久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
69 / 92
第肆話──壺

【廿伍】不死の妙薬

しおりを挟む
 ――怪物の腹に飛び込んだ零が行ったのはこうだ。

 口から体内に侵入した彼は、腹の中に結界を張ったのだ。
 結界の特徴として、「結界の掛かっている範囲に同種の結界を重ねて掛ける事ができない」というものがある。
 だが、その法則を潜り抜け、何重もの結界を張る方法はなくはない。先程ハルアキが四神の陣を張ったように、既存の結界のに掛ける場合がそのひとつだ。

 ――そして、零が行ったのは、結界の『裏側』に結界を張る方法。
 つまり、「回」の字の外側の「口」の部分を最初の結界として、内側の「ロ」は呪符を配置する。
 すると、「ロ」の内部は最初の結界の影響の圏外となるのだ。そのため、ハルアキの結界から外れ、彼の気配が消えたのである。

 その結界を、内部から膨張させたから堪らない。
 ホムンクルスの体という風船の表が圧に耐え切れずに、怪物は弾け散ったのだった。


 座り込んだ零の腕の中で、ハルアキがガバッと身を起こすと、彼は低く呻いて腹を押さえた。
「あんなところから落ちてくるから、骨が何本かやられましたよ」
「た、助けよと、頼んでなどおらぬからな!」
 ハルアキはそそくさと零から離れ、口を尖らせた。
「……済まなんだ」
「私は構いませんよ。目的は達せられましたし。それに、綺麗な石を手に入れましたから」

 と、零が指先に示したものは、飴玉ほどの大きさの、赤く透き通った石である。
 眩い光を纏ったつるんと滑らかな宝玉。零が掌に転がすと、それはぬめりと艶やかに光った。
 ルビーに似た輝きを持つそれの名を、ハルアキは震える声で呟く。

「――賢者の石、か」

「そのようですね。あの醜い怪物を作り出したのが、このように美しいものだとは……。ところで、これを壊す方法は見付かりましたか?」
 零に聞かれ、ハルアキは顔を上げた。賢者の石について読み解いたあの本は、屋根の上に置きっぱなしだ。さて、どうやって回収すべきかと考えつつ、彼は答える。
「見付かりはした。じゃが……」

 ――と、ハルアキの視線の先で異変が起こった。
 床を濡らすエリクサーが集まり寄ってひと塊となり、零の背後に迫ったのだ。
 ハルアキは叫んだ。

「ナナシ! 逃げよ!」

 いつもはいちいち呼び方を訂正する零だが、ハルアキの剣幕に危急を悟ったようだ。すぐさま立ち上がろうとしたのだが、度重なる負傷で回復が追い付かないのだろう。クラリとよろめいたまま動けない。
 ハルアキは察した――怪物が、賢者の石を取り返そうとしている。

 赤黒く濁ったエリクサーの塊は、徐々に不快な形を成していく……山羊頭の怪物である。
 半透明のドロドロとした肢体を揺り動かして、零に覆い被さる位置までやって来た。

 すると、彼も怪物の目的を察したのだろう。腕を振って賢者の石をハルアキに投げた。
「今すぐ壊してください!」

 確かに、これが奴の手に渡れば、ホムンクルスは再生されてしまう。これまでの苦労が水の泡だ。
 だがハルアキは動かない――動けないのだ。
 「賢者の石を壊す方法は現状存在しない」と伝えたかったのに、果たせない難題を託されてしまった。
 その上、逃げるという選択肢もなかった。
 彼がその場を離れれば、辛うじて建物を保っている結界は消え、動けない零は倉庫の屋根に押し潰される――その姿は、見たくない。

 怪物の捻れた角の下にポカリと開いた眼孔に光はなく、赤黒く溶けた腕を前に伸ばす。
「ぐうおおおお……」
 巨体が零を乗り越える。そして、爪の先がハルアキに届こうとする頃。

「……そうか、そういう事か」

 ハルアキはそう呟くと、賢者の石を口の中に放り込んだのだ。

 醜い濁流の下で、零が叫んだ。
「ハルアキ! 何て事を……!」
「構うな。もう腹の中じゃ」

 すると。
 怪物が形を失った。
「キイヤアアアアア!!」
 断末魔の悲鳴を上げてビジャンと床に崩れ、雨後の泥水のように、タタキの床に染み込んでいった。

「…………」
 零は無言のまま、長い髪から赤黒い水を滴らせながらヨロヨロとハルアキに歩み寄る。
 そしてハルアキの口に指を突っ込むものだから、彼は白目を剥いた。
「うぐ……!」
「吐き出しなさい、今すぐに!」
 ハルアキは思い切り零の指に噛み付いて抵抗する。反射的に手を引っ込めた零を突き飛ばし、ハルアキは数歩退がる。

 血の流れる指を押さえて、零は見た事のない表情をしていた。
「あなたは、ご自分が何をしたのか、分かっているのですか?」
「分かっている――あの石をにした」
「…………」
「あの怪物を見たか。奴はこの石をとした。つまりは、

 零が湿った床に膝を付く。絶望に打ちひしがれたように目を見開くその前髪を、濁った水が滴り落ちる。

「元々は賢者の石に、あの悪魔の魂が封じてあったのじゃ。じゃが、より多くの力を得るために、その魂をホムンクルスに移して利用した。だから、そなたが奪ったあの石には、何の魂も含まれておらなんだ」
「それを、あなたの体内に取り入れ魂の器とすれば、あなたは不死となる」
「理論的には、そうなるであろうな」

 足を引き摺りながら零がハルアキに寄る。そして両手を肩に置いて、震える声を吐き出した。

「あなたは、不死という存在がどんなものなのか、分かっているのですか?」

 ハルアキは答えない。
 零に対しての、この質問に対する答えなど、持ち合わせているはずもない。

 愕然と膝を付いて項垂うなだれる零を見下ろし、ハルアキは言った。
「余の意思で決めた余の生き様じゃ。何人たりとも口出しはさせぬ」

 弱々しい手を振り解く。
 そして戸口に向かうと、ハルアキは外れかけた板戸を蹴り飛ばした。
「何をしておる。余がここを出れば結界が解ける。屋根の下敷きになりたいか」
「…………」

 ヨロヨロとやって来た零の背を押し外に出すと、ハルアキも後に続く。
 ――その途端。

 轟音と土煙を上げて、倉庫が跡形もなく崩れ落ちた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。