矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

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シリーズ盤外戦術

盤外戦術その5 矢倉さんの決意

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 デートの帰りに矢倉やぐらさんが行きたいというので、将棋会館によってみる事にした。
 五階建ての立派な建物で、一階には売店があった。矢倉さんはいろいろ楽しそうに見ていたのだけど、正直僕には何が何だかわからない。

 将棋盤やプロ棋士の色紙や扇子などもおいてあって、こんなのもあるんだなぁと思っていたけれど、矢倉さんはとても楽しそうだった。僕としてはそんな矢倉さんを見ているのが楽しい。

「あ、これ師匠の扇子です。買って帰って師匠に見せたら師匠はなんていうかなぁ」

 矢倉さんはどうやら将棋道場の師匠の扇子を見つけたらしい。
 一心不乱と書いてあったけど、なるほど。矢倉さんの師匠はこういう感じなのか。

 それから話題の藤井四冠の扇子もあった。彼はさすがに僕でも知っている。僕より少し年上くらいの年齢で、本当にすごいなぁとは思う。実際僕が知っているプロなんて、藤井さんと羽生さんくらいだ。

 二階には道場もあるらしい。矢倉さんは少し気になっている様子だったけれど、寄っていきますかという僕の提案は断っていた。時間もないしお金もかかるから、と言っていた。確かに今から将棋を指していたら、帰りつくのはだいぶん遅くなってしまうだろう。

 健全な高校生としては、それほど帰りが遅くなる訳にはいかない。

 それから将棋会館を後にして、それからしばらくは矢倉さんは少し落ち着かない様子でなにかそわそわとしている雰囲気を感じられた。

 僕とのデートは楽しめなかっただろうか。いやそんなことはないはず。さっきまでとても楽しそうだと思う。
 僕はそんなに自信があるって訳でもないけど、矢倉さんの事は他の誰よりも知っているはず。だからそれならきっとすぐにわかるはずだ。

 何を気にしているんだろうか。
 帰りの電車の中、矢倉さんは口を開かなかった。

「矢倉さん、どうかしましたか?」

 僕はとうとう我慢できなくなって、矢倉さんに問いかけてしまう。
 すると矢倉さんは少しだけ顔をうつむかせて、ゆっくりと話し始めていた。

あゆむくん、ごめんなさい」
「え、ど、どうしたんですか。矢倉さ……さくらさん」

 急に謝ってくるだなんて。矢倉さんに何かされた記憶はない。むしろ僕の方が何かしていたのだろうかと思う。

「今日のデート。とっても楽しかったです。でもこれからこんな風にデート出来る時間は減ってしまうかもしれないです」

 矢倉さんは静かな声で告げる。

「どういうことでしょう」
「私、研修会に入る事にしたんです。実はさっきの将棋会館にきたのは、今日はその下見も兼ねていました。次の日曜日、研修会の試験を受けることになっているんです。研修会に入って、そして女流棋士になるつもりです。そのためには今よりずっと将棋の事ばかり考えなきゃいけないと思います。だから……歩くんと一緒にいられる時間、減ってしまうと思います」

 申し訳なさそうに告げる矢倉さんだったが、僕はその言葉に少しの間きょとんとしていたと思う。

 矢倉さんが女流棋士に。

 正直僕は女流棋士がどれくらいすごいものなのかわからない。でも矢倉さんはかなり強い。大会では一度も危ういところすらなかった。僕はいちご先輩や菊水先輩に全く歯が立たないけれど、矢倉さんはそんな二人の先輩にすら一度も負けたところを見た事がない。

 そんな矢倉さんなら、きっと女流棋士になれるんじゃないだろうか。

「僕は矢倉さんが進みたい道に進むのを応援しているから。矢倉さんがそう決めたのなら、僕は全力で応援する。そりゃあ一緒にいられる時間が減るのは寂しいけれど、学校でも会えるんだしね」

 本音をいえばクラスが違うから、学校でも会えるのは部活の時くらいだ。正直ものすごく寂しい。
 でも矢倉さんの邪魔になりたくなかった。

 そして夢を叶えてほしいと思う。

「歩くん、ありがとう」

 矢倉さんはほっとした表情を見せていた。

 そんな様子に、矢倉さんはやっぱり可愛いなぁ、とこの時の僕はのんきに構えていた。
 ただこの時の僕にはプロを目指すということが、どれだけ大変な事なのかは理解していなかった。
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