19 / 55
19 再認識(1)
しおりを挟む夕陽を背に全力で森へと向かう。次第にキハラの思考が聞こえなくなって行く。
やがてそれは完全に消え、前方にはおぞましい邪気の渦が色濃く漂い出す。
それにしても、今度は一体どこの鬼だ?本当に朝霧ユイはモンスターに好かれる性質のようだ!かくいう俺も、彼女を忘れられないモンスターの一人だが……。
そんな事を思いつつ、見覚えのある巣の前に辿り着いた。それは木々の盛り方といい、例の節分の鬼の巣に良く似ていた。
「おい!身分違いのママゴトはもうやめるんだ。朝霧ユイを引き渡せ!」
中から現れた奴は、またしてもグロテスクな容姿をしていた。それも三匹いる。この俺でさえ、ここの瘴気のせいで気分が悪くなる。ユイが心配だ。
「お前らに引き渡す気がなくても、力づくで返して貰うがね」
こう言いながら巣の中へ足を踏み入れる。
鬼共がそれを阻止しようと飛びかかって来るが、それを交わしながら、さらに中へ入って行く。その一番奥で、ユイは大きな籠に閉じ込められていた。
彼女の姿を目にした自分が、想像以上に心湧き立っている事に気づいた。この数ヶ月、朝霧ユイの事を忘れようとしたができなかった。その理由が、今分かった。
「ユイ、大丈夫か?」
声をかけても反応はない。薄っすらと目を開けているように見えるのだが……。
「ユイ?聞こえるか」
近づこうとした俺を鬼達が激しく攻撃する。
ムダだ、バカ共め!お前らの爪や歯ではヴァンパイアの体を傷つける事はできない。
「煩わしい……消えろ!」
たったの一撃で巣に大穴が開き、三匹とも外に吹っ飛んだ。
「すぐにここから離れよう」
籠を破壊してユイを抱き上げ、様子を窺う。
開いていた目は固く閉ざされてしまった。非常に顔色が悪い。唇が紫色になっている。
ユイに触れる温度のない俺の手が、冷たさを感じている。
「まずいな……」
キハラの元へ運ぶ時間も惜しい。今ここで救命処置をしなければ。
そこへ、復活した鬼達がまたも飛びかかって来る。
「お前らに付き合っている時間はないんだよ!」
容易に鬼共を縛りつけると、一瞬でユイを外へと運び出す。振り返りざま巣に向けて火を放った。
今回は彼女に見られずに済んだ。このおぞましい光景は、もう二度と見せたくない。
やや離れた場所まで移動して、彼女の体を横たえる。
「ユイ、どうか、死なないでくれ……!」
ボロボロになった衣服の上から、自分のジャケットを掛けてやりながら、意識を集中させて心拍や血流の状態を確認する。軒並み低下中だ。このままでは危険だ。
「ユイ!眠るな、起きろ……目を覚ますんだ。気をしっかり持て!」
吹雪の中で死の眠りに誘われるかのように、ユイはどんどん意識を沈めて行く。
「ユイ……!」
眠り姫には愛のキスが必要だ。途方に暮れて、医者らしからぬそんな事を考えた。
俺はほとんど無意識に、ユイの唇に自分の凍るような唇を近づける。とんだ茶番だ!こんな行為で何が生まれるというのだ?むしろ死の接吻ではないのか!
遣る瀬無い気持ちになり唇を離すと、呼吸が戻ったのか、俺の顔に吐息がかかった。
「ユイ!俺の声が聞こえるか?目を開けてくれ」
呼吸は戻ったが反応はない。鬼の瘴気を消す薬などない。本人の精神力頼みだ。
意識が混濁している様子のユイに、気つけの意味を込めて一本注射した。ひと際感じて貰えるよう、上腕側面の筋肉部分に針を深く刺す。
「……あ!ああ、痛、……っ」
「ユイ!ああ、良かった、意識が戻ったな」
早速反応してくれるとは思わなかった。嬉しくなってユイを抱きしめる。
「……しん、どう、先生?」
未だぼんやりはしていたが、ユイが口を開いた。掠れる声が俺の名を呼ぶ。
「ああ、新堂だ。もう大丈夫だよ」
やや体を離し、安心させるべく微笑む。「寒くないか?」
ユイはまた目を閉じた。力なく俺に体を預けたまま動かない。顔色も悪いままだ。
「キハラさんが心配してる。すぐに帰ろう」
取りあえず意識は戻った。早急にこんな場所から離れよう。腕に抱えたユイを再び抱き直して立ち上がる。
もうすっかり日が暮れてしまった。取り急ぎキハラの待つ場所へと向かった。
暗がりの山中で、キハラはイラ立ちを隠す事もなく右往左往していた。
「約束は破ってないよな?」腕の中で目を閉じたままのユイに話しかける。怪我を負っていない事が何よりの救いだ。
山中に停車している白ベンツの横に、静かに着地する。
「待たせたな。連れ戻して来た」
「遅い!いつまで待たせる?待ちくたびれたぞ!」車のボンネットを叩きながら言う。
「申し訳ない。何しろ今回は三匹もいてね……。そんな事より、まだ夜明け前だ。約束は守っただろう?」
「無責任野郎の分際で口答えするな。ユイは無事なんだろうな?」
「鬼の瘴気に当たりすぎた。体力がかなり消耗しているが、命に別状はない」
ユイの様子を仕切りに確認していたキハラが、左上腕部に当てた手に注目しているのが分かった。
「おい、そこ、ケガしてるんじゃないのか?見せろ!」
「ああ。そこは注射針を刺した場所だ」
答えると、キハラは無言になった。心の声を聞いてみるとしよう。
――こいつめ、まだ注射嫌いは継続中か!昔も散々わめいてたな……。
どうやら誤解は解けたらしい。彼女の注射嫌いは有名のようだ。やれやれ!
「ううん……。寒いよ……」
「ユイ、気がついたか。寒いか、済まない。今降ろすよ」
会話を聞いていたキハラが、車の後部席ドアを開けて促す。「早く乗せろ」
「ありがとうございます」
車内は暖かかった。微かに煙草の匂いが漂っている。
「さあ、楽な姿勢でいなさい。これでいいか?」
まだ体の自由が利かない様子の彼女に尋ねる。
「それより、……ここが痛い」注射を打った部位を擦りながら訴えて来る。
「まだ痛いか?しょうがないな……」
押さえた手を退かし、念のためその部分を確認する。皮膚組織に特に異常はない。
「何もなってない。大丈夫だ」面倒になって言い放つ。
キハラが車内を覗き込んで言う。「で、ユイは家に帰せる状態か?」
「ここまで脱力しているのは不自然だ。せめて一晩様子を見たい」
「分かった。母君に連絡を入れる」
機転の利く男だ。テキパキと判断して事を進めてくれるのでとても助かる。
〝もしもしキハラです。渋滞が酷く、どこかで一泊して朝に戻ります。ご心配なく〟
〝……ああ、ユイお嬢さんは疲れて熟睡中ですので……はい、かしこまりました〟
やや離れた場所で電話するキハラの声が聞こえた。上手く取り繕ってくれたらしい。
キハラはすぐに戻って来て、運転席に乗り込みエンジンをかけた。
「どこかお前達の泊まれる部屋を探そう。俺は車で寝る」
「ああ。そうしてくれると助かる」
早くユイをきちんとした場所で休ませてやりたい。俺だけでなくキハラもそう思っているのだろう。タイヤを鳴かせながら峠を下る様子を見ているだけで分かる。
今の彼の頭の中に怒りはない。ただいつものように、ユイへの強烈な執着があるのみ。
今ならば言える。俺だって負けないくらい、朝霧ユイの事を想っていると。
0
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる