日発見した、事務所横の納戸の金庫に壺を移したばかりだった。
……まさか、桜子がそれを見付け、封印を解いてしまうとは……!
いや、恐らく、封印されているうちに「悪魔」が力を取り戻し、桜子を呼んだのだ。
元々、憑依されやすい体質の彼女である。妖封じの御守りは渡してあったが、普段コートのポケットに入れているようだった……春になり、外套の必要がなくなってからは、御守りは持っていなかったのだろう。憑依体質である自覚がないのだ。仕方あるまい。
だが、そこに付け込まれてしまった。壺の中から虎視眈々と、悪魔は隙を狙っていたのだ。
普段は納戸に引き篭っているハルアキが出掛け、尚且つ、事務机の引き出しにある金庫の鍵が自由になる瞬間を……!
桜の花弁がはらりと揺れる桜子の髪を彩る。
鮮やかな色のワンピースに覆われた脚を組み替え、悪魔は蠱惑的に目を細める。
「今度こそ、一緒に来てくれるわよね?」
零は動けない。
そして、正体も分からない、倒す術も知れないこの相手に、桜子という人質を取られては、白旗を揚げる以外に方法はないと思い至った。
目を閉じ、静かに息を吐く。
「分かりました」
「そう言ってくれると思ったわ」
途端に悪魔が声色を変える。それは紛れもなく桜子のものだ。
明るい笑顔を浮かべ、机からピョンと降りる。
そして零の腕を取り、甘えた様子で頬を寄せた。
「早く行きましょ。確か、浅草に行く約束よね?」
「え、えぇ……」
零は彼に絡めた桜子の左手首を確認する。案の定、傷は跡形もなく回復していた……悪魔の力は、二年前と同等なほどにまで取り戻されているに違いない。
桜子を助けるには、悪魔の策略に乗ったと見せかけて、油断を誘うしかないだろう。
ならば……と、零は笑顔を取り繕う。
「そうです、今日は桜子さんの誕生日と聞きましてね、ちょっとしたものですが、贈り物があるのです」
零はさり気なく彼女の腕を解き、応接の奥のコート掛けに向かう。そして、掛けられた桜子の帽子を手に取ると、フェルトのつばにブローチを取り付ける。
「桜子さんですから、やはり桜がお似合いかと」
零が差し出した七宝焼の小さな花弁を見て、桜子は満面の笑みを浮かべた。
「うわあ、嬉しい。覚えていてくれたのね」
……桜子の誕生日など今朝になるまで知らなかったし、そもそも、それがハルアキの出任せである可能性が高い。
それ以上に、桜子がこんな反応を見せるとは思えない。
これは偽物なのだ、まやかしであるのだ……。
そんな零の前で桜子は、帽子の飾りをしげしげと眺めてから頭に載せ、軽くステップを踏むようにくるりと回ると、ダンスを誘うように零の手を取る。
「今日は最高の日になりそうね」
……二人が扉から消えた後。
コート掛けで何かがカタカタと鳴っていた。
――髑髏の根付け。
帽子を取る際、零がこっそりと置いていったものだ。
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