君がたとえあいつの秘書でも離さない

花里 美佐

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戻れぬ道へ

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 翌日夜に皐月から連絡が入った。
 
 声に元気がない。
 心配になった。
 
 「どうしたの?」
 
 「……取引の件、知ってるでしょ?」
 
 「もちろん。それで何かあったの?」
 
 「直也さんは、ウチの実家のために取引をしてくれたようだから、親は大喜び。突然持ちかけられて驚いたはずよ。私が絡んでいると知って、御曹司が相手だし勘違いしてしまって。彼の口のうまさが却ってあだになったわ」
 
 「……ねえ、皐月。本当に好きで付き合ってるのよね?」
 
 「遙からはそう見えないってことでしょ」
 
 「ごめん、言い方が悪かった。心配してるの。貴女の恋がこんなことに利用されるなんて直也さんがよかれと思ってやっているんでしょうけど、会社の関係者にあなたたちのことが知れるのはいいこととは思えない」
 
 「遙の言うとおりだわ。頭ではわかっているの。事がここまで進むとどうしようもない。雁字搦めだわ」
 
 「何度も言うようだけど、素直に自分の気持ちを見つめてね。私は皐月の味方よ」
 
 「……遙、ごめん。匠さんのこと。直也さんから口止めされてた。本当にごめんね」
 
 「いいの、知ってるから」
 
 「え?」
 
 「たまたま、業界の説明会でお会いしたから。驚いたわ。皐月がはぐらかしたのも納得した」
 
 「そうか、そうだったのね。ごめんね。話聞いてあげられなくて」
 
 「ううん。匠さんとお付き合いすることになったの」
 
 「……本当に?え?匠さんから言われたんだよね?」
 
 「そう。でも、障害が多いから本当は皐月や直也さんにも黙っていろと言われたんだ。直也さんには黙っていてくれる?どうせ、いずれどこかから耳に入るかも知れないし。直也さんと幼馴染みたいね」
 
 「匠さんと直也さんは親も知り合いの小さい頃からの付き合いらしいんだけど、親の仕事も絡んでるから普通の友人関係とはいえないでしょうね。特に、堂本コーポレーションの傘下にある蓮見商事の御曹司であれば、結局匠さんには頭が上がらないのよ」
 
 「……そうね。直也さんも男だから複雑なのかもしれない。匠さんの上に立ちたいという気持ちはあるでしょうから」

 皐月には言っておいた方がいいと思って続けた。
 
 「今回の取引のことも、直也さんから何も聞いてないって言ってたわ。だから、皐月のことも自分で調べたって言ってた」
 
 「そう。私も言ったのに。匠さんに話すべきだって。そしたら、俺の考えだから匠には関係ない。あいつにこの程度じゃ、傷にもならないって言うの。自虐的に。そういう関係なんだとその時理解したわ」
 
 「問題は、原田取締役にもあるかもしれない。大学の同窓とか?」
 
 「そう。私のことも利用して上手に話をもっていったみたい。参るわよ、本当に。一応これでも彼の秘書だし。逆らえない」
 
 「恐ろしい仕事だわね。そう考えると」
 
 「人ごとみたいに言わないで。遙だって、ライバル企業の次期社長候補と付き合ってるなんて知れたら、大変よ。守秘義務があるから、絶対反対される」
 
 「……」
 
 「だから、直也さんは言うなって言ったのよ。匠さんは私の会社名彼から聞いていたはずだし。遙に接触することは危険なことだってわかっていたはず。よく連絡してきたわね」
 
 「そうね。言われて更に痛感してきた。私大丈夫なのかな?」
 
 「迷うならやめなさい。まだ、傷が浅いうちに。こんなこと聞くのは野暮だけど、そういう関係になってしまった?」
 
 「いいえ、まだ」
 
 「なら、よく考えて。引き返せない道かもしれない」
 
 「皐月は引き返せない道なの?」
 
 「……引き返せるかも知れないけど、代償は大きいと思う。公私ともに」
 
 「公私は区別すべきというのは本当かも知れない。区別すれば付き合えるのかな?でも周りが信じてくれないか……」

 「あの出会いは運命だったと言えるときが来るといいね。直也さんも、匠さんも素晴らしい男性よ。乗り越えてうまくいくと私達幸せになれるかも知れない」
 
 皐月……。
 本当にナーバスになってる。
 
 「お互い、これからは隠し事なしにしよう。そして、一番の味方でいよう。彼のことは置いておいて。お互いを一番に信用しよう。どう?」
 皐月に提案する。
 
 「……わかった。そうしよう。火だるまになってもお互いのことを信じて助け合おう」
 
 「うん。皐月も身体に気をつけて。何があれば言ってね」
 
 「……ありがとう。じゃあ、明日ね。会えたら」
 
 「うん。おやすみ」

 そういう関係か……。引き返すなら今か……。
 考えれば考えるほど彼に会いたくなり、何もかも投げ出してそちらに行きたくなる。
 
 深い関係になってから、こんなことになった皐月は大変だ。
 
 でも、直也さんのようなことを匠さんはしないような気がする。
 私のために、会社の取引を使ったりは絶対しないんじゃないかと思う。
 
 そういう人には思えない。この間話していた様子を見ても会社経営というものを高校時代から深く考えている。
 従業員を大切にしているし、公私混同はしないような気がする。

 匠さんと会う日が近づいてきた。

 金曜日の仕事が終わり次第会おうと言われて、もしかするとそういうことになるかもしれないと着替えを準備した。
 
 すると、仕事で終わるのが遅くなると言うので、無理にその日にしなくてもいいのではと言ったのだが、どうしてもというので匠さんの会社の近くのカフェで軽く食べながら待っていた。

 すると、匠さんがエレベーターから出てくるのが見えた。
 女性秘書が付いてきている。

 距離が近い。
 私だったら、もう一歩下がっている。
 
 嬉しそうな顔を匠さんに向けている。
 匠さんも笑いながら話している。

 胸の中がチリチリする。
 キュウッと締め付けられるような。

 これは、嫉妬。その昔に感じたことのある感情。
 まだ、そういう関係ではない片思いの人に対して、感じたときもある。

 見ていられなくて、目を背けてしまう。
 ここにいることは伝えていなかった。

 彼は、受付でお客様と話しながら、またエレベーターへ。
 秘書と三人であがっていってしまった。

 今日はやめよう。そう思った。
 そして、カフェを出ようとした。
 
 その時、声をかけられた。

 「古川さん」
 
 振り向くと、ボスが立っている。
 
 どうして?
 今日は会食だったはずなのに。
 
 「今日の会食はすぐに終わったんだ。君も上がったし、僕も久しぶりにのんびり通りを歩いていたら、このカフェに君がいるのを見てね。君はずーっとあっちを見ているから気がつかなかったんじゃないか?」
 
 なんだろう。
 いつもの弘取締役とちょっと違うような。
 何か昏い目をしている。

 「ええ、ちょっと待ち合わせをしようとしていたんですが、遅くなったので出ようかと」
 
 「そう。良かった。じゃあ僕と食事でもどう?プライベートとして」
 
 にこりと笑っているのだが、何か怖い。

 「どうなさったんですか?公私混同されないとおっしゃっていたのに」
 
 「だから、お互い今はプライベートだよ。そうだろ、終業後なんだから」

 突然、腕を引かれた。
 何?びっくりして一歩後ろへ下がる。

 「行こうよ。たまにはいいだろ?」
 
 「ですから、私は待ち合わせを……」
 
 もう一歩下がる。すると前に出てくる。腕を強く握られる。

 「遅くなったんだから、今日は断ればいいよ。ちなみに誰と約束していたのかな?あのビルから出てくる人を見ていたみたいだけど。あのビルが何の会社か知ってるんだよね?」
 
 「友人がいるんです」
 
 「ふーん。そう。さっき凝視していたのは秘書のほう?そうは見えなかったけど」
 
 「……取締役。どうされたんですか?私のプライベートは関係ないと思うんです」
 
 「そうだね。この間言ったこと忘れた?僕の秘書なんだから気をつけてって。蓮見専務のような人に引っかからないようにね」

 どうしたの?本当に怖い。
 すると、後ろから「あの」と声がする。振り向いた。

 そこにいるのは、堂本コーポレーションの秘書室長だった。
 
 「お話し中すみません。古川さん、当社の社員から伝言を預かってまして、お部屋でお待ち頂きたいとのことです。ご案内させていただきます」
 
 恭しく頭を下げる。
 
 「石井コーポレーションの石井取締役でいらっしゃいますね?ご無礼申し訳ございません。私は、堂本コーポレーションの秘書室長の柿崎です」
 
 「知っているよ。で、ウチの古川さんを呼んでいるのは、そちらの役員なんだね?」
 
 「……それに関してはこちらではお答えできません。ご了承ください」
 
 「……ふーん。じゃあ、その役員の方にお伝えください。彼女は簡単には渡さないと」
 
 どういうこと?
 びっくりして弘取締役を見つめると、彼はニヤッと笑い私に言った。
 
 「この間の業界説明会。どうして僕に仕事が回ってきたのか、ちょっと調べたらここに行き着いたんだ。僕には心当たりがないからね、君かもと思ってちょっと探っていたんだけど。まあいいよ。古川さんも自分の立場を忘れるなよ」
 
 「何か誤解されているようですが、ご心配のようなことはありません。それにプライベートについては、いくら上司でも従えません」
 
 ハッキリと目を見て言う。
 
 「古川さん。来週ゆっくり話し合おう。じゃ、今日はこれで引き下がるとしようかな」
 
 そう言うと、背中を向けていなくなった。

 「古川さん。ではこちらへどうぞ」
 
 柿崎さんについて、堂本コーポレーションのビルへ入る。
 
 エレベーターに乗せられた。

 「上の窓から古川さんが見えたんです。でも、上司と部下にしては様子が変で、腕を取られて後ずさっているのを見て、すぐに匠様にお伝えしてお迎えに来たのです。大丈夫でしたか?」
 
 「ありがとうございました、助かりました。驚いてしまって。あんな姿見たことなかったので」
 
 「……そうですか。恐らく、古川さんには隠していることが多そうですね。私が知る限り、少なくともあれが石井取締役の本来の姿です。詳しくは匠様にお聞き下さい」
 
 エレベーターを降りると、素晴らしい赤い絨毯が続いている。
 ウチの役員フロアよりも荘厳な感じ。

 柿崎さんに連れられて、一番手前の応接室のひとつに入る。
 ブラインドを下ろして外から見えないようにする。
 
 「もうそろそろ匠様のお客様もお帰りと思います。今日はそれで上がられますので、少しだけお待ちください」
 
 そう言うと、柿崎さんは出て行った。

 十五分後、ノックの音がして、匠さんが入ってきた。
 すぐに、私の所へ来ると、大丈夫だったか?と顔をのぞき込む。

 「はい。助けて頂きありがとうございました」
 
 「弘君は油断ならないと言っただろ。どうしてあそこにいたんだ。もしかすると君をつけているんじゃないか?」
 
 「……匠さん。この間の業界説明会、どうして取締役が出席することになったのか調べたそうです。そして、ここに行き着いたと言ってました。自分ではなく、私がターゲットだろうと。びっくりしました。そんなこと考える人だったなんて」

 驚いた表情をして、固まっている。
 
 「……そうか。こちらも弘君を監視する必要がありそうだな。特に君は危ないかもしれない。ストーカーまがいのことをされる可能性もある。それでなくても、普段は上司と部下で二人っきりになる時間が多い。危険すぎる」
 
 恐ろしくなって、手を握り合わせ青くなって立っていると、そうっと私を包み込む優しい腕。

 「大丈夫だ。君と付き合うと決めたんだ。何が何でも君を守るから。持っているモノを全て使うよ」
 
 「やめてください。匠さんのお仕事の邪魔にはなりたくないです。私のために会社の何かを使うとか絶対やめてください」
 
 必死になってしまった。皐月のこともある。
 公私混同は絶対いけない。

 「大丈夫だよ。行こう」
 
 そう言うと私の手を引いて、下の駐車場へ。
 
 私達を待っていたのは先ほどの柿崎秘書室長。
 
 「食事は?」
 
 「先ほど、カフェで軽く食べました」

 「そう。じゃあ、直接僕のマンションでもいいかな?食べるものはコンシェルジュに頼んでおくから」
 
 そう言うと、耳元から小声で尋ねる。
 
 「……今日は家へ帰さなくても大丈夫?」
 
 「……はい」

 頭を上げて、運転席の柿崎さんへ指示する。
 
 「柿崎、マンションへ。そのまま今日は仕事上がってもらって構わない」
 
 「はい。わかりました。コンシェルジュにはどうしますか?」
 
 「そうだな、いつもの温かい鍋などをひとつ頼んでくれ」
 
 「わかりました」
 
 柿崎さんはそう言うと、携帯で連絡を取り始めた。
 終わると、出ますと言う言葉と共にエンジンをかけて発進した。
 
 車の中では彼が私の手を握っていた。
 話は特にしなかったが、疲れていたので少しうつらうつらしてしまった。

 「着いたよ」
 
 そう言われて、車を降りる。
 彼に手を引かれて、最上階へ。
 
 ワンフロアにひとつの扉。
 緊張して入ると、まるでホテルのような広い部屋だった。

 すぐにコンシェルジュが来て、鍋をセットしていく。
 水炊きだった。
 
 「夜は、あっさりとしているから食べやすいんだ。君も食べられるなら食べて」
 
 そう言うと、自ら入れ物とワインなどを並べだした。
 ポン酢に大根おろしもついている。あっさり食べられそう。
 私は、入れ物をもらうと、鍋の蓋をあけて、軽く二人分よそった。

 「先ほど、話したように弘君がこの間の件を探ってたどり着いたということは、相当警戒しているな。石井コーポレーションをウチを超える会社にしたいと高校時代から言っていた。兄の隆は冗談としか思っていなかったようだが、この間言っていた部活でも弘君の手腕は飛び抜けている。隆も、現社長もおそらく弘君に頼りきりだろう。とうとう、取締役になった。これからが勝負だ」

 「そうなんですね。今日の取締役は怖かった。私を囲い込むように、まるで見ていたかのように。私が匠さんを見ていたのをずっと観察していたんだと思います」
 
 「俺を見てた?」
 
 「……カフェで待っていたんです。綺麗な秘書の方と降りてこられて、受付のお客様と上がって行かれましたよね?」
 
 「……遙。そんな前からいたのか?何で連絡してこない」
 
 「忙しくて、遅くなるんだって分かってましたから」
 
 「遙、約束だ。いいか、俺に遠慮はしないこと。それから、俺が何を決断しようと、心配するな」
 
 「信じているので、大丈夫です。でも、私も匠さんを守りたいの。だから私のせいでどうにかなるのはイヤなの」

 匠さんは私のほうへ来ると、ぎゅっと抱きしめた。
 
 「聞いてくれ。君に何かあったら俺はどうなると思う。それこそ、ブレーキがきかなくなって、会社ぐるみで復讐するかもしれないぞ。そうなる前に止めさせてくれと言っているんだ。わかったか?早めに連絡してくれ、いいな」
 
 「わかりました。でも、私の気持ちも知っていてください」
 
 「わかってるよ。そういう所も好きなところなんだよな。他の女だったら喜ぶところを拒絶するんだから」

 その後私をじっと見つめて、顎をつかむ。
 気配がして、目を閉じる。
 するとこの間と同じ温かい唇が落ちてきた。
 
 そのまま、深くキスされて、いい?と聞かれる。
 小さく頷くとそのままベッドルームへ抱いて連れて行かれた。

 ほの暗い光の中でいつの間にか彼の手で全部剥ぎ取られている。
 ゆっくり優しく唇で触れられていく。
 
 「もう、遙は俺だけのものになる覚悟はできたね?大丈夫守るよ」
 
 そう言うと、好きだよという耳元の言葉と一緒に彼が入ってきた。
 
 「……あーもうダメなの……」
 
 「……どこが?……こんななのにうそはだめだよ……」
 
 皐月の深い関係になると戻れないかもという言葉が頭に警笛のように響く。
 何か私が別なことを考えているのを匠さんに見破られた。
 
 彼に「こっちだよ」そう言われて顔を自分のほうに向けさせた。
 
 そのまま渦の中にまた巻き込まれ揺れていく。
 
 「何も心配いらない。信じてくれ。守るから」

 寝落ちする前に聞こえた彼の言葉。信じているわ、匠さん。
 

 
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