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28 この街の記憶
しおりを挟む日が傾きかけて来た頃、俺達は街へ繰り出した。
ユイがサンクト・ペテルブルグの街並みをとても気に入り、毎日のように散策しているのだ。中でも街が一望できる、聖イサク大聖堂の展望台がお気に入りだ。
ここはそんなに高さはない。鳥の目線で街を見る感じ、と言えば伝わるだろうか。
「だいぶ慣れてきたし、もう一人でも大丈夫なのに」
「いや。行くなら付き合うよ。大して案内できないのが玉に瑕だがね」
「街も随分変わっちゃってるもんねぇ」斜め上のサングラス姿の俺を見上げて言う。
「まあ、そうだな」定位置の斜め下を見下ろして言い返す。
「私ね、この街を昔、テレビで観た事があって。とっても美しい所だなぁって思った。その時から、この目で見てみたいなってずっと思ってたんだ」
瞳をキラキラさせて語るユイの様子を、そっと見守る。
「来てみて、さらに好きになったわ!新堂先生がまさかここの出身だったなんて驚き。これってやっぱり、運命の出会いかも?」街並みから俺へと視線を移して言う。
運命の出会い、いいじゃないか。俺の顔は自然にほころんでいたと思う。
「二世紀も前の住人だがね」
「何年前でも、住人は住人よ!それでどう?改めて故郷を見たご感想は」
「ああ。こんなに美しい街に成長して嬉しいよ。何より、ユイに好意を持って貰えている事を誇りに思う」
俺が生きていたあの頃は、アレクサンドル一世の統治。まさにこの美しい街が発展し始めた頃だ。この建物は、まだ建設中だったように思う。
「先生?……大丈夫?」
昔の記憶が甦り、黙り込んでいた俺を見上げて、不安そうに聞いてくる。
「ああ。何ともないよ。どうしてそんな事を聞く?」
「昔のイヤな事とか、思い出しちゃったのかなって思って……」
「全然。心配してくれてありがとう、ユイは優しいんだな」
こんな事を心配してくれるユイが、心から愛おしく思う。
しばらくユイを見つめていたが、魔力はレンズを透過しないらしい。彼女はいつもの恍惚の表情ではなく、強い眼差しで俺を見返していた。
気を良くした俺はこの日、ユイに水面からも街を見せたくて、小さな船で街を巡った。
川の流れに任せて、ゆっくりと進んで行く。沈み行く太陽、なめらかな水面、そこに反射して映る建物や橋。束の間の、静寂の中の瞑想の時間だ。
この時ばかりは、ユイもおしゃべりを中断して景色に夢中になっていた。
夕食は高層ビルのレストランで摂る事にした。と言っても食事するのはユイだけだ。
この建物は展望台よりも高く、夜景が素晴らしかった。まあ最も、俺の目には美味しそうに食事するユイの姿しか、入っていなかったのだが。
「先生、食べられなくて残念よね~。とっても美味しかったんだから!」
満足そうにユイが言う。
「匂いは分かる。確かにどの料理も、良い香りだったな」
「お腹いっぱいで眠くなってきちゃった……」
家に戻った時にはもう、零時を回っていた。ユイの手を引いてベッドへ誘導する。
もうすでに半分夢の中の彼女を寝かせ、しばし寝顔を堪能。
「ぐっすりお休み、ユイ」
「……先生?ダメよ、まだ寝ないんだから……ああん、新堂先生ってば……」
夢の入り口で必死に抵抗している様子。
ダメだよ。もう寝る時間だ、人間はね。
ユイが眠りについたのを確認後、静かに夜の街へ舞い戻った。行き先は急患でごった返している病院。仕事と言う名の食事のためだ。
こんな調子で夕方から観光して周り、ユイを疲れさせて帰宅し即就寝の日々が続いた。
疲れさせるのが計算でないと言えば嘘になる。例の事をせがまれないための対策でもあるからだ。ユイには見抜かれているかもしれないが。
「ねえ先生?先生は食事、ちゃんと摂ってるのよね?」
「ああ。ユイが眠った後でね」俺は眠る必要がないからちょうどいい。
彼女の睡眠中以外は、常に一緒にいる。
「もしかして、だから私を早く寝かせたいの?」不満とも諦めとも取れる表情になる。
夜の情事を避けていると取られるよりも、俺の食事のためと思われた方がマシだが、それは真実ではない。
迷った挙句に、質問には答えずに笑顔で言った。
「心配してくれたのか」
「まあね。いつも私ばっか食べてるし?」
「別にいいじゃないか。何か問題あるのか?」
「ありませ~ん!」
本当は共に食卓を囲みたいと言いたいのだろう。いろいろと制約を与えてしまって申し訳ない。
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