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第肆話──壺
【廿伍】不死の妙薬
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――怪物の腹に飛び込んだ零が行ったのはこうだ。
口から体内に侵入した彼は、腹の中に結界を張ったのだ。
結界の特徴として、「結界の掛かっている範囲に同種の結界を重ねて掛ける事ができない」というものがある。
だが、その法則を潜り抜け、何重もの結界を張る方法はなくはない。先程ハルアキが四神の陣を張ったように、既存の結界の外側に掛ける場合がそのひとつだ。
――そして、零が行ったのは、結界の『裏側』に結界を張る方法。
つまり、「回」の字の外側の「口」の部分を最初の結界として、内側の「ロ」は中表に呪符を配置する。
すると、「ロ」の内部は最初の結界の影響の圏外となるのだ。そのため、ハルアキの結界から外れ、彼の気配が消えたのである。
その結界を、内部から膨張させたから堪らない。
ホムンクルスの体という風船の表が圧に耐え切れずに、怪物は弾け散ったのだった。
座り込んだ零の腕の中で、ハルアキがガバッと身を起こすと、彼は低く呻いて腹を押さえた。
「あんなところから落ちてくるから、骨が何本かやられましたよ」
「た、助けよと、頼んでなどおらぬからな!」
ハルアキはそそくさと零から離れ、口を尖らせた。
「……済まなんだ」
「私は構いませんよ。目的は達せられましたし。それに、綺麗な石を手に入れましたから」
と、零が指先に示したものは、飴玉ほどの大きさの、赤く透き通った石である。
眩い光を纏ったつるんと滑らかな宝玉。零が掌に転がすと、それはぬめりと艶やかに光った。
ルビーに似た輝きを持つそれの名を、ハルアキは震える声で呟く。
「――賢者の石、か」
「そのようですね。あの醜い怪物を作り出したのが、このように美しいものだとは……。ところで、これを壊す方法は見付かりましたか?」
零に聞かれ、ハルアキは顔を上げた。賢者の石について読み解いたあの本は、屋根の上に置きっぱなしだ。さて、どうやって回収すべきかと考えつつ、彼は答える。
「見付かりはした。じゃが……」
――と、ハルアキの視線の先で異変が起こった。
床を濡らすエリクサーが集まり寄ってひと塊となり、零の背後に迫ったのだ。
ハルアキは叫んだ。
「ナナシ! 逃げよ!」
いつもはいちいち呼び方を訂正する零だが、ハルアキの剣幕に危急を悟ったようだ。すぐさま立ち上がろうとしたのだが、度重なる負傷で回復が追い付かないのだろう。クラリとよろめいたまま動けない。
ハルアキは察した――怪物が、賢者の石を取り返そうとしている。
赤黒く濁ったエリクサーの塊は、徐々に不快な形を成していく……山羊頭の怪物である。
半透明のドロドロとした肢体を揺り動かして、零に覆い被さる位置までやって来た。
すると、彼も怪物の目的を察したのだろう。腕を振って賢者の石をハルアキに投げた。
「今すぐ壊してください!」
確かに、これが奴の手に渡れば、ホムンクルスは再生されてしまう。これまでの苦労が水の泡だ。
だがハルアキは動かない――動けないのだ。
「賢者の石を壊す方法は現状存在しない」と伝えたかったのに、果たせない難題を託されてしまった。
その上、逃げるという選択肢もなかった。
彼がその場を離れれば、辛うじて建物を保っている結界は消え、動けない零は倉庫の屋根に押し潰される――その姿は、見たくない。
怪物の捻れた角の下にポカリと開いた眼孔に光はなく、赤黒く溶けた腕を前に伸ばす。
「ぐうおおおお……」
巨体が零を乗り越える。そして、爪の先がハルアキに届こうとする頃。
「……そうか、そういう事か」
ハルアキはそう呟くと、賢者の石を口の中に放り込んだのだ。
醜い濁流の下で、零が叫んだ。
「ハルアキ! 何て事を……!」
「構うな。もう腹の中じゃ」
すると。
怪物が形を失った。
「キイヤアアアアア!!」
断末魔の悲鳴を上げてビジャンと床に崩れ、雨後の泥水のように、タタキの床に染み込んでいった。
「…………」
零は無言のまま、長い髪から赤黒い水を滴らせながらヨロヨロとハルアキに歩み寄る。
そしてハルアキの口に指を突っ込むものだから、彼は白目を剥いた。
「うぐ……!」
「吐き出しなさい、今すぐに!」
ハルアキは思い切り零の指に噛み付いて抵抗する。反射的に手を引っ込めた零を突き飛ばし、ハルアキは数歩退がる。
血の流れる指を押さえて、零は見た事のない表情をしていた。
「あなたは、ご自分が何をしたのか、分かっているのですか?」
「分かっている――あの石を我が物にした」
「…………」
「あの怪物を見たか。奴はこの石を取り返そうとした。つまりは、奴の魂はこの石の中にはなかった」
零が湿った床に膝を付く。絶望に打ちひしがれたように目を見開くその前髪を、濁った水が滴り落ちる。
「元々は賢者の石に、あの悪魔の魂が封じてあったのじゃ。じゃが、より多くの力を得るために、その魂をホムンクルスに移して利用した。だから、そなたが奪ったあの石には、何の魂も含まれておらなんだ」
「それを、あなたの体内に取り入れ魂の器とすれば、あなたは不死となる」
「理論的には、そうなるであろうな」
足を引き摺りながら零がハルアキに寄る。そして両手を肩に置いて、震える声を吐き出した。
「あなたは、不死という存在がどんなものなのか、分かっているのですか?」
ハルアキは答えない。
零に対しての、この質問に対する答えなど、持ち合わせているはずもない。
愕然と膝を付いて項垂れる零を見下ろし、ハルアキは言った。
「余の意思で決めた余の生き様じゃ。何人たりとも口出しはさせぬ」
弱々しい手を振り解く。
そして戸口に向かうと、ハルアキは外れかけた板戸を蹴り飛ばした。
「何をしておる。余がここを出れば結界が解ける。屋根の下敷きになりたいか」
「…………」
ヨロヨロとやって来た零の背を押し外に出すと、ハルアキも後に続く。
――その途端。
轟音と土煙を上げて、倉庫が跡形もなく崩れ落ちた。
口から体内に侵入した彼は、腹の中に結界を張ったのだ。
結界の特徴として、「結界の掛かっている範囲に同種の結界を重ねて掛ける事ができない」というものがある。
だが、その法則を潜り抜け、何重もの結界を張る方法はなくはない。先程ハルアキが四神の陣を張ったように、既存の結界の外側に掛ける場合がそのひとつだ。
――そして、零が行ったのは、結界の『裏側』に結界を張る方法。
つまり、「回」の字の外側の「口」の部分を最初の結界として、内側の「ロ」は中表に呪符を配置する。
すると、「ロ」の内部は最初の結界の影響の圏外となるのだ。そのため、ハルアキの結界から外れ、彼の気配が消えたのである。
その結界を、内部から膨張させたから堪らない。
ホムンクルスの体という風船の表が圧に耐え切れずに、怪物は弾け散ったのだった。
座り込んだ零の腕の中で、ハルアキがガバッと身を起こすと、彼は低く呻いて腹を押さえた。
「あんなところから落ちてくるから、骨が何本かやられましたよ」
「た、助けよと、頼んでなどおらぬからな!」
ハルアキはそそくさと零から離れ、口を尖らせた。
「……済まなんだ」
「私は構いませんよ。目的は達せられましたし。それに、綺麗な石を手に入れましたから」
と、零が指先に示したものは、飴玉ほどの大きさの、赤く透き通った石である。
眩い光を纏ったつるんと滑らかな宝玉。零が掌に転がすと、それはぬめりと艶やかに光った。
ルビーに似た輝きを持つそれの名を、ハルアキは震える声で呟く。
「――賢者の石、か」
「そのようですね。あの醜い怪物を作り出したのが、このように美しいものだとは……。ところで、これを壊す方法は見付かりましたか?」
零に聞かれ、ハルアキは顔を上げた。賢者の石について読み解いたあの本は、屋根の上に置きっぱなしだ。さて、どうやって回収すべきかと考えつつ、彼は答える。
「見付かりはした。じゃが……」
――と、ハルアキの視線の先で異変が起こった。
床を濡らすエリクサーが集まり寄ってひと塊となり、零の背後に迫ったのだ。
ハルアキは叫んだ。
「ナナシ! 逃げよ!」
いつもはいちいち呼び方を訂正する零だが、ハルアキの剣幕に危急を悟ったようだ。すぐさま立ち上がろうとしたのだが、度重なる負傷で回復が追い付かないのだろう。クラリとよろめいたまま動けない。
ハルアキは察した――怪物が、賢者の石を取り返そうとしている。
赤黒く濁ったエリクサーの塊は、徐々に不快な形を成していく……山羊頭の怪物である。
半透明のドロドロとした肢体を揺り動かして、零に覆い被さる位置までやって来た。
すると、彼も怪物の目的を察したのだろう。腕を振って賢者の石をハルアキに投げた。
「今すぐ壊してください!」
確かに、これが奴の手に渡れば、ホムンクルスは再生されてしまう。これまでの苦労が水の泡だ。
だがハルアキは動かない――動けないのだ。
「賢者の石を壊す方法は現状存在しない」と伝えたかったのに、果たせない難題を託されてしまった。
その上、逃げるという選択肢もなかった。
彼がその場を離れれば、辛うじて建物を保っている結界は消え、動けない零は倉庫の屋根に押し潰される――その姿は、見たくない。
怪物の捻れた角の下にポカリと開いた眼孔に光はなく、赤黒く溶けた腕を前に伸ばす。
「ぐうおおおお……」
巨体が零を乗り越える。そして、爪の先がハルアキに届こうとする頃。
「……そうか、そういう事か」
ハルアキはそう呟くと、賢者の石を口の中に放り込んだのだ。
醜い濁流の下で、零が叫んだ。
「ハルアキ! 何て事を……!」
「構うな。もう腹の中じゃ」
すると。
怪物が形を失った。
「キイヤアアアアア!!」
断末魔の悲鳴を上げてビジャンと床に崩れ、雨後の泥水のように、タタキの床に染み込んでいった。
「…………」
零は無言のまま、長い髪から赤黒い水を滴らせながらヨロヨロとハルアキに歩み寄る。
そしてハルアキの口に指を突っ込むものだから、彼は白目を剥いた。
「うぐ……!」
「吐き出しなさい、今すぐに!」
ハルアキは思い切り零の指に噛み付いて抵抗する。反射的に手を引っ込めた零を突き飛ばし、ハルアキは数歩退がる。
血の流れる指を押さえて、零は見た事のない表情をしていた。
「あなたは、ご自分が何をしたのか、分かっているのですか?」
「分かっている――あの石を我が物にした」
「…………」
「あの怪物を見たか。奴はこの石を取り返そうとした。つまりは、奴の魂はこの石の中にはなかった」
零が湿った床に膝を付く。絶望に打ちひしがれたように目を見開くその前髪を、濁った水が滴り落ちる。
「元々は賢者の石に、あの悪魔の魂が封じてあったのじゃ。じゃが、より多くの力を得るために、その魂をホムンクルスに移して利用した。だから、そなたが奪ったあの石には、何の魂も含まれておらなんだ」
「それを、あなたの体内に取り入れ魂の器とすれば、あなたは不死となる」
「理論的には、そうなるであろうな」
足を引き摺りながら零がハルアキに寄る。そして両手を肩に置いて、震える声を吐き出した。
「あなたは、不死という存在がどんなものなのか、分かっているのですか?」
ハルアキは答えない。
零に対しての、この質問に対する答えなど、持ち合わせているはずもない。
愕然と膝を付いて項垂れる零を見下ろし、ハルアキは言った。
「余の意思で決めた余の生き様じゃ。何人たりとも口出しはさせぬ」
弱々しい手を振り解く。
そして戸口に向かうと、ハルアキは外れかけた板戸を蹴り飛ばした。
「何をしておる。余がここを出れば結界が解ける。屋根の下敷きになりたいか」
「…………」
ヨロヨロとやって来た零の背を押し外に出すと、ハルアキも後に続く。
――その途端。
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