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素性
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匠さんのことを聞いたときの皐月の様子がどうしても気になった。
でも、これ以上聞くなというような話のそらし方。
しょうがないけど、あのとき連絡先を聞かなかったことを後悔し始めた。時間が経てば経つほど、彼を思い出す。あの笑顔、話し方。想像以上に私自身が彼にとらわれていたことに気付きはじめた。蓮見商事だったらどうしようという恐れは皐月のようになってしまうかもしれないという私の気持ちが透けていた。
でも、蓮見商事じゃなくて良かったと思うのは間違いなのかもしれないと考えはじめている。あの用意周到な皐月がはぐらかしたとすると、嫌な予感しかしない。蓮見さん経由で連絡を取ってもらうことを悩みはじめた頃、思いも寄らぬことが起きた。
同じ業界の会社を集めた省庁主催でパーティ形式の説明会があった。何故かうちの社長と専務が急なトラブルで海外出張が決まり、出席できなくなったのだ。そうなると、私のボスである次男の取締役にその仕事が回ってきた。
秘書同伴も許されていたので、顔の分からない人を私が誰かを探してフォローする意味合いも含めて同行が決まってしまった。本来、社長クラスの人が出席するものだ。こういう場にまだ出慣れていない私のボスは相手の顔がわからない。失礼のないように彼のサポートをするのが私の役目だ。
恥ずかしくないように、出席前に髪をセットに行き、セミフォーマルのスーツに着替えて同行した。名札をつけて回るので、相手の名札が見えれば問題ない。私は顔よりも、名札を見ることに集中していた。そして、次々とその人の特徴をメモしていく。
そんなとき、石井取締役が私に話しかけてきた。
「ウチの最大のライバルである堂本コーポレーションも今日は社長がいなくて、副社長が来ているようだよ。先に挨拶しておこう」
そう言うと、私を連れて移動し始めた。
名札が見えた。
堂本コーポレーション副社長と書いてある。
顔を上げて相手を見る。
驚きすぎて、声が出ない。
そこには、匠さんがいた。
「匠さん。お久しぶりです」
石井取締役が名前で呼んだ。それにもびっくりした。
彼は私を見ても驚かない。
「弘君。久しぶりだね。今日はお二人のピンチヒッターかな」
「そういう、匠さんもお父様のピンチヒッターでしょ」
「まあ、そうだね。最近、腰が痛いらしくて、座れない仕事は僕に回ってくるんだよ」
苦笑いの匠さん。
私は驚きすぎて目が離せない。
「そちらは、弘君の秘書の方かな?綺麗な人だね」
褒められているのに、嬉しくない。
私を無視する気なんだと思った。
忘れているはずがない。
あの二人が付き合っているんだから、イヤでも思い出す。
「こちらは私の秘書の古川です。綺麗でしょ?ま、匠さんは美人を見慣れてるだろうからね」
「……初めまして、秘書の古川です。よろしくお願いします」
私は、完全無視を決めた。
そちらがそう来るならそうするまでだ。
彼は私の顔色を見て、驚いたようだった。
そして、私のことを凝視している。
「匠さん、ちょっといいですか?」
取締役が声をかけて、料理のある壁際へ移動しはじめた。
私は一歩後ろをゆっくりと歩く。
「蓮見商事の取引の件です。ご存じですよね?」
「ああ、そちらと取引をはじめたようだな」
「あとで、妨害はなしでお願いしますよ」
「お互い、そこまで干渉しないよ。会社同士の付き合いだ。こちらもあまりにそちらに取られるようなら何か他の取引先を補填しないといけないけどね」
「ウチと取引はじめた理由は蓮見専務と親しい匠さんならご存じですよね?」
私をチラッと見た匠さんは、答えた。
「そうだな。ご想像にお任せしよう」
ふたりの話を聞くのも……悲しかった。そして、むなしかった。
貴方にもう一度会いたいと思っていたのに。貴方はそうじゃなかったのね。
他人のふりをするなんて……。そのときは仕事だということが頭から飛んでしまっていた。彼に再会出来た喜びから無視された悲しみへ心がついていけなくなった。それだけ彼にとらわれていたのだろう。
私は少し様子が変だったかもしれない。それ以降はもう、帰りたい、彼のいるところにいたくないとそればかり考えてしまった。ここには私だけでなく秘書を同伴している役員が大勢いた。そのせいで綺麗な秘書達に囲まれて、皆知り合いなのだろう、にこやかに冗談を言いながら挨拶をしている彼を目にすることとなってしまった。
必死で仕事をしようと切り替えたころ、匠さんとすれ違った。
すると小さな声で「……今日はうなじが見えない服で良かった」
そう言い残して……彼は通り過ぎた。
振り向いた私を置き去りにして、一度も振り返らず、彼は会場の真ん中へ移動していった。
その後のことはあまり覚えていない。
「古川さん、どうした?」
何も話さなくなった私を気分でも悪いのかと勘違いした取締役が先に帰るように促してくれる。私はため息をついた。もう使い物にならないだろう。自分の事は自分でわかる。申し訳ないがお言葉に甘えて、退出を決めた。
彼の方を見ると、今度は女性経営者に囲まれている。とても人気なんだとすぐにわかった。他の人とでこんなに囲まれている人はいない。
じっと見た後、取締役に頭を下げて会場を後にした。
化粧室に寄ってから帰ろうと会場入り口の扉の前を通り過ぎようとしたとき、息を切らした匠さんが私の前に来て、腕をつかむと非常階段へ連れ込んだ。
「さっきはすまなかった。知らないフリをするのがお互いの為だと思っていた。必ずあとで君を捕まえるつもりで見張りまで頼んでおいたんだ。そんな顔しないでくれ。怒っているのか?」
「いえ。まさか、堂本コーポレーションの副社長様とは存知上げず。失礼致しました」
頭を下げて目を合わせない私に、彼は私の顔を両手でつかむと自分の方へ向けさせた。
「……会いたかった。俺だけか?君に会いたくて、裏工作までした。石井の社長と専務の出張は俺の裏工作の成果だ」
驚いて彼の顔をじっと見た。
目をむいて私を食い入るように見てる。
気づくと涙で前がかすんだ。
「どうした?本当に気分が悪いのか?」
「……私だって、ずっと会いたかった。でも、皐月にあなたのことを聞いても教えてくれなくて、何かあると思ってました。蓮見専務に直接聞こうかと悩んでいたくらいです」
蓋を開ければうちとライバル企業の副社長。そして堂本匠と言う名前。つまり、あなたは堂本コーポレーションの御曹司。本当にショックだ。
彼は、私の涙を見てそのままそっと肩を抱き寄せた。
ピクリと動いた私の肩に頭を乗せてぎゅっと抱きしめる。
「……ふたりだけでもう一度会いたい。連絡先を交換してくれ」
「会って大丈夫ですか?」
皐月が教えてくれなかったのは、こういうわけだったのだと理解した。
「我慢できない。会いたいんだ。頼む」
そう言って私を離すと、携帯アプリを開き連絡先を交換した。
「……すまない。時間がない。必ず連絡する。それと、君のボスには内緒にしてくれ。君の友人にも。僕も直也には内緒にする」
「わかりました。連絡待ってますね」
「遙。そう呼んでいい?」
「はい。匠さん」
もう一度抱き寄せると、急いで顔を見ながら手を握り、非常階段を出て行った。
しばらくそこに立ちつくした。
やっと動こうとした時、転びそうになって後ろの壁に背中を付けるとヘナヘナと座り込んでしまった。
遥、そう呼んでくれた。
我慢できない、会いたいと言ってくれた。
また、涙が頬を伝って落ちた。
嬉しかった。
彼も私と一緒の気持ちだった。
私に会うため策略まで労したと言っていた。
でも、いわゆるライバル企業。秘書になってわかったが、堂本コーポレーションとは営業先が重なったり、受注を取ったり取られたりとこの業界で最大手の二社だ。常に、話の中に出てくる会社で今の社長さんも非常に冷徹で有能だと有名なのだ。うちはふたりの息子さんが社長を支えている。いずれあそこを抜くというのが私のボスの合い言葉だった。
それなのになぜ、ボスと名前を呼び合うほど匠さんが親しい関係なのか分からないが、用心するに越したことはない。皐月を見て学んだ。プライベートは隠す方がいい。誰にも知られないように……。
落ち着くと、階段を降りて、ひとつ下の階からエレベーターに乗った。その時は、彼と想いが通じた歓びで、このあとどれだけ大変になるか想像だにしていなかった。
パーティーの日は、そのまま直帰した。
そして、その夜。
匠さんから、早速メールが入った。
声を聞きたい。
家に帰ったら電話するとあった。
待ってますと返した。
幸せだった。
電話が鳴った。
「遥?いま大丈夫か?」
優しい匠さんの声。
「はい。ちょうどお風呂上がりです。タイミング良かった。早かったですね」
「……風呂上がりとか、煽っているのか?遥」
彼の言葉にこちらが赤くなり、返事できない。
「また、髪を上げてうなじが見えてるんじゃないか」
「そんなことありません。髪下ろしてますから」
「今日は髪を下ろしていたな。やっともう一度会えた。ああ、長かったよ」
「それより、今度いつ会いますか?お忙しいでしょう……」
「遥に会うためならなんとかする。今日ほど大変なことはないだろう。早くても、さ来週の木曜日くらいになる。夜だ。いいかい?」
「もちろんです。今度は私が何としても会いに行きます」
「……遥。同じ気持ちだったことが分かって飛び上がりたいくらい嬉しかった。会場で冷ややかな目で君に睨まれたあの瞬間、死ぬかと思ったぞ」
「それを言うなら、冷たく初対面を装い、私を見ようともしなかった匠さんこそひどい。私がその後どのくらいショックだったか。誰のせいで、ボスに帰れと言われるくらいにおかしくなったと思ってるの……」
「すまなかった。今度埋め合わせさせてくれ。再来週、人に見られないように、迎えをやる。隠れ家のようなレストランがあるんだ。個室で、誰にも会わないようにできるところだ。十九時くらいに、君の会社から、ワンブロック先の時間制の駐車場に迎えの車をやる。柿崎という、私の運転手が行く。彼は身内のようなものだから、信用できる。名前を言ってきたら安心していい。心配なら、俺に電話するよう伝えておく」
「わかりました。大丈夫です」
「楽しみにしてる。それを楽しみに仕事頑張れそうだ。今日も一ヶ月前から苦労して時間を作った。楽しみに待ってたんだ」
「匠さん。私も楽しみにしてますね」
そう言うと電話を切った。
匠さんと話をした翌日。
役員フロアを歩いているときに、原田取締役と直也さんが歩いているのを見かけた。
どうやら、これから原田取締役の部屋へ行くようだ。
部屋の前では皐月がドアを開けて待っている。
皐月の前で彼女の顔を嬉しそうに見て何か話しかけている。
三人で声を上げて笑い、直也さんが部屋へ入っていった。
原田取締役が入ったあと、皐月がドアを閉めて廊下を給湯室、つまり私のいる方へ歩き出す。
私は給湯室の前で彼女を見つめていたが、気配に気づいた皐月が顔を上げてこちらを見た。
「遙。おはよう」
「おはよう。蓮見専務いらしたのね」
「うん」
皐月が珍しく、スカーフしてる。
「スカーフ珍しくない?」
小声で私に話す。
「……昨日、彼のマンションだったの。そこから来たから」
つまり……スカーフをずらしてみると、鬱血の後がいくつも。
「……同棲してないよね?」
「してない。したいと言われたけど、するつもりない」
相変わらず直球勝負なんだ、蓮見専務。
本当に皐月にメロメロなのね。
でもこの皐月が落ちるんだから、それだけ相性がいいんだろう。
コーヒーの準備をすると、給湯室を出て行く。
私も、急いで戻った。
決裁書類がたまっている石井取締役は、午前中は社内の予定だ。
ひたすらパソコンを見ながら仕事中。
私は秘書室に戻り、自分の机で仕事をかたづけていると、専務秘書から電話が入る。
「はい、午前中いっぱい弘取締役はお席でお仕事の予定ですので……」
「では、隆専務が今からそちらに行きますので、伝えておいて下さい」
「わかりました」
電話を切ると、取締役室をノックして入る。
画面から目を離さず、私の気配に「なに?」と聞いてくる。
「……隆専務がこれからこちらにいらっしゃるそうです」
「はあ?忙しいのに。あと10分待ってって言っといて」
「弘、俺だって忙しい。この話が優先だから来たんだろうが……」
私の後ろから、背の高い取締役に目元が似ている男性が入ってきた。
「兄さん。勘弁して。この書類だけだから、お願いだ。座っていて……」
「しょうがない奴だな」
「専務、何を飲まれますか?今日は美味しい葛きりがあるので、お煎茶と一緒にいかがですか?」
「……古川君。君、ホント気が利くねえ。弘にはもったいない。ウチの方へ来ない?」
「兄さん!」
「おー恐ろしい。うん、とりあえずオススメをいただこうかな」
「はい。少しお待ちください」
そう言うと、給湯室へ戻った。
「いい女だな。お前が大切にするだけのことはある」
専務がその後つぶやいた言葉は聞こえなかった。
でも、これ以上聞くなというような話のそらし方。
しょうがないけど、あのとき連絡先を聞かなかったことを後悔し始めた。時間が経てば経つほど、彼を思い出す。あの笑顔、話し方。想像以上に私自身が彼にとらわれていたことに気付きはじめた。蓮見商事だったらどうしようという恐れは皐月のようになってしまうかもしれないという私の気持ちが透けていた。
でも、蓮見商事じゃなくて良かったと思うのは間違いなのかもしれないと考えはじめている。あの用意周到な皐月がはぐらかしたとすると、嫌な予感しかしない。蓮見さん経由で連絡を取ってもらうことを悩みはじめた頃、思いも寄らぬことが起きた。
同じ業界の会社を集めた省庁主催でパーティ形式の説明会があった。何故かうちの社長と専務が急なトラブルで海外出張が決まり、出席できなくなったのだ。そうなると、私のボスである次男の取締役にその仕事が回ってきた。
秘書同伴も許されていたので、顔の分からない人を私が誰かを探してフォローする意味合いも含めて同行が決まってしまった。本来、社長クラスの人が出席するものだ。こういう場にまだ出慣れていない私のボスは相手の顔がわからない。失礼のないように彼のサポートをするのが私の役目だ。
恥ずかしくないように、出席前に髪をセットに行き、セミフォーマルのスーツに着替えて同行した。名札をつけて回るので、相手の名札が見えれば問題ない。私は顔よりも、名札を見ることに集中していた。そして、次々とその人の特徴をメモしていく。
そんなとき、石井取締役が私に話しかけてきた。
「ウチの最大のライバルである堂本コーポレーションも今日は社長がいなくて、副社長が来ているようだよ。先に挨拶しておこう」
そう言うと、私を連れて移動し始めた。
名札が見えた。
堂本コーポレーション副社長と書いてある。
顔を上げて相手を見る。
驚きすぎて、声が出ない。
そこには、匠さんがいた。
「匠さん。お久しぶりです」
石井取締役が名前で呼んだ。それにもびっくりした。
彼は私を見ても驚かない。
「弘君。久しぶりだね。今日はお二人のピンチヒッターかな」
「そういう、匠さんもお父様のピンチヒッターでしょ」
「まあ、そうだね。最近、腰が痛いらしくて、座れない仕事は僕に回ってくるんだよ」
苦笑いの匠さん。
私は驚きすぎて目が離せない。
「そちらは、弘君の秘書の方かな?綺麗な人だね」
褒められているのに、嬉しくない。
私を無視する気なんだと思った。
忘れているはずがない。
あの二人が付き合っているんだから、イヤでも思い出す。
「こちらは私の秘書の古川です。綺麗でしょ?ま、匠さんは美人を見慣れてるだろうからね」
「……初めまして、秘書の古川です。よろしくお願いします」
私は、完全無視を決めた。
そちらがそう来るならそうするまでだ。
彼は私の顔色を見て、驚いたようだった。
そして、私のことを凝視している。
「匠さん、ちょっといいですか?」
取締役が声をかけて、料理のある壁際へ移動しはじめた。
私は一歩後ろをゆっくりと歩く。
「蓮見商事の取引の件です。ご存じですよね?」
「ああ、そちらと取引をはじめたようだな」
「あとで、妨害はなしでお願いしますよ」
「お互い、そこまで干渉しないよ。会社同士の付き合いだ。こちらもあまりにそちらに取られるようなら何か他の取引先を補填しないといけないけどね」
「ウチと取引はじめた理由は蓮見専務と親しい匠さんならご存じですよね?」
私をチラッと見た匠さんは、答えた。
「そうだな。ご想像にお任せしよう」
ふたりの話を聞くのも……悲しかった。そして、むなしかった。
貴方にもう一度会いたいと思っていたのに。貴方はそうじゃなかったのね。
他人のふりをするなんて……。そのときは仕事だということが頭から飛んでしまっていた。彼に再会出来た喜びから無視された悲しみへ心がついていけなくなった。それだけ彼にとらわれていたのだろう。
私は少し様子が変だったかもしれない。それ以降はもう、帰りたい、彼のいるところにいたくないとそればかり考えてしまった。ここには私だけでなく秘書を同伴している役員が大勢いた。そのせいで綺麗な秘書達に囲まれて、皆知り合いなのだろう、にこやかに冗談を言いながら挨拶をしている彼を目にすることとなってしまった。
必死で仕事をしようと切り替えたころ、匠さんとすれ違った。
すると小さな声で「……今日はうなじが見えない服で良かった」
そう言い残して……彼は通り過ぎた。
振り向いた私を置き去りにして、一度も振り返らず、彼は会場の真ん中へ移動していった。
その後のことはあまり覚えていない。
「古川さん、どうした?」
何も話さなくなった私を気分でも悪いのかと勘違いした取締役が先に帰るように促してくれる。私はため息をついた。もう使い物にならないだろう。自分の事は自分でわかる。申し訳ないがお言葉に甘えて、退出を決めた。
彼の方を見ると、今度は女性経営者に囲まれている。とても人気なんだとすぐにわかった。他の人とでこんなに囲まれている人はいない。
じっと見た後、取締役に頭を下げて会場を後にした。
化粧室に寄ってから帰ろうと会場入り口の扉の前を通り過ぎようとしたとき、息を切らした匠さんが私の前に来て、腕をつかむと非常階段へ連れ込んだ。
「さっきはすまなかった。知らないフリをするのがお互いの為だと思っていた。必ずあとで君を捕まえるつもりで見張りまで頼んでおいたんだ。そんな顔しないでくれ。怒っているのか?」
「いえ。まさか、堂本コーポレーションの副社長様とは存知上げず。失礼致しました」
頭を下げて目を合わせない私に、彼は私の顔を両手でつかむと自分の方へ向けさせた。
「……会いたかった。俺だけか?君に会いたくて、裏工作までした。石井の社長と専務の出張は俺の裏工作の成果だ」
驚いて彼の顔をじっと見た。
目をむいて私を食い入るように見てる。
気づくと涙で前がかすんだ。
「どうした?本当に気分が悪いのか?」
「……私だって、ずっと会いたかった。でも、皐月にあなたのことを聞いても教えてくれなくて、何かあると思ってました。蓮見専務に直接聞こうかと悩んでいたくらいです」
蓋を開ければうちとライバル企業の副社長。そして堂本匠と言う名前。つまり、あなたは堂本コーポレーションの御曹司。本当にショックだ。
彼は、私の涙を見てそのままそっと肩を抱き寄せた。
ピクリと動いた私の肩に頭を乗せてぎゅっと抱きしめる。
「……ふたりだけでもう一度会いたい。連絡先を交換してくれ」
「会って大丈夫ですか?」
皐月が教えてくれなかったのは、こういうわけだったのだと理解した。
「我慢できない。会いたいんだ。頼む」
そう言って私を離すと、携帯アプリを開き連絡先を交換した。
「……すまない。時間がない。必ず連絡する。それと、君のボスには内緒にしてくれ。君の友人にも。僕も直也には内緒にする」
「わかりました。連絡待ってますね」
「遙。そう呼んでいい?」
「はい。匠さん」
もう一度抱き寄せると、急いで顔を見ながら手を握り、非常階段を出て行った。
しばらくそこに立ちつくした。
やっと動こうとした時、転びそうになって後ろの壁に背中を付けるとヘナヘナと座り込んでしまった。
遥、そう呼んでくれた。
我慢できない、会いたいと言ってくれた。
また、涙が頬を伝って落ちた。
嬉しかった。
彼も私と一緒の気持ちだった。
私に会うため策略まで労したと言っていた。
でも、いわゆるライバル企業。秘書になってわかったが、堂本コーポレーションとは営業先が重なったり、受注を取ったり取られたりとこの業界で最大手の二社だ。常に、話の中に出てくる会社で今の社長さんも非常に冷徹で有能だと有名なのだ。うちはふたりの息子さんが社長を支えている。いずれあそこを抜くというのが私のボスの合い言葉だった。
それなのになぜ、ボスと名前を呼び合うほど匠さんが親しい関係なのか分からないが、用心するに越したことはない。皐月を見て学んだ。プライベートは隠す方がいい。誰にも知られないように……。
落ち着くと、階段を降りて、ひとつ下の階からエレベーターに乗った。その時は、彼と想いが通じた歓びで、このあとどれだけ大変になるか想像だにしていなかった。
パーティーの日は、そのまま直帰した。
そして、その夜。
匠さんから、早速メールが入った。
声を聞きたい。
家に帰ったら電話するとあった。
待ってますと返した。
幸せだった。
電話が鳴った。
「遥?いま大丈夫か?」
優しい匠さんの声。
「はい。ちょうどお風呂上がりです。タイミング良かった。早かったですね」
「……風呂上がりとか、煽っているのか?遥」
彼の言葉にこちらが赤くなり、返事できない。
「また、髪を上げてうなじが見えてるんじゃないか」
「そんなことありません。髪下ろしてますから」
「今日は髪を下ろしていたな。やっともう一度会えた。ああ、長かったよ」
「それより、今度いつ会いますか?お忙しいでしょう……」
「遥に会うためならなんとかする。今日ほど大変なことはないだろう。早くても、さ来週の木曜日くらいになる。夜だ。いいかい?」
「もちろんです。今度は私が何としても会いに行きます」
「……遥。同じ気持ちだったことが分かって飛び上がりたいくらい嬉しかった。会場で冷ややかな目で君に睨まれたあの瞬間、死ぬかと思ったぞ」
「それを言うなら、冷たく初対面を装い、私を見ようともしなかった匠さんこそひどい。私がその後どのくらいショックだったか。誰のせいで、ボスに帰れと言われるくらいにおかしくなったと思ってるの……」
「すまなかった。今度埋め合わせさせてくれ。再来週、人に見られないように、迎えをやる。隠れ家のようなレストランがあるんだ。個室で、誰にも会わないようにできるところだ。十九時くらいに、君の会社から、ワンブロック先の時間制の駐車場に迎えの車をやる。柿崎という、私の運転手が行く。彼は身内のようなものだから、信用できる。名前を言ってきたら安心していい。心配なら、俺に電話するよう伝えておく」
「わかりました。大丈夫です」
「楽しみにしてる。それを楽しみに仕事頑張れそうだ。今日も一ヶ月前から苦労して時間を作った。楽しみに待ってたんだ」
「匠さん。私も楽しみにしてますね」
そう言うと電話を切った。
匠さんと話をした翌日。
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どうやら、これから原田取締役の部屋へ行くようだ。
部屋の前では皐月がドアを開けて待っている。
皐月の前で彼女の顔を嬉しそうに見て何か話しかけている。
三人で声を上げて笑い、直也さんが部屋へ入っていった。
原田取締役が入ったあと、皐月がドアを閉めて廊下を給湯室、つまり私のいる方へ歩き出す。
私は給湯室の前で彼女を見つめていたが、気配に気づいた皐月が顔を上げてこちらを見た。
「遙。おはよう」
「おはよう。蓮見専務いらしたのね」
「うん」
皐月が珍しく、スカーフしてる。
「スカーフ珍しくない?」
小声で私に話す。
「……昨日、彼のマンションだったの。そこから来たから」
つまり……スカーフをずらしてみると、鬱血の後がいくつも。
「……同棲してないよね?」
「してない。したいと言われたけど、するつもりない」
相変わらず直球勝負なんだ、蓮見専務。
本当に皐月にメロメロなのね。
でもこの皐月が落ちるんだから、それだけ相性がいいんだろう。
コーヒーの準備をすると、給湯室を出て行く。
私も、急いで戻った。
決裁書類がたまっている石井取締役は、午前中は社内の予定だ。
ひたすらパソコンを見ながら仕事中。
私は秘書室に戻り、自分の机で仕事をかたづけていると、専務秘書から電話が入る。
「はい、午前中いっぱい弘取締役はお席でお仕事の予定ですので……」
「では、隆専務が今からそちらに行きますので、伝えておいて下さい」
「わかりました」
電話を切ると、取締役室をノックして入る。
画面から目を離さず、私の気配に「なに?」と聞いてくる。
「……隆専務がこれからこちらにいらっしゃるそうです」
「はあ?忙しいのに。あと10分待ってって言っといて」
「弘、俺だって忙しい。この話が優先だから来たんだろうが……」
私の後ろから、背の高い取締役に目元が似ている男性が入ってきた。
「兄さん。勘弁して。この書類だけだから、お願いだ。座っていて……」
「しょうがない奴だな」
「専務、何を飲まれますか?今日は美味しい葛きりがあるので、お煎茶と一緒にいかがですか?」
「……古川君。君、ホント気が利くねえ。弘にはもったいない。ウチの方へ来ない?」
「兄さん!」
「おー恐ろしい。うん、とりあえずオススメをいただこうかな」
「はい。少しお待ちください」
そう言うと、給湯室へ戻った。
「いい女だな。お前が大切にするだけのことはある」
専務がその後つぶやいた言葉は聞こえなかった。
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