三十六日間の忘れ物

香澄 翔

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一.初めてみる再放送

7.茜色の空

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友希ともき。平気っ、しっかりしなさい!」

 美優みゆうの声で僕は現実に引き戻される。
 慌てて辺りを見回してみるけれど、海の中ではない。さっきまでいた街の中だ。

 途中から幻を見ていた。
 でもあれは白昼夢なんかじゃない。僕が確かに経験した記憶だ。

 僕は空を飛んだんだ。そして海の中に沈んでいった。
 体が震える。夏だというのに寒気が僕を包みこんだ。冬の冷たい空気の中にいるかのように、僕は息が出来なかった。

 荒く息を吸い込んで、はき出す事が出来なかった。
 喉に詰まる。呼吸が止まる。

 それでも美優が呼ぶ声に、少しずつ平静を取り戻してくる。
 何とか詰まった息を吐き出して、呼吸を整えようとして吸って吐いてを繰り返す。

 少しよろつきながらも何とか僕は立ち上がる。
 いつの間にか頭痛は消えて無くなっていた。さきほどまでの揺れる頭とは別物になったかのように息さえ整えば、あとはもういつもと変わらない。

「友希さん、平気なんですか。痛くないんですか。無理しないでください。休んでいた方がいいですよ」

 ひじりの呼びかける声には応えずに、僕はもういちど空を見上げていた。

 茜色の空。あの時と同じ色。
 僕は知らない。何も覚えていない。だけど確かに僕はあの時崖から落ちた。それだけは思いだした。

 それは本当に事故だったのか。あるいは自殺するつもりだったのか。それとも誰かに落とされたのか。それすらも記憶の中には残っていない。思い出せない。

 ただ茜色の空を目にしながら、僕は崖から落ちた。それだけは思いだしていた。

 どうして僕は忘れてしまったのだろう。何が僕をそうさせていたのだろう。
 事故にあった。その話は医者からも親からも友達からも聞いた。だけど何の事故だったのかは誰も言わない。だから勝手に僕は自動車にでもひかれたのだと思いこんでいた。

 どうして誰も何も言わなかったのだろう。考えてみれば両親の喜びようは、少し異常なほどだった気もする。僕には大きな外傷はなかったし、入院はそれほど長い間でもなかったのに。

 僕が失った記憶はたったの三十六日間。一ヶ月をわずかに超えるだけの、変わっていなかったはずの日常の時間。

 だけどその中で僕は命を失いかねない事故にあっていた。
 普段ならほとんど立ち寄りもしない崖の上から飛び降りていた。

 本当にそれは事故だったのだろうか。それは事故では無かったのではないだろうか。
 思いを巡らせるけれど、これ以上には何も思い出せなかった。

「友希さん。しっかりしてください。何か、何か思い出しましたか」

「……僕は空を飛んだんだよ」

 聖が呼ぶ声に、僕は思わず声を漏らしていた。そして空を見上げていた。

 聖は何も言わなかった。いや、何も言えなかったのかもしれない。普通に聞いたら呆れて何も言わないか、おかしくなったかと思うような台詞だった。それも当然かもしれない。

「俺、美優さんのためなら……だから」

 聖が何かを小さな声でつぶやいていたが、はっきりとは聞き取れなかった。
 ただ僕を心配そうに見つめている事だけはわかる。

 だけど再び僕の頭の中に強い痛みが駆け巡った。何か頭の中で鐘のような鈍い音が鳴り響いているようで、これ以上は何も聞こえなかった。その痛みは僕の頭の中の何かをかき消していく。

「友希。平気? 疲れてる? もう帰って休も」

 美優は僕の顔をのぞき込むようにして心配そうに見つめていた。
 不安を隠せない様子で、その綺麗に整った顔を崩していて。今にも泣き出しそうにすら見えた。

 でも美優がそんな顔を浮かべているところは見たことがなくて、もういちど頭をふるってみたら、いつもの美優と変わらなかった。

 いつの間にかまた痛みも消えて無くなっていた。
 僕はうなづいて、それからもういちど空を見上げる。

 記憶の中にあった空と同じ茜色。季節が違う分だけ少し色合いは違うかもしれない。
 だけど空を飛んだ時と同じ茜色。だけどその色に感じたのは恐れではなくて、ただ綺麗だと素直に思えた。
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