僕は君のことを忘れるけれど、ボクはキミのことを忘れない

香澄 翔

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迫り来る悪夢

25.あふれる想い

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 数日が過ぎた。

 たけるくんとはあれ以来話せていない。たけるくんへ負担をかけたくないから、たける君の前には現れていない。でもこんな話、他の誰にも出来ない。

 お母さんに話すべきかも迷っていた。でもあれからお母さんとは顔を合わせていないし、お母さんともこれ以上に溝を作りたくない。

 だからボクは何も出来なかった。ただどうしたらいいかわからなくて、ふらふらと心をさまよわせるだけだ。

 なかば抜け殻のようになっていたけれど、それでも学校では普通に過ごしていた。普通のふりをしていた。

 幸いあれ以後にあいつとも出会うことはなかったし、ボクにからんできた彼女らからの反応も他には特になかった。

 ある意味では平穏な日々を過ごしていたが、だけどボクの心はずっと安まる時はなかった。あいつへの恐怖がボクをずっと満たしていた。

 放課後。どうすべきかもわからず、ボクは無駄に教室に残っていた。

 ため息をひとつもらす。どこにも行きたくなかった。でもどこかに消えてしまいたかった。
 何をしたらいいのかもわからなくて、ただボクはここにいることしか出来なかった。

「よう」

 その声は不意にボクの元に届いた。
 顔を上げると、いつのまにボクの隣に野球部のエースのあいつが立っていた。

「ボクに何か用?」

 思わずつっけんどんに返してしまってから、そういえばこの間のことを謝るのを忘れていたなと思う。さすがにあれはちょっと言い過ぎだったとは思っていた。

 だからこそ彼女らがボクにからんできたんだろうし、反省はしている。でもボクのことはともかく、たけるくんのことを悪く言ってもらいたくはなかった。

 そんなボクの思いがつい態度に出てしまっていた。

「そんなに警戒するなって。今日はちょっとお前に謝ろうと思ってさ」
「……うん?」

 思わぬ彼の言葉に、ボクは頭の上にはてなマークが浮かんでいた。

 正直彼のことは言い寄られるのは面倒だなとは思っていたけれど、謝られるようなことをされた覚えもない。強いて言うならたけるくんのことを少し悪く言われたことくらいだろう。でもそれはあくまでボクの主観によるもので、彼からしてみれば事実を告げていただけだ。そう見えるのは仕方ないことだとも思う。

 だから彼から謝られるようなことは何もないはずだった。

「話に聴いたんだけど、俺のファンがお前を校舎裏に呼び出して、何か意地悪をしようとしていたんだってな。すまなかった。まさかそんなことになるだなんて思っていなかった」

 彼は深々と頭を下げていた。

 思わぬ展開にボクはどうしたらいいものか困惑していた。

 確かに彼のファンから呼び出されて、いじめられたのは確かだ。でもたけるくんがボクを助けてくれたし、それに悪いのはあくまで彼女達であって、彼が何かした訳ではない。

 そもそもボクが彼に口悪くののしってしまったからこそ、あんな事態になった訳で彼が謝るのは筋違いだと思う。

「いや、それはキミが悪い訳じゃないし。そもそもボクが言い過ぎてしまったせいでもあるから。むしろキミがボクのことを心配してくれていたのはわかっていた。だから言い過ぎたと思って謝ろうと思っていたんだ。ボクこそ悪かったよ」

 ボクも彼と同じように頭を下げる。

 自分のことでないにもかかわらず、自分に原因があると思って謝ってくれるというのは、やっぱり彼は少し口調は荒いけれど本当はいいやつなんだろう。

「たけるが助けてくれたんだってな。ちょうどみてたやつがいてさ。話を聞いたんだ。あいつは記憶を失っているっていうのに、ちゃんとお前のピンチに駆けつけて助けてやっていた。それにひきかえ、俺はお前を傷つける原因を作ってしまっていた。これは負けたなって。思ったんだ」

 彼はどこか悔しそうな、でもそれでいてスポーツマンらしいさわやかな顔をしてボクをじっと見つめていた。

「なんであんな奴を好きなんだよって、正直に言えば思っていた。俺が負けているところなんて一つもないってうぬぼれてた。でも、違った。お前が好きになるだけの理由がちゃんとあったんだなって。好きな子をちゃんと守ってやれる。そんなすごい奴だったんだなって、そう思った。あいつのことを悪く言って悪かった」

 もういちど頭を下げる。

 やっぱり彼は根はいい奴なんだろう。なんでボクのことを好きになったのかはわからないけれど、こんな風に素直に謝れて、自分の非を認められる。そんなことが出来るのは、いい奴に違いない。

 だからボクが彼のことを好きになれれば、何もかも丸く収まっていたのかもしれない。
 でもボクはやっぱりたけるくんが好きなんだ。

 昨日のピンチもたけるくんはボクを助けにきてくれた。いや、実際にはそこにいただけでたけるくんはボクを助けようだなんて思ってはいなかったと思う。

 それでもその場にいてくれた。ボクを助けてくれた。たけるくんはボクのヒーローなんだ。ボクにはやっぱりたけるくんしかいない。

 だから。だからこそ、ボクは思わず涙をこぼしていた。

「あ、え……!? ど、どうしたんだよ。ごめん。俺が何か変なことをいったか?」

 彼はボクの突然の涙に困惑していただろうと思う。

 でもボクはいちどこぼれてしまった涙を止める事も出来ずに、ただ泣き続けることしか出来なかった。
 ボクにとってはたけるくんは救いだった。大好きな人だ。

 でも今のたけるくんにとって、ボクは邪魔にしかならない。たけるくんの心を乱してしまう原因でしかないんだ。

 ボクはたけるくんの近くにいてはいけない。たけるくんを傷つけてしまう。たけるくんの心を乱してしまう。
 それが悲しくて悔しくて。でも何とか抑え続けていた気持ちは、いまの彼の言葉で堤防が壊れてしまった。

 ボクのことを好きになってくれた人が、ボクが好きな人のことを認めてくれた。
 だけどボクは好きな人と一緒にいることは出来ない。

 それがずっと抑え続けていた気持ちを壊してしまった。
 いちどこうなると、もう感情が溢れてきて止まらなかった。

「違う……違うんだよ……。ごめん。ごめんね。キミのせいじゃないんだ。ボクはボクは。だって」

 気持ちがあふれてしまって言葉にならない。
 彼は何も言わずにそのままボクの隣にたっていた。

 本当は部活もあるはずだから、ボクのせいでサボらせてしまった。

 彼に気持ちを返せる訳でもないのに。

 ボクはどれだけ自分勝手なのだろう。

 だけどそれでもボクは泣き続けていた。

 たけるくんの病気のこと。いじめにあいそうになったこと。彼がボクのことを好きになってくれたこと。

 そして『あいつ』が再びボクの前に現れたこと。

 それらがすべて波のようになって、ボクを押し流していく。

 だからその気持ちがすべて流れてしまうまで、ボクはただ泣き続けることしか出来なかった。

 それからどれくらいの時間がたったのだろう。
 外は日が沈んできていた。あかね色の空が、教室の中に西日を差し込んでくる。

 やっと気持ちは落ち着きを取り戻してきて、ボクは涙をぬぐう。

「ごめんね。キミのせいじゃないんだ。でもいろいろと気持ちが抑えきれなくなってしまって」

 ボクは彼に向けて頭を下げる。

 彼の顔を見ることも出来なかった。自分のことを好きだといってくれた相手に気持ちを返すこともできないのに、ただ自分の感情をぶつけてしまって、申し訳がないと思う。
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