久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
75 / 92
第伍話──箪笥

【参】久世慶司

しおりを挟む
 再び訪れた久世伯爵邸は、明るい色調の洋館に似合わない鯨幕くじらまくに囲まれていた。
 『忌中』の札が立てられた門を入ると、庭先には既に大勢の弔問客が集まっている。伯爵だけあり、広い交友関係が伺われる他、新聞記者や野次馬も多いようだ。名門華族の屋敷で起きた凄惨な事件が世間の注目を集めるのは、仕方がないだろう。
 そんな様子を窺いつつ、零と桜子は目立たないように気を配りながら屋敷へと進んだ。

 ……というのも、手持ちで最も地味なものとはいえ、零の格好は目立ち過ぎるのだ。桜子は溜息混じりに横目を向けた。
「探偵のクセに、尾行とか苦手でしょ?」
 そう言う桜子は、普段着の紺色のワンピースだ。帽子は被らず、断髪が夕風に揺れている。
「あまりやった事がありませんね……」
 そう零は首を竦め、体裁だけはと羽織った黒の紋羽織で前を隠した。

 一応、「目が不自由なため夜出歩くのが困難」という、多ゑ夫人の代理という建前である……久世伯爵の子息に会っておきたいと思っていた零に、気を遣ってくれたのだ。

 記帳を済ませ、陰鬱な読経の響く広間へ向かう。
 そこには、祭壇の前に置かれた棺がふたつ。蓋を開くのを拒むように掛けられた白い布が、事件の凄惨さを物語っていた。
 その傍らで項垂うなだれる、礼服姿の若い男が、久世夫妻の息子の慶司だろう。
「この度はご愁傷様でございます」
 と零が頭を下げても、彼は背中を丸めたまま、軽くうなずいただけだった。

 焼香を済ませ退出する途中、桜子が小声で囁いた。
「そりゃあ、ご両親があんな亡くなり方をしたんだし、気落ちするのは分かるけど、これから伯爵家を継ぐんでしょ? ちょっと頼りないというか……」
 零も頷く。
「それ以前に、ご両親のお通夜というのに、奥方はおられませんでした」
 桜子はハッとした面持ちで目を見開き、背後に佇む屋敷を振り返った。
「お勝手のお手伝いとか……」
「未来の伯爵夫人が、そんな事しますかね?」

 何となく嫌な予感を抱きながら帰宅した二人だったが、その予感は当の本人からもたらされた。
 ――葬儀から一週間後。探偵事務所に久世慶司がやって来たのだ。

「母が私の妻を探るよう依頼していたようですが、取り消していただきたい」

 久世慶司の年頃は三十手前か。育ちの良さを感じさせる雰囲気の中に、内にこもった陰気さを感じさせる人物だった。
 七三に分けた髪に乱れはなく、上質な背広を着こなしている。とはいえ、通夜の席でも見た猫背は元来のもののようで、応接に腰を下ろしていても、視線はテーブルの表面を撫でるばかりで、向き合って座る零の顔を見もしない。

 その視線の先に、桜子が湯呑みを置く。
「わざわざお越しいただいて申し訳ありません。ご依頼人がお亡くなりになったので、どうしようかと相談していたところです」
 慶司は湯呑みに浮かぶ波紋を眺めながら、ボソボソと小声で言った。
「お支払いした依頼料はもういいので」
 零も桜子から湯呑みを受け取り、両手で包む。
「そうはいきません、信用商売ですので。しかし、今すぐにお返しできるだけの用意がありません。後日、お宅へお持ちします」
「いりません。もう私に関わらないでください」
 慶司は吐き捨てるようにそう言うと、そそくさと事務所を後にした。

 その背中を、長椅子から立ちもせずに見送った零は、ゆっくりと緑茶に口を付けた。
「桜子さん、どう思います?」
「どうって……」
 応接の横でお盆を抱えて立つ桜子は、不機嫌な目を扉に向ける。
「お金を取り返したいのでなきゃ、何でわざわざ来たのかしら」

「余程、嫁を知られたくないのじゃろう」
 そう言いながら納戸から出てきたハルアキは、だがテーブルに期待したものが無かったと見え舌打ちした。
「あの者、訪ねて来るに手土産ひとつ持って来ぬとは」
「それは欲張り過ぎですよ」
 零は呆れた目を向けつつ湯呑みを空ける。
「とは言え……どうもきな臭く思えるんですよね、彼」
「どういう意味?」
 手を付けられなかった湯呑みと空の湯呑みを盆に戻し、桜子は零を見た。零は長椅子に背を預け腕組みする。

「刑事が言っていた彼のアリバイは、本当でしょうかね」

「それって……」
 絶句した桜子に代わり、ハルアキが言葉にした。
「――あの者が下手人である、と言いたいのか」
「無実の罪で警察に疑われた恨みがありますのでね、この事件の犯人には……そこで、色々と考えてみたんですけど、彼が最も容疑者として相応しい人物像に思えるのです」

 嫌な沈黙が事務所を包む。それを破るように、桜子が動揺を隠し切れない声を上げた。
「で、でも、仮にもご両親よ? それを手に掛けるなんて……」
 だが零は冷淡だ。
「殺人の多くは家庭内で起こっています」
「でも、動機は? 彼がご両親を殺して何の得があるの? だって、伯爵家の財産を持つお父君のすねをかじってきた訳でしょ? そのお父君を殺したら、彼、この先どうやって奥さんと、間もなく生まれる赤ちゃんを養っていくの?」

 確かに、桜子の言う通りだ。不景気で家財を売り崩して生活しているとはいえ、資産は大きいに違いない。それを受け継ぐとしても、あの頼りない印象の彼が、その財をうまくやりくりできるのだろうか?
 もし彼が犯人だとすれば、財産以外のところに動機があるように思える。

 考え込む零の向かいに胡座をかき、ハルアキは何もないテーブルをもの欲しげに眺めた。
「調べるのか?」
「一応、依頼料は貰ってますし」
「珍しいじゃない、あなたが仕事にやる気を見せるなんて」
 桜子はそう零を茶化しながら、お盆を奥の流しに運んで行った。

「多ゑさんのご友人ですからね、これも弔いです……ところで、花嫁の居処は分かりましたか?」
 零が顔を前に戻すと、ハルアキはニッカポッカからはみ出した膝を揺らした。
「情報が足らぬ」
「と言うと?」
「対象があやふや過ぎるのじゃ。その者にまつわる何かがないと、生死すら掴めぬ。せめて名でも分かれば……芸名でも構わぬ。その者と認識できる名であれば」
「なるほど……」
 零は目を細め、扉に視線を向ける。
「――まずは深川から、という訳ですね」

 茶菓子を手に、桜子が応接に戻ってきた。
「その芸者さんの名前と、犯行当夜の慶司さんのアリバイの確認、ってところかしら」

 彼女はハルアキの正体を知らない。しかし、彼が普通の子供ではないとは思っているようで、零とハルアキの会話に疑問を持たない……自称・陰陽師という怪しげな二人の関係性に慣れてきたとも言える。
 彼女は菓子器をテーブルも置き、ハルアキの隣に腰を下ろした。すぐさまハルアキが煎餅に手を伸ばすが、桜子が先手を取り、煎餅を口に運んだ。

「慶司さんが呑んでたっていうお店は分かるの?」
 零は苦笑しつつ答えた。
「警察がそんな事まで教えてはくれません」
 すると、桜子はキラキラと目を輝かせ身を乗り出す。
「じゃあ、探偵助手の腕の見せどころね」
 そんな桜子の手から煎餅を奪い、ハルアキは横目で彼女を睨んだ。
「深川など、女の行く場所ではなかろう」
「そう言って、また私だけ置いてけぼりにする気なのね」
 桜子が口を尖らせる。零は、彼女がここで諦めるような人物ではないと知っている。そのため、愛想笑いをハルアキと桜子に向けて言った。
「まあまあ……確かに、手分けした方が早い。桜子さんにもお願いしますよ。では明日、よろしく頼みます」
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつもりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。