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第六話 『精神体が飛んでくるってっ、なんか生霊みたい』
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華とフィンの突き刺さる様な視線が優斗へと注がれる。 こめかみと背中に、じわっと冷や汗が流れていく。 透き通っていて実体がないので、精神体ではなく、本体の方でだ。
華の周囲で、自身の魔力が溢れて出て拡がっていく様子が視界に飛び込んで来た。
(これはっ、前世では視えなかったよなっ……)
華は自身の1メートル範囲に優斗の魔力を感じたのか、透き通った優斗の精神体を凝視して来た。 視線が合うと、華は優斗との間にあるソファーセットを避けて、優斗の方へ駆け寄って来る。 優斗も精神体だという事を忘れ、両手を拡げて華を受け止める態勢に入った。 脳裏で華を抱きしめる感触を思い出し、白銀の瞳を細める。
そして、華が視界から消えたと同時に。
重い何かが床に打ち付ける音と、華の叫び声が部屋で響き渡った。
華は胸に飛び込んで来た瞬間、優斗の身体をスルっと通り抜けたのだ。 更に『ぶへっ』と女の子にとっては恥ずかしい叫び声が零れた。 華は無様に床へ全身を打ち付けていて、起き上がった華の顔は真っ赤に染まっていた。 特に鼻が赤く腫れていて、涙目になっている。
一瞬で部屋が静寂に包まれたそんな中、優斗の喉が上下して、息を呑む音が静まり返った部屋に落ちる。
「は、華っ、大丈夫かっ……っ」
涙目で小さく頷く華は、『とても可愛い』と華には申し訳ないが、胸が高鳴ってしまった。 しかし、唖然とした表情で優斗を見ていたフィンの次のセリフで、華の表情が陰った。
「透き通っていて、実態がないという事は、ユウトの精神体なのかしら?」
「えっ! 精神体?! という事は本物じゃないの?! もしかして、あなたっ。 お化けか、何かなのっ! それとも、魔族?!」
「違うっ、違うっ」
華の慌てふためく姿に、優斗は慌てて顔の前で両手を振った。
(誤解されたらまずいっ! 華はお化けとか嫌いだからなっ)
「じゃ、本物の優斗の精神体なの?」
華はとても慎重に訊いてきた。 フィンは優斗を半眼でじとっと見つめてくる。
フィンが何を考えているか察して、とても居たたまれなく、本体でじわっと冷や汗が噴き出た。 優斗は華に引かれるかもと思うと、身体を揺らして落ち着きなく答えた。
「う、うん。 そうなんだ。 監視スキルが華の位置情報を送るって。 それで、頭の中で3Dの地図が拡がって。 今思えば、まるで映画で出て来るCGみたいだったな」
「もしかして、3Dの地図上を飛んだの?」
「うん。 ドローンみたいに、中々圧巻だったよ」
「うわぁ、私も見てみたいなぁ。 その光景」
和気あいあいと華と話していると、未だに半眼で見つめてくるフィンが小さく呟いた。
「精神体が飛んでくるってっ、なんか生霊みたい」
優斗と華の全身が一瞬で固まった。
膝をつき合わせて話していた華が横目で見つめてきた後、ゆっくりと優斗から一人分のスペースを開けて離れた。 華の反応に衝撃を受けた優斗の胸を抉る。
「華、大丈夫だっ。 生霊じゃないからっ?!」
華とフィンが優斗からじりっと、身体半分仰け反った。 二人の様子に優斗の心がおろし金で削られていく。
「くそっ、何でこんな事に?! それにどうやって元に戻るんだ?」
螺旋階段を上がって来る複数の足音と、複数の人が華の名を呼んでいる声が部屋の外から聞こえてきた。
部屋の外の物々しい物音に、優斗たちは部屋の扉を振り返った。 大勢の人が華の部屋に向かって来ている事に気づき、優斗たちは物凄く慌てた。 特に華の父親にバレたらとても不味い。
(不味いっ! 華の父親から、定例のお茶会以外で華に会うのは禁止だって言われてるんだった!)
どうやら、華の叫び声と床に倒れ込んだ音は結構な騒音だったようだ。
部屋の外で『姫様?!』と呼ぶ数人の使用人の声が聞こえる。 華とフィンも慌てて優斗を隠そうと、前へ立ちはだかった。
華の今世の父親はエルフの里長をしているくらいだから、とても規律に厳しい。
他人にも、自身にもとても厳しい人なのだ。 こんな形で華と密会している事がバレたら。 優斗や華、それにフィンや使用人たちも巻き添えを喰い、ただではすまない。
華とフィンが懸命に優斗を隠そうとしている間も、向かって来る使用人の足音が増えていく。
しかし、無情にも優斗が完全に隠れる前に部屋の扉はノックもなく開け放たれた。
不敬だが、緊急事態を想定している為、仕方がないだろう。 使用人には有事の際、迅速な対応が求められる。
里長に叱られる事はないだろう。
男女数十人のお仕着せを着た使用人が華の部屋になだれ込んで入って来た。
中には戦士隊の隊員も混じっていた。
(この1棟のログハウスで、こんなに人が居たのかっ?!)
華の部屋の1段下のログハウスは、華の警護の為、戦士隊の詰め所になっている。
詰め所からも応援が寄せられ、多くの人が駆けつけていた。 なだれ込んだ使用人と、身構える優斗たちの視線がぶつかる。
正確には、華とフィンだけだが。
(不味いっ!)
華とフィン以外誰も居ない部屋の中を数十人の使用人が警戒心を露わに、部屋の中を不安げに見渡す。 中にはフライパンや箒を構えている者、花瓶を持ち上げている者もいた。 使用人たちは、華とフィンだけしかいない事を確認すると、一様に身体の力を抜いて、安心した表情を見せた。
「姫様、ご無事の様ですね。 ん? お二人とも両手を拡げて何をしていらっしゃるんです?」
華とフィンの奇行に、専用メイドが首を傾げて不思議そうに問いかけてきた。
優斗たちは使用人たちの様子に目を見開いて見つめた。 どうやら、優斗の姿は使用人たちには視えていないらしい。
『さっき言ったよ。 ハナと、ハナと繋がってるフィンにしか視えていないって。 だから、ユウトの声もハナとフィンにしか聞こえていないよ』
聞き慣れた監視スキルの声が再び頭の中で響いた。 そう言えばそんな事を言っていたなと思い出した。 今、思い出した事を華とフィンへ伝えると、更に大きく目を見開いて驚かれた。
「ハナにしか視えない様になってるって、益々、い」
「生霊じゃないからっ!」
優斗はフィンの言葉を遮り、食い気味に叫んだ。
ブツブツと独り言を言っている様に見えるフィンを訝し気に見ている使用人たちへ、華が大丈夫だと請け負い。
転んでしまって床に顔を打ち付けてしまっただけだと打ち明けた。 実際に鼻の頭を赤くしている華に気づき、『急いで手当を』と専用メイドが動き出した。
何事もなく賊なども居ない様なので、他の使用人たちは持ち場へと戻って行った。
ちゃんと順番待ちをして部屋を出て行く使用人を眺めながら、優斗は華との身分の差を初めて感じていた。
(まぁ、それで尻込みするつもりも、諦めるつもりもないけど。 でも、大事にされてる様でなりよりだ)
メイドが救急箱を持ってきて、打ち身の手当を始める。 エルフの里では簡単な傷を治す際、魔力を使う治癒魔法は使用しない。 大体は薬草から作った軟膏を使う。
治療魔法に身体が慣れると、治療魔法が効かなくなるという副作用があるからだ。
優斗は華の治療が終わるまで大人しく待った。
軟膏の薬瓶や綿、絆創膏が救急箱に仕舞われ、留め金の蓋が軽い音を鳴らして閉じられた。
「はい、終わりましたよ。 姫様、お気を付けください。 嫁入り前の女の子なんですから、顔に傷が残ったら、旦那様が悲しみます。 それにレアンドロス様にも、お婿に来てもらえなくなりますよ」
「優斗はそんな事で婿に来てくれなくなるなんて事はないわ」
「そうだとしても、気を付ける事に越したことはありません」
「……はい、ごめんなさい」
メイドにピシャリと言われて、華は何も言えないと小さくなっていた。 手当を終えると、メイドは礼をしてから部屋を出て行った。 監視スキルの言う通り、メイドは優斗に全く気付かなかった。
メイドが出て行く様子をじっと見つめていたが、優斗の視線も感じていない様だった。
華が優斗の前で膝をつき合わせ、顔をずいっと近づけて来た。 優斗の胸が小さく跳ねて、透き通っているはずの肌が、じわっと朱に染まる。 華は真剣な眼差しで問いかけてきた。
「今更だけど、精神体が飛んで来るって、本体は大丈夫なの?」
心配してくれているのは分かっているのだが、訊き様によってはとても危ない奴に聞こえる。
華の後ろから覗き込み、意地悪な笑みを向けてくるフィンに目を細めて視線を送った後、華と向き合ってから安心させる様に柔らかい笑みを浮かべた。
「大丈夫。 監視スキルの能力だし、何ともないよ。 さっきまで、家で魔力を感知する為の瞑想をしてたんだ。 それで、魔力が目覚めた途端、監視スキルが発動してさ。 華の安否確認が自動で行われて、今に至るって感じかな」
『パワーアップしてるでしょ、僕』
監視スキルの声は無視して話を続けようとしてから、瞑想という言葉で先ほどリューと話した事を思い出した。
(そうだ、リューさんから聞いたベネディクトの話を華にもしないとっ。 華は王女さまの事、気にしてたしなっ……)
『ええっ?! 優斗の生霊が華ちゃんとこに飛んで来たっ!!』と、突然、本体の背後で瑠衣の叫び声が、本体の耳に飛び込んで来た。 優斗の本体が小さく跳ねた。
『まじでっ、とうとうそこまで来たのっ!!』、と言っている仁奈の声も本体の耳に届く。
何か弁明しないともっと騒がれる事になる。 そして、戻ったらきっと瑠衣たちから揶揄われて遊ばれる事は間違いない。
本体の背中に流れる汗が止まらない。
誰がチクったのかは明白だ。 じろっとフィンを見ると、赤い舌を出して悪びれる事もなく、優斗から視線を逸らした。
(フィンがフィルにチクったんだなっ……折角、華と話せるのにっ)
眉を下げて無念、と肩を落としている優斗の口から息が大量に吐き出された。
「華、ごめん。 色々と話さないとなんだけど、ちょっと後ろが騒がしくなってきたから戻るよ」
「あ、うん。 分かった」
華は瑠衣たちとも付き合いが長いので、本体の背後でどんな騒ぎになっているか正確に察し、心配そうな表情をした。
少し『もう帰るのか』と寂し気な表情も混じっている。 別れを惜しむ華には悪いが、胸にじわっと歓喜が沸き上がる。
優斗も同じ気持ちだったからだ。
(でも、精神体を飛ばせる様になったんだから、寂しいのは今だけだ)
「これからは毎日、会えるから。 華、また夜に来ていい?」
監視スキルが戻って来たから、スキルをオフ状態にしない限り、優斗の脳裏で華の映像がずっと流れて来るし、華の声も聞こえて来る。 前世では、結界で繋がって華と話が出来たが、今世は出来るかまだ分からない。 精神体が飛ぶなど、今世の監視スキルもぶっ飛んでいる。
華と月2回しか会えないのはとても寂しいと思っていた。 離れていても華と顔を合わせて毎日話せる事が、とても嬉しい事だと優斗は思った。
(そうだっ! テレビ電話と同じだと思えば、全然、おかしくないよなっ!)
『ん? それは現実逃避なの?』
脳内で響く監視スキルの声は聞こえなかった振りをして、普通の人は精神体自体を飛ばせない事を都合よく忘れる事にした。
夜にまた来ると聞いた華は、ぱぁと表情を明るく輝かせ、直ぐに華は嬉しそうに大きく頷いた。
微笑み合う二人をフィンは何も言わず、茶化しもせずに優しい表情で見つめてくるのが、視界の端に映った。 少しだけ気恥ずかしくなった。
(どうしたら元に戻るんだ?)
『簡単だよ。 本体の方へ意識を向けるんだ。 そしたら自動的に戻る』
(分かった)
「じゃ、華。 今夜にね」
「うん、待ってる」
華の返事を聞いてから、監視スキルの言う通りに本体の方へ意識を向ける。
行きとは違い、帰りは一瞬だった。
長い白銀の睫毛に縁どられた目蓋を何度も瞬かせた。 目の前の景色が変わり、華とフィンの姿が消えた後、優斗の視界に瞑想部屋が飛び込んで来た。
じんわりと体温を奪われる冷たい床板、丸太の壁に天井、横長の明り取りの窓から僅かな陽が射し、少し薄暗い瞑想部屋を照らしている。 確かに精神体を飛ばす前に居た瞑想部屋で間違いない。
優斗の目の前では、瑠衣と仁奈が手を振ったり、覗き込んで来たりしていた。
フィルも優斗の膝の上で飛び跳ねている。 瑠衣と仁奈、フィルの3人の所業に、優斗は眉間に深く皺を寄せた。
『ハナの最新の映像です』
監視スキルの声が頭の中で響く。
華の映像が流れ、監視スキルが戻って来た事を優斗は改めて実感した。 映像の中の華は、まだ優斗がいた場所を見つめていた。 そして、優斗のスキル越しの視線を感じたのか、にっこりと微笑んだ。
華の周囲に自身の魔力が漂っているのが視える。
華の手が優斗の魔力が溢れ出る場所、周囲1メートルの範囲を愛しそうに撫でた。
一気に全身の血が熱くなり、沸騰した様に優斗の体温が上昇した。 直ぐに華を抱きしめに行きたくなったが、未だに瑠衣たちが優斗の正気を戻そうと身体を揺すったり、ぺちぺちと頬を叩く事により、全てが霧散した。
優斗は脱力し、肩を落として息を吐き出した。 もっと華との繋がりを堪能したかったのに、と。
華の周囲で、自身の魔力が溢れて出て拡がっていく様子が視界に飛び込んで来た。
(これはっ、前世では視えなかったよなっ……)
華は自身の1メートル範囲に優斗の魔力を感じたのか、透き通った優斗の精神体を凝視して来た。 視線が合うと、華は優斗との間にあるソファーセットを避けて、優斗の方へ駆け寄って来る。 優斗も精神体だという事を忘れ、両手を拡げて華を受け止める態勢に入った。 脳裏で華を抱きしめる感触を思い出し、白銀の瞳を細める。
そして、華が視界から消えたと同時に。
重い何かが床に打ち付ける音と、華の叫び声が部屋で響き渡った。
華は胸に飛び込んで来た瞬間、優斗の身体をスルっと通り抜けたのだ。 更に『ぶへっ』と女の子にとっては恥ずかしい叫び声が零れた。 華は無様に床へ全身を打ち付けていて、起き上がった華の顔は真っ赤に染まっていた。 特に鼻が赤く腫れていて、涙目になっている。
一瞬で部屋が静寂に包まれたそんな中、優斗の喉が上下して、息を呑む音が静まり返った部屋に落ちる。
「は、華っ、大丈夫かっ……っ」
涙目で小さく頷く華は、『とても可愛い』と華には申し訳ないが、胸が高鳴ってしまった。 しかし、唖然とした表情で優斗を見ていたフィンの次のセリフで、華の表情が陰った。
「透き通っていて、実態がないという事は、ユウトの精神体なのかしら?」
「えっ! 精神体?! という事は本物じゃないの?! もしかして、あなたっ。 お化けか、何かなのっ! それとも、魔族?!」
「違うっ、違うっ」
華の慌てふためく姿に、優斗は慌てて顔の前で両手を振った。
(誤解されたらまずいっ! 華はお化けとか嫌いだからなっ)
「じゃ、本物の優斗の精神体なの?」
華はとても慎重に訊いてきた。 フィンは優斗を半眼でじとっと見つめてくる。
フィンが何を考えているか察して、とても居たたまれなく、本体でじわっと冷や汗が噴き出た。 優斗は華に引かれるかもと思うと、身体を揺らして落ち着きなく答えた。
「う、うん。 そうなんだ。 監視スキルが華の位置情報を送るって。 それで、頭の中で3Dの地図が拡がって。 今思えば、まるで映画で出て来るCGみたいだったな」
「もしかして、3Dの地図上を飛んだの?」
「うん。 ドローンみたいに、中々圧巻だったよ」
「うわぁ、私も見てみたいなぁ。 その光景」
和気あいあいと華と話していると、未だに半眼で見つめてくるフィンが小さく呟いた。
「精神体が飛んでくるってっ、なんか生霊みたい」
優斗と華の全身が一瞬で固まった。
膝をつき合わせて話していた華が横目で見つめてきた後、ゆっくりと優斗から一人分のスペースを開けて離れた。 華の反応に衝撃を受けた優斗の胸を抉る。
「華、大丈夫だっ。 生霊じゃないからっ?!」
華とフィンが優斗からじりっと、身体半分仰け反った。 二人の様子に優斗の心がおろし金で削られていく。
「くそっ、何でこんな事に?! それにどうやって元に戻るんだ?」
螺旋階段を上がって来る複数の足音と、複数の人が華の名を呼んでいる声が部屋の外から聞こえてきた。
部屋の外の物々しい物音に、優斗たちは部屋の扉を振り返った。 大勢の人が華の部屋に向かって来ている事に気づき、優斗たちは物凄く慌てた。 特に華の父親にバレたらとても不味い。
(不味いっ! 華の父親から、定例のお茶会以外で華に会うのは禁止だって言われてるんだった!)
どうやら、華の叫び声と床に倒れ込んだ音は結構な騒音だったようだ。
部屋の外で『姫様?!』と呼ぶ数人の使用人の声が聞こえる。 華とフィンも慌てて優斗を隠そうと、前へ立ちはだかった。
華の今世の父親はエルフの里長をしているくらいだから、とても規律に厳しい。
他人にも、自身にもとても厳しい人なのだ。 こんな形で華と密会している事がバレたら。 優斗や華、それにフィンや使用人たちも巻き添えを喰い、ただではすまない。
華とフィンが懸命に優斗を隠そうとしている間も、向かって来る使用人の足音が増えていく。
しかし、無情にも優斗が完全に隠れる前に部屋の扉はノックもなく開け放たれた。
不敬だが、緊急事態を想定している為、仕方がないだろう。 使用人には有事の際、迅速な対応が求められる。
里長に叱られる事はないだろう。
男女数十人のお仕着せを着た使用人が華の部屋になだれ込んで入って来た。
中には戦士隊の隊員も混じっていた。
(この1棟のログハウスで、こんなに人が居たのかっ?!)
華の部屋の1段下のログハウスは、華の警護の為、戦士隊の詰め所になっている。
詰め所からも応援が寄せられ、多くの人が駆けつけていた。 なだれ込んだ使用人と、身構える優斗たちの視線がぶつかる。
正確には、華とフィンだけだが。
(不味いっ!)
華とフィン以外誰も居ない部屋の中を数十人の使用人が警戒心を露わに、部屋の中を不安げに見渡す。 中にはフライパンや箒を構えている者、花瓶を持ち上げている者もいた。 使用人たちは、華とフィンだけしかいない事を確認すると、一様に身体の力を抜いて、安心した表情を見せた。
「姫様、ご無事の様ですね。 ん? お二人とも両手を拡げて何をしていらっしゃるんです?」
華とフィンの奇行に、専用メイドが首を傾げて不思議そうに問いかけてきた。
優斗たちは使用人たちの様子に目を見開いて見つめた。 どうやら、優斗の姿は使用人たちには視えていないらしい。
『さっき言ったよ。 ハナと、ハナと繋がってるフィンにしか視えていないって。 だから、ユウトの声もハナとフィンにしか聞こえていないよ』
聞き慣れた監視スキルの声が再び頭の中で響いた。 そう言えばそんな事を言っていたなと思い出した。 今、思い出した事を華とフィンへ伝えると、更に大きく目を見開いて驚かれた。
「ハナにしか視えない様になってるって、益々、い」
「生霊じゃないからっ!」
優斗はフィンの言葉を遮り、食い気味に叫んだ。
ブツブツと独り言を言っている様に見えるフィンを訝し気に見ている使用人たちへ、華が大丈夫だと請け負い。
転んでしまって床に顔を打ち付けてしまっただけだと打ち明けた。 実際に鼻の頭を赤くしている華に気づき、『急いで手当を』と専用メイドが動き出した。
何事もなく賊なども居ない様なので、他の使用人たちは持ち場へと戻って行った。
ちゃんと順番待ちをして部屋を出て行く使用人を眺めながら、優斗は華との身分の差を初めて感じていた。
(まぁ、それで尻込みするつもりも、諦めるつもりもないけど。 でも、大事にされてる様でなりよりだ)
メイドが救急箱を持ってきて、打ち身の手当を始める。 エルフの里では簡単な傷を治す際、魔力を使う治癒魔法は使用しない。 大体は薬草から作った軟膏を使う。
治療魔法に身体が慣れると、治療魔法が効かなくなるという副作用があるからだ。
優斗は華の治療が終わるまで大人しく待った。
軟膏の薬瓶や綿、絆創膏が救急箱に仕舞われ、留め金の蓋が軽い音を鳴らして閉じられた。
「はい、終わりましたよ。 姫様、お気を付けください。 嫁入り前の女の子なんですから、顔に傷が残ったら、旦那様が悲しみます。 それにレアンドロス様にも、お婿に来てもらえなくなりますよ」
「優斗はそんな事で婿に来てくれなくなるなんて事はないわ」
「そうだとしても、気を付ける事に越したことはありません」
「……はい、ごめんなさい」
メイドにピシャリと言われて、華は何も言えないと小さくなっていた。 手当を終えると、メイドは礼をしてから部屋を出て行った。 監視スキルの言う通り、メイドは優斗に全く気付かなかった。
メイドが出て行く様子をじっと見つめていたが、優斗の視線も感じていない様だった。
華が優斗の前で膝をつき合わせ、顔をずいっと近づけて来た。 優斗の胸が小さく跳ねて、透き通っているはずの肌が、じわっと朱に染まる。 華は真剣な眼差しで問いかけてきた。
「今更だけど、精神体が飛んで来るって、本体は大丈夫なの?」
心配してくれているのは分かっているのだが、訊き様によってはとても危ない奴に聞こえる。
華の後ろから覗き込み、意地悪な笑みを向けてくるフィンに目を細めて視線を送った後、華と向き合ってから安心させる様に柔らかい笑みを浮かべた。
「大丈夫。 監視スキルの能力だし、何ともないよ。 さっきまで、家で魔力を感知する為の瞑想をしてたんだ。 それで、魔力が目覚めた途端、監視スキルが発動してさ。 華の安否確認が自動で行われて、今に至るって感じかな」
『パワーアップしてるでしょ、僕』
監視スキルの声は無視して話を続けようとしてから、瞑想という言葉で先ほどリューと話した事を思い出した。
(そうだ、リューさんから聞いたベネディクトの話を華にもしないとっ。 華は王女さまの事、気にしてたしなっ……)
『ええっ?! 優斗の生霊が華ちゃんとこに飛んで来たっ!!』と、突然、本体の背後で瑠衣の叫び声が、本体の耳に飛び込んで来た。 優斗の本体が小さく跳ねた。
『まじでっ、とうとうそこまで来たのっ!!』、と言っている仁奈の声も本体の耳に届く。
何か弁明しないともっと騒がれる事になる。 そして、戻ったらきっと瑠衣たちから揶揄われて遊ばれる事は間違いない。
本体の背中に流れる汗が止まらない。
誰がチクったのかは明白だ。 じろっとフィンを見ると、赤い舌を出して悪びれる事もなく、優斗から視線を逸らした。
(フィンがフィルにチクったんだなっ……折角、華と話せるのにっ)
眉を下げて無念、と肩を落としている優斗の口から息が大量に吐き出された。
「華、ごめん。 色々と話さないとなんだけど、ちょっと後ろが騒がしくなってきたから戻るよ」
「あ、うん。 分かった」
華は瑠衣たちとも付き合いが長いので、本体の背後でどんな騒ぎになっているか正確に察し、心配そうな表情をした。
少し『もう帰るのか』と寂し気な表情も混じっている。 別れを惜しむ華には悪いが、胸にじわっと歓喜が沸き上がる。
優斗も同じ気持ちだったからだ。
(でも、精神体を飛ばせる様になったんだから、寂しいのは今だけだ)
「これからは毎日、会えるから。 華、また夜に来ていい?」
監視スキルが戻って来たから、スキルをオフ状態にしない限り、優斗の脳裏で華の映像がずっと流れて来るし、華の声も聞こえて来る。 前世では、結界で繋がって華と話が出来たが、今世は出来るかまだ分からない。 精神体が飛ぶなど、今世の監視スキルもぶっ飛んでいる。
華と月2回しか会えないのはとても寂しいと思っていた。 離れていても華と顔を合わせて毎日話せる事が、とても嬉しい事だと優斗は思った。
(そうだっ! テレビ電話と同じだと思えば、全然、おかしくないよなっ!)
『ん? それは現実逃避なの?』
脳内で響く監視スキルの声は聞こえなかった振りをして、普通の人は精神体自体を飛ばせない事を都合よく忘れる事にした。
夜にまた来ると聞いた華は、ぱぁと表情を明るく輝かせ、直ぐに華は嬉しそうに大きく頷いた。
微笑み合う二人をフィンは何も言わず、茶化しもせずに優しい表情で見つめてくるのが、視界の端に映った。 少しだけ気恥ずかしくなった。
(どうしたら元に戻るんだ?)
『簡単だよ。 本体の方へ意識を向けるんだ。 そしたら自動的に戻る』
(分かった)
「じゃ、華。 今夜にね」
「うん、待ってる」
華の返事を聞いてから、監視スキルの言う通りに本体の方へ意識を向ける。
行きとは違い、帰りは一瞬だった。
長い白銀の睫毛に縁どられた目蓋を何度も瞬かせた。 目の前の景色が変わり、華とフィンの姿が消えた後、優斗の視界に瞑想部屋が飛び込んで来た。
じんわりと体温を奪われる冷たい床板、丸太の壁に天井、横長の明り取りの窓から僅かな陽が射し、少し薄暗い瞑想部屋を照らしている。 確かに精神体を飛ばす前に居た瞑想部屋で間違いない。
優斗の目の前では、瑠衣と仁奈が手を振ったり、覗き込んで来たりしていた。
フィルも優斗の膝の上で飛び跳ねている。 瑠衣と仁奈、フィルの3人の所業に、優斗は眉間に深く皺を寄せた。
『ハナの最新の映像です』
監視スキルの声が頭の中で響く。
華の映像が流れ、監視スキルが戻って来た事を優斗は改めて実感した。 映像の中の華は、まだ優斗がいた場所を見つめていた。 そして、優斗のスキル越しの視線を感じたのか、にっこりと微笑んだ。
華の周囲に自身の魔力が漂っているのが視える。
華の手が優斗の魔力が溢れ出る場所、周囲1メートルの範囲を愛しそうに撫でた。
一気に全身の血が熱くなり、沸騰した様に優斗の体温が上昇した。 直ぐに華を抱きしめに行きたくなったが、未だに瑠衣たちが優斗の正気を戻そうと身体を揺すったり、ぺちぺちと頬を叩く事により、全てが霧散した。
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「・・・・へ!?」
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