天流衆国の物語

紙川也

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1章 ふしぎな電車

9 ホロビシン

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カク・シが遠くを見る目になり、わずかに声を落として言った。

「よくない兆しがはじまっている。そう、とてもよくない。」

カク・シは話をつづけた。
「不吉なささやきがあちこちで聞こえはじめた。具体的にはこうだ。天流衆国を統治する機関のなかの一つに 亜陸意裁官庁ありくいさいかんちょうがある。ここに所属する 意裁官いさいかんがみな、一年ほど前から一斉におなじ夢を見、おなじ言葉を聞くようになった。私も聞いた。」
琥珀色の目が見ひらかれた。カク・シは不意に声を低めた。

「……滅びよ。」

 だれかが息を飲む気配がした。

「……失せよ……死滅せよ……生きる価値のないすべてのもの、この世界から。いや、この世界ごと、失せよ。なにもかもが失せるそのときすべてがおなじ一つの者になる。滅びという一つに。我も彼もなく、だれでもなく、すべてが一つに。
だから……滅びよ。」

とても低い声だった。
それなのにその声はあたりに響きわたった。
何者かがカク・シに乗りうつり、彼の口を借りて人々に言葉を投げかけたかのようだった。
その場がしずまりかえった。
ここにいるほとんどの人が、低い声の語った言葉を自分に宣告されたように感じたためだ。
それもいますぐにと命じられたかのような、そんな おびえが一瞬で広がった。
死ね、滅びよ、と。
シンとしずまるなかでカク・シが言葉をつづけた。

「そのうえ夢の話などよりずっと切迫した問題もはじまった。 蘇石骨ベラットだ。これは 骨鉱山こつこうざんにある。 天流衆国てんりゅうしゅうこくにおけるエネルギー、すべての力の源になるのがこの 蘇石骨ベラットだ。さきほどみなさんを乗せてここまで運んだ『電車』も 蘇石骨ベラットを含んでいる。ところが 骨鉱山こつこうざんにも問題が発生した。 骨鉱山こつこうざんのうちの一つに私たち天流衆が入ることができなくなってしまったのだ。」
カク・シの声は元通り落ちついたものにもどった。
さっきの低い声とは明らかにちがう。
ベラット、コツコウザン、と解は口のなかでつぶやいた。
知らない言葉がたくさん出てきて話がけっこうむずかしい。
そして解の頭のなかを、一つの考えがちらっとかすめた。
(おだやかな声とさっきの低い声、どっちが本当のカク・シって人の声なんだろう?)

カク・シが黒っぽい革靴にちらりと視線を走らせた。
「いまみなさんがごらんの通り、私は、いや私たち 天流衆てんりゅうしゅうは、みなさんのように地に足をつけることがない。常に地と身体が離れている。」
カク・シの身体がしずかに下降した。
まるで着地したかのように見えた。
カク・シは周囲を見まわし、結生に目をとめた。
「君、たしかめてくれるか。私の足元を見てごらん、さあ。」
結生はカク・シの目を見た。
琥珀色の目がうなずく。
結生はカク・シのすぐそばへ移動し、そしてひざまずいてカク・シの足元をじっと見つめた。
そして立ちあがって言った。
「地面から少し離れて浮いていますね。」
「そうだ。 天流衆にとって地面に着地するのは、ひどく困難をともなうのだよ。」
カク・シは結生の言葉に対して満足そうにうなずいた。
そしてすぐに結生から視線をそらし、人々に向かって語りかけた。
「いいかな、もし 骨鉱山こつこうざんが地面のなかに埋まってしまったらどうなると思う? そう、私たち天流衆にはお手あげだ。ところがすでにそうなってしまったのだ。」
さざなみのように息がもれる気配が広まった。
その場にいるなかでかなりの割合の人がため息をついたのだ。
残念そうなため息だ。
いつの間にかここにいる人々のうちの多くがカク・シの話にひきこまれ、天流衆国で起きつつある不吉な出来事をまるで自分のことのように感じているようだった。
カク・シは人々に向かってうなずいてみせた。

「そこで私達は、あなた方、 地徒人アダヒトに協力を依頼することにしたのだ。今回のように頃合いを見はからって『電車』を走らせて迎えいれ、 蘇石骨ベラットの採掘をお願いしている。天流衆国では 地徒人アダヒトのなかでもことさら資質のある人だけを迎えいれている。あなた方が乗ったこの『電車』に乗ることができる 地徒人アダヒトは限られる。特別な者だけなのだ。」

「そういえば、駅でこれに乗ってすぐに降りるやつがいたな。」
解の背後でだれかがつぶやいた。
そしてそれにうなずく声がちらほらと聞こえた。
カク・シがふたたびうなずいた。
「その通り。ここへ来られる者がいるし、来られない者もいる。来られない者のほうが多いのだ。にわかに受けいれるのがむずかしい話かもしれないが、どうか私を信じてほしい。」
カク・シは人々をゆっくりと見わたした。
澄んだ琥珀色の目は落ちついた光を放ち、引きむすばれた唇は誠実そうに見えた。

「骨鉱山でみなさんに見つけてほしい 蘇石骨ベラットは一人につき一つ、たったの一つだ。たいていの 地徒人アダヒトは一日たたないうちに発見する。今までもっとも時間のかかった人でも採掘に要したのは二日間だ。いいかね、長くても二日だ。どうかそれだけの時間を天流衆のために割いてもらいたい。
ここにいるみなさんが一人につき一つずつ 蘇石骨ベラットを採掘してくれれば、全員を元の場所へお返ししよう。
約束する。
このカク・シがみなさんの安全と帰還を保証しよう。」
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