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1章 ふしぎな電車
10 扇動された空気
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カク・シは片腕を持ちあげ、握った手を胸にあててみせた。
天流衆にはじめて出会い、彼らの文化など知らないはずの全員が、その態度が礼を尽くしたものであると感じたようだ。
人々は口を閉じ、なにかおごそかなものを見る目になってカク・シを見守った。
「みなさんの力を私に貸してほしい。お願いだ。」
カク・シが顔を上げた。
彼の話はこれでおしまいのようだ。
その場がしずまりかえった。
ただしずかなだけでなく、じわりと空気が緊張をはらんだ。
だれか口火を切るのをその場の空気が待っている。
ザリ、と地面を踏んで一歩前へ出る者がいた。
「わたし、やります。」
解のいる位置からかなり後方で女の人の声がした。
高い声だ。ほんの少しだけ舌足らずに聞こえる。
解はこの声に聞きおぼえがあった。
(電車を降りるのをイヤがっていた人だ。)
解は振りむいて彼女を見た。
まっすぐな長い髪をして、黒いデニムジャケットと膝より少しだけ短い丈のスカートをはいた女性だ。
彼女の頬はぼうっと赤らみ、目もとはうっとりとうるんでいる。
「一日か二日だけでしょ。それにわたしたちがその 蘇石骨というものを見つければカク・シさんが助かるんでしょう。やります。」
解はその言葉に面食らった。
さっきは動くことをいやがっていたのに、なぜ彼女の態度がこんなに変わるのだろう、とビックリした。
彼女の言葉につづいて、
「そうだ、やろう、やろう。」
しわがれた声が同調した。年とった男だ。
そしてそのあとに、
「協力しますよ。」
「私も。」
「やろう。」
と、たくさんの声がつづいた。
しまいに声と声が重なってだれのものとも区別がつかなくなった。
言葉や声というよりふくれあがる音みたいだ、と解は感じた。
まるで風船に空気が送りこまれてシュウーッと大きくなるみたいにして熱意が膨張し、カク・シの要請に応えることが決まった。
解はそれがなんだか変な出来事に見えた。
電車の車中とは人々の雰囲気がまったく変わってしまった。
いちばんはじめに声を上げた女のように、電車のなかで不安そうだった人ほどむしろやる気になったかもしれなかった。
解はチラッと横目で結生の様子をうかがった。
結生は盛りあがる人達とは表情がちがった。
彼は気づかいを含んだ視線を背後へ向けていた。
解は結生の視線を追った。
そこには最後に電車を降りた母娘がいた。
女の子はママに手を引かれて立っている。
ママのほうは眉をしかめて首をかしげていた。
結生が解の視線に気づき、解に話しかけた。
「あの人たち大丈夫かな。一日か二日といっても大人より不便が多いかもしれないよね。」
「そうかも。」
結生の言葉に解もうなずいた。
ざっと見たところ、あの子がこの場の最年少だ。
ほかにも小学校に入る前だろうという小さな子がいるし、小学校の低学年くらいの子もいるが、ベビーカーに乗っていたのはその女の子だけだ。
とはいえ母親であるその女性がなにかを発言する気配はなかった。
「無理です」と言いだすのはけっこうむずかしい雰囲気だよな、と解は思った。
とにかくカク・シの要請に応えるという意思表示以外の言葉を大きな声で話しづらい。
でも理由があって帰してほしいと言ったっていいんじゃないだろうか、ここに残る気になった者だけが残り、帰りたい人間は帰ったっていいんじゃないか、と解は思った。
ところがそれはかなわなかった。
シュウウウウ、と電車が空気を吐きだしたのだ。
人々はあわてて電車から離れた。解は目を見ひらいた。
「あぶないっ!」
解は思わず声をあげた。
青い電車がつぶれた。いきなりべしゃりと車高が低くなった。そして車輪があるはずの場所から節のついた足が出てきた。
足には固そうな毛が生えていた。
まるで虫の足みたいなかたちだと解は思った。
(うわっ、虫だ、虫!)
でもそれは解の知るどの虫よりはるかに大きい。
一本の足が人の脚ほどもある。
そしてそのうちの一本が、結生と高校生とでおろしたベビーカーに当たった。
ベビーカーがぐしゃりとつぶれた。
人々が悲鳴をあげた。
四角いはずの車両がたわんで角がなくなり、さらにひしゃげてつぶれた。
(ムカデかゲジゲジみたいだ。)
解は思った。ムカデでもゲジゲジでも、とにかくこんなに大きいのは見たことがないし、こんなにあざやかな青色のも見たことがない。
青くて大きな生物の、たくさんの足が動いた。
一本一本、すべてが別々に動いた。
うごめく無数の足と節のついた胴体は完全に節足動物のそれだった。
解は電車の先頭車両に向かって走った。
頭とかそういうものがあるのか気になったのだ。
あるなら見てみたかった。
先頭車両だったはずのモノのすぐそばに運転手が立っているのが見えた。
運転手がカク・シに言葉をかけた。
「ではカク・シ様、私は、その、一足先に戻らせていただきます。」
運転手は彼が「カク・シ」と呼んだ男に向かって制帽を取って一礼した。
とても丁寧な態度だ。
それに加えて少しばかりおびえも含むように解は感じた。
解は思わず、
(カク・シ様、様だって。だれかがだれかを様づけなんてするの、はじめて聞いたぞ。)
と心のなかで突っこんだ。
天流衆にはじめて出会い、彼らの文化など知らないはずの全員が、その態度が礼を尽くしたものであると感じたようだ。
人々は口を閉じ、なにかおごそかなものを見る目になってカク・シを見守った。
「みなさんの力を私に貸してほしい。お願いだ。」
カク・シが顔を上げた。
彼の話はこれでおしまいのようだ。
その場がしずまりかえった。
ただしずかなだけでなく、じわりと空気が緊張をはらんだ。
だれか口火を切るのをその場の空気が待っている。
ザリ、と地面を踏んで一歩前へ出る者がいた。
「わたし、やります。」
解のいる位置からかなり後方で女の人の声がした。
高い声だ。ほんの少しだけ舌足らずに聞こえる。
解はこの声に聞きおぼえがあった。
(電車を降りるのをイヤがっていた人だ。)
解は振りむいて彼女を見た。
まっすぐな長い髪をして、黒いデニムジャケットと膝より少しだけ短い丈のスカートをはいた女性だ。
彼女の頬はぼうっと赤らみ、目もとはうっとりとうるんでいる。
「一日か二日だけでしょ。それにわたしたちがその 蘇石骨というものを見つければカク・シさんが助かるんでしょう。やります。」
解はその言葉に面食らった。
さっきは動くことをいやがっていたのに、なぜ彼女の態度がこんなに変わるのだろう、とビックリした。
彼女の言葉につづいて、
「そうだ、やろう、やろう。」
しわがれた声が同調した。年とった男だ。
そしてそのあとに、
「協力しますよ。」
「私も。」
「やろう。」
と、たくさんの声がつづいた。
しまいに声と声が重なってだれのものとも区別がつかなくなった。
言葉や声というよりふくれあがる音みたいだ、と解は感じた。
まるで風船に空気が送りこまれてシュウーッと大きくなるみたいにして熱意が膨張し、カク・シの要請に応えることが決まった。
解はそれがなんだか変な出来事に見えた。
電車の車中とは人々の雰囲気がまったく変わってしまった。
いちばんはじめに声を上げた女のように、電車のなかで不安そうだった人ほどむしろやる気になったかもしれなかった。
解はチラッと横目で結生の様子をうかがった。
結生は盛りあがる人達とは表情がちがった。
彼は気づかいを含んだ視線を背後へ向けていた。
解は結生の視線を追った。
そこには最後に電車を降りた母娘がいた。
女の子はママに手を引かれて立っている。
ママのほうは眉をしかめて首をかしげていた。
結生が解の視線に気づき、解に話しかけた。
「あの人たち大丈夫かな。一日か二日といっても大人より不便が多いかもしれないよね。」
「そうかも。」
結生の言葉に解もうなずいた。
ざっと見たところ、あの子がこの場の最年少だ。
ほかにも小学校に入る前だろうという小さな子がいるし、小学校の低学年くらいの子もいるが、ベビーカーに乗っていたのはその女の子だけだ。
とはいえ母親であるその女性がなにかを発言する気配はなかった。
「無理です」と言いだすのはけっこうむずかしい雰囲気だよな、と解は思った。
とにかくカク・シの要請に応えるという意思表示以外の言葉を大きな声で話しづらい。
でも理由があって帰してほしいと言ったっていいんじゃないだろうか、ここに残る気になった者だけが残り、帰りたい人間は帰ったっていいんじゃないか、と解は思った。
ところがそれはかなわなかった。
シュウウウウ、と電車が空気を吐きだしたのだ。
人々はあわてて電車から離れた。解は目を見ひらいた。
「あぶないっ!」
解は思わず声をあげた。
青い電車がつぶれた。いきなりべしゃりと車高が低くなった。そして車輪があるはずの場所から節のついた足が出てきた。
足には固そうな毛が生えていた。
まるで虫の足みたいなかたちだと解は思った。
(うわっ、虫だ、虫!)
でもそれは解の知るどの虫よりはるかに大きい。
一本の足が人の脚ほどもある。
そしてそのうちの一本が、結生と高校生とでおろしたベビーカーに当たった。
ベビーカーがぐしゃりとつぶれた。
人々が悲鳴をあげた。
四角いはずの車両がたわんで角がなくなり、さらにひしゃげてつぶれた。
(ムカデかゲジゲジみたいだ。)
解は思った。ムカデでもゲジゲジでも、とにかくこんなに大きいのは見たことがないし、こんなにあざやかな青色のも見たことがない。
青くて大きな生物の、たくさんの足が動いた。
一本一本、すべてが別々に動いた。
うごめく無数の足と節のついた胴体は完全に節足動物のそれだった。
解は電車の先頭車両に向かって走った。
頭とかそういうものがあるのか気になったのだ。
あるなら見てみたかった。
先頭車両だったはずのモノのすぐそばに運転手が立っているのが見えた。
運転手がカク・シに言葉をかけた。
「ではカク・シ様、私は、その、一足先に戻らせていただきます。」
運転手は彼が「カク・シ」と呼んだ男に向かって制帽を取って一礼した。
とても丁寧な態度だ。
それに加えて少しばかりおびえも含むように解は感じた。
解は思わず、
(カク・シ様、様だって。だれかがだれかを様づけなんてするの、はじめて聞いたぞ。)
と心のなかで突っこんだ。
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