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1章 ふしぎな電車
8 兆却亀、そして
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カク・シは地面より一メートルほど上の位置で浮き、これでますます舞台の上に立つ者のようになった。
床のない舞台だ。
カク・シは彼の後方へ身体の向きを変えてすーっと手をあげ、ある場所を指さして言った。
「あなた方にはあれが見えるだろうか。」
人々がざわついた。
カク・シという男が指さした場所にゆっくり、ゆっくりと盛りあがる白いものが見えた。
あちこちで声があがった。
「なに、あれ?」
「岩?」
「あれさ、さっきのとおなじ色じゃないか?」
だれかがつぶやいた言葉の通りだ。
電車で通りぬけた空気の裂け目のような影、あの影を作った岩とおなじ色の岩のかたまりが、少しずつ、少しずつ地面から盛りあがって姿を現わそうとしている。
岩が盛りあがるにつれてその動きにあわせて地面がゆれた。
そしてそれに呼応するようにして高まる人々のおどろきの声と、動揺のために、その場の空気もゆれた。
カク・シがその空気をなだめるかのようにうなずき、そして言った。
「あれは 兆却亀が生んだ影を通りぬけてここへやって来た。あのときの影は 地徒人の世界の果てとなった。そして今あなた方が目にしている兆却亀が生む影を通りぬければ、今度は私達の世界へ入ることになる。」
その間にも地面のゆれは断続的につづいた。
もし岩が盛りあがるのを目にしなければ、ずいぶん長い地震だと不安になるところだ。
解はふと、このゆれはどれくらいの範囲まで伝わるのだろうかと気になった。
成田やその近くでも地震を観測しているのだろうか。
解はもう一つ、べつのことにも気づいた。
岩が収縮するようにゆれているのだ。
上へ向かって少しずつ伸びていく動きとは、またべつの動きだ。
岩はほんのわずか膨れ、そしてしばらくするとほんのわずか縮んだ。
それを規則的にくり返した。
まるで、岩が呼吸しているような動きだ。
(あれは生きもの? シェルギって言ったよな、岩じゃないのか?)
解はそう考えた。
そしてさきほど電車に乗って通りすぎたあの岩、石器が地面に突き刺さったようなかたちのあの岩のことを一生懸命に思いだそうとした。
あの岩はいま目の前に出現しつつある岩とおなじように収縮していただろうかと、そのことを記憶から引っぱりだそうとした。
(あんな風に息をするみたいな動きはしていなかったと思うけど、どうだろう。)
解は結生にそのことをたずねようとした。
が、そのときカク・シの声が響きわたり、結生はカク・シに視線を向けた。
そのために解は話をしそびれてしまった。
「天流衆国には昔から伝わる創詩というものがある。こういう言葉だ。」
カク・シがふたたびその場の主役になった。
彼は一瞬、唇を引きむすんで言葉をとぎらせ、それからすぐに次の言葉を口に乗せた。
その声はまるで弦楽器が美しい音楽を奏でるようになめらかだった。あたり一帯にカク・シの言葉が響きわたった。
「一人の王、二つの文字、三つの信仰、四流派の使、五つの亜陸、六つの黄金。これが天流衆の宝、国を支える柱。もし柱を失くせばーー」
カク・シの琥珀色の目がきらりと光った、ように見えた。
解の目には。
「ーーホロビシンが姿を現す。」
あたりがしん、としずまりかえった。
カク・シは彼自身の発した言葉をその場に集まった人々がたしかに受けとめるのを待つかのように、しばらくのあいだ沈黙し、人々を見わたした。
それはとても効果的な沈黙だった。
カク・シが作りだした沈黙は彼の言葉が人々のなかにじわじわと浸みこむ役割を果たした。
彼の言葉のなかでも特に最後の「ホロビシン」という一言には、まるで人々の身体と気持ちを地面にグッと押しつけるかのような圧迫感があった。
それはその場にいるカク・シ以外の全員にとって初めて聞く言葉だ。
もちろん意味のわかる者は一人もいない。
それなのに、だれも動かなかった。だれも、一言も発しなかった。
解は、
(まるでホロビシンってやつがここを見張っていると、みんな思っているみたいだ。)
と思った。
やがてカク・シがおもむろに口を開いた。
しずまりかえった人々に向かって語りかけた。
「心配しなくてもいい、これは天流衆の人々のあいだで伝承された言葉であって、それ以上のものではない。ホロビシンは現実には存在しない。」
人々が一瞬つめた息を吐きだした。
カク・シはうなずき言葉をつづけた。
「ホロビシンの姿を見た者はいない。なぜならホロビシンが姿を現すのは天流衆国がなくなるときだと伝えられているからだ。ある文献にはホロビシンは七枚の翼を持つと書かれ、べつの文献には七つあるのは頭だと書かれている。人の姿であるともいうし、大きな蛇の姿であるともいう。あるいは見たこともないほど巨大な炎のことだともいう。そうではなく、姿はないのだともいう。いずれにしろ、すべてのホロビシンに関する言葉は神話や寓話のたぐいであり、ホロビシンなどというものは存在しない。そう思われてきたのだ、これまでは。」
これまでは。
解の背すじにゾクッとふるえが走った。
床のない舞台だ。
カク・シは彼の後方へ身体の向きを変えてすーっと手をあげ、ある場所を指さして言った。
「あなた方にはあれが見えるだろうか。」
人々がざわついた。
カク・シという男が指さした場所にゆっくり、ゆっくりと盛りあがる白いものが見えた。
あちこちで声があがった。
「なに、あれ?」
「岩?」
「あれさ、さっきのとおなじ色じゃないか?」
だれかがつぶやいた言葉の通りだ。
電車で通りぬけた空気の裂け目のような影、あの影を作った岩とおなじ色の岩のかたまりが、少しずつ、少しずつ地面から盛りあがって姿を現わそうとしている。
岩が盛りあがるにつれてその動きにあわせて地面がゆれた。
そしてそれに呼応するようにして高まる人々のおどろきの声と、動揺のために、その場の空気もゆれた。
カク・シがその空気をなだめるかのようにうなずき、そして言った。
「あれは 兆却亀が生んだ影を通りぬけてここへやって来た。あのときの影は 地徒人の世界の果てとなった。そして今あなた方が目にしている兆却亀が生む影を通りぬければ、今度は私達の世界へ入ることになる。」
その間にも地面のゆれは断続的につづいた。
もし岩が盛りあがるのを目にしなければ、ずいぶん長い地震だと不安になるところだ。
解はふと、このゆれはどれくらいの範囲まで伝わるのだろうかと気になった。
成田やその近くでも地震を観測しているのだろうか。
解はもう一つ、べつのことにも気づいた。
岩が収縮するようにゆれているのだ。
上へ向かって少しずつ伸びていく動きとは、またべつの動きだ。
岩はほんのわずか膨れ、そしてしばらくするとほんのわずか縮んだ。
それを規則的にくり返した。
まるで、岩が呼吸しているような動きだ。
(あれは生きもの? シェルギって言ったよな、岩じゃないのか?)
解はそう考えた。
そしてさきほど電車に乗って通りすぎたあの岩、石器が地面に突き刺さったようなかたちのあの岩のことを一生懸命に思いだそうとした。
あの岩はいま目の前に出現しつつある岩とおなじように収縮していただろうかと、そのことを記憶から引っぱりだそうとした。
(あんな風に息をするみたいな動きはしていなかったと思うけど、どうだろう。)
解は結生にそのことをたずねようとした。
が、そのときカク・シの声が響きわたり、結生はカク・シに視線を向けた。
そのために解は話をしそびれてしまった。
「天流衆国には昔から伝わる創詩というものがある。こういう言葉だ。」
カク・シがふたたびその場の主役になった。
彼は一瞬、唇を引きむすんで言葉をとぎらせ、それからすぐに次の言葉を口に乗せた。
その声はまるで弦楽器が美しい音楽を奏でるようになめらかだった。あたり一帯にカク・シの言葉が響きわたった。
「一人の王、二つの文字、三つの信仰、四流派の使、五つの亜陸、六つの黄金。これが天流衆の宝、国を支える柱。もし柱を失くせばーー」
カク・シの琥珀色の目がきらりと光った、ように見えた。
解の目には。
「ーーホロビシンが姿を現す。」
あたりがしん、としずまりかえった。
カク・シは彼自身の発した言葉をその場に集まった人々がたしかに受けとめるのを待つかのように、しばらくのあいだ沈黙し、人々を見わたした。
それはとても効果的な沈黙だった。
カク・シが作りだした沈黙は彼の言葉が人々のなかにじわじわと浸みこむ役割を果たした。
彼の言葉のなかでも特に最後の「ホロビシン」という一言には、まるで人々の身体と気持ちを地面にグッと押しつけるかのような圧迫感があった。
それはその場にいるカク・シ以外の全員にとって初めて聞く言葉だ。
もちろん意味のわかる者は一人もいない。
それなのに、だれも動かなかった。だれも、一言も発しなかった。
解は、
(まるでホロビシンってやつがここを見張っていると、みんな思っているみたいだ。)
と思った。
やがてカク・シがおもむろに口を開いた。
しずまりかえった人々に向かって語りかけた。
「心配しなくてもいい、これは天流衆の人々のあいだで伝承された言葉であって、それ以上のものではない。ホロビシンは現実には存在しない。」
人々が一瞬つめた息を吐きだした。
カク・シはうなずき言葉をつづけた。
「ホロビシンの姿を見た者はいない。なぜならホロビシンが姿を現すのは天流衆国がなくなるときだと伝えられているからだ。ある文献にはホロビシンは七枚の翼を持つと書かれ、べつの文献には七つあるのは頭だと書かれている。人の姿であるともいうし、大きな蛇の姿であるともいう。あるいは見たこともないほど巨大な炎のことだともいう。そうではなく、姿はないのだともいう。いずれにしろ、すべてのホロビシンに関する言葉は神話や寓話のたぐいであり、ホロビシンなどというものは存在しない。そう思われてきたのだ、これまでは。」
これまでは。
解の背すじにゾクッとふるえが走った。
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